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2015/03/30

■節子への挽歌2755:モンキチョウに出会いました

節子
畑は今日も順調でした。
残っていたジャガイモをすべて種付けしました。
道沿いのチューリップも、だいぶ咲き出しました。
節約して今年は30球根しか買わなかったのですが、順調に育つことがわかったので、来年は100球根にしようと思います。
アジサイとバラも、今年はきちんと手入れをしたいと思います。
野草と私との力関係が変わりそうです。

新しい試みを始めました。
畑の端っこに野草が生えるのが気になっていますが、そこに使用済みのコーヒーの粉をまくことにしました。
野草の成長を止めるのではないかと思ったのです。
湯島のベランダで、もしかしたら肥料になるかと思って、ランタナの大きな鉢にコーヒーの粉をまいたら、そこからは草が生えてこなかったのです。
この2か月、ためておいたコーヒーの粉を今日、畑のまわりに撒きました。
さてどうなりますか。

今日はとてもあたたかでした。
今年初めて、モンキチョウに会いました。
土を耕している時に、幼虫にも出会いました。
生き物が元気になってきているようです。
蛇に会うのは避けたいですが、そろそろ気をつけないといけません。
それに鍬も注意しないと生き物を殺傷します。
農業とは、命を奪うことだということがしみじみとわかります。
だから、命を大事にするようになるのでしょう。

「農本主義が未来を耕す」という魅力的な本の中で、宇根豊さんはこう書いています。

ごはんを食べることは、米の命を奪うことではなく、稲が田んぼで生きることを保証することなのです。
一杯のごはんを食べないということは、オクマジャクシだけでなく稲3株10本ほどの苗の命を奪うことなのです。
「命をいただく」というのは、こういう生の世界に生きている同士の関係なのです。
私たちが「いただきます」と言うときに、たぶん食べものは生きものに戻ってこう言っているのでしょう。
「おかげで、この世界で生きることができたよ」。

私の場合、この感覚はまだ身体的なものにはなっていませんが、頭ではだいぶわかってきました。
じゃがいもを育てるためには、土を元気にさせないといけません。
一方で殺生をしながらも、一方で命が育つ土壌を豊かにしている。
少なくとも、土を殺すことだけはしてはいけないのです。
野草の思うままにしてもいけないのです。

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