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2015/03/25

■節子への挽歌2751:感傷的なひととき

節子
今日の東京は空がとても青いです。
湯島の実盛坂の下で、いつも空を見上げます。
ビルの合間にしか見えない、小さな空ですが、それが昔からの私の習慣なのです。
その習慣が始まったのは、エジプトに行ってからです。
エジプトの空の青さが、とても心に残ったからですが、東京の空も時にエジプトを思い出させるのです。

ベランダに無造作に置いていた小さなシクラメンが、花を咲かせました。
もうだめだと思って、外に出したまま冬を越したのですが、小さな花を咲かせてくれました。
今度もっといい鉢に植え替えようと思います。
湯島の生き物たちも、手入れ不足にもかかわらず、頑張ってくれています。

今日は、来客に時間を合わせずに、かなり早めに湯島に来ました。
昨夜、ちょっとよくない夢を見てしまい、早く目覚めてしまったのです。
多くの夢は、起きるとすぐ忘れるのですが、忘れられない夢もあります。
そんな時は、夢とはいったい何なのか、ついつい考えてしまいます。
それも、その夢に関わることが、朝起きたら起こっていた場合には、なおのことです。
今日がまさに、そういう日でした。
「予兆」でしょうか、「シンクロニシティ」でしょうか。

今日の東京は、風が冷たいですが、部屋から外を見ていると春を感じます。
実盛坂の下から見る空よりも、部屋から見る空は、青さが弱くなります。
もちろん気のせいなのですが、そもそも環境の風景は「気」によって出現します。
ですから同じ風景も、どこから見るかで変わってきます。
私は、実盛坂の下から見上げる、ビルの合間の小さな空が好きなのです。

実盛坂は、節子と何回も何回も上り下りしたところです。
体調を悪くしてからの節子は、長い階段の途中で、少し休んだものでした。
そして、ついに登れなくなったのです。

湯島の部屋は、節子がいなくなってから、少し殺伐としてきています。
東日本大震災で、キャビネなどはずれてしまっていますが、放置したままです。
壁から落ちたリトグラフは、最近、やっと壁に戻しました。
しかし、何かが欠けています。
それが何かはわかりませんが。
以前は、ここにたくさんの人が集まっていました。
私も毎日出てきて、いろんな人たちと会っていました。
しかし、今はそういうにぎやかさはありません。
一人でオフィスに座っていると、なにかとても寂しさも感じます。

一番大きな変化は、窓からの風景をさえぎる大きな建物が建設されだしていることです。
これでもう夕日は見られなくなりました。
節子がいたら、悲しむでしょう。
この窓から見る夕日は、とても美しかった。

今日は。なぜかとても感傷的な気分です。
NHKの朝ドラの「まっさん」を観たからかもしれません。
死を悟ったエリーが、節子に重なって見えたのです。
書いていたら、また思い出してしまいました。

青い空に癒してもらうほかありません。

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