■城里町のみなさんから学ぶこと〔5〕
今回は、あまり異論がないであろう、「備品の再活用」について考えてみます。
ここで重要なことはなんでしょうか。
1億3千万円と見積もられていた備品代が、50万円で済んだということに価値があるのでしょうか。
しかし、視点を変えれば、1億3千万円の市場が消えてしまったとも言えるわけです。
備品を購入してもらえると期待していた会社があったかもしれません。
その会社の人の立場から言えば、それは決してうれしいことではないはずです。
お金を消費するということは、経済を活性化するということです。
有名なニューディール政策は、ある意味で、「無駄な消費」を創出することで、経済を回復させたのです。
したがって、城里町の備品代節約は、喜ばない人もいたはずです。
前の記事で、「備品の再活用に関しては、反対する人は少ないでしょう」と書きましたが、必ずしもそうではないかもしれません。
ここに、経済のややこしさがあります。
つまり、お金の消費は、誰かにとっての収入なのです。
ですから、備品の再活用に関しては、金銭の次元ではない次元で考えることが必要だと思います。
何人かの方が書いてくれていますが、要は、「物」をどう扱うかです。
「消費財」という言葉がりますが、ここでも私は「消費」という言葉に少し抵抗があります。
備品を製作した人たちが、廃校に放置された様子をもし見る機会があれば、たぶん悲しむでしょう。
昔、トヨタ自動車のエンジニアたちの研究会に関わらせてもらったことがあります。
当時は、自動車の燃費を向上させるために、軽量化を目指しての部品のプラスチック化が大きな課題でした。
ある時、その活動に取り組んでいる人が、廃車の解体工場に見学に行ったのです。
彼は、そこで自分たちのつくった自動車が、無残に破壊されているのを目にしました。
無節操なプラスチック化によって、かつてのような解体ができなくなっていたのです。
その人は、私にこう言いました。
これまでは、ともかくできるところはみんなプラスチックに置き換えようと考えていたが、解体のことも考えながらプラスチック化を進めたい、と。
感激しました。
私が、トヨタ自動車が好きになったのは、その人のその言葉のせいです。
あんまり関係のない話を書いてしまったかもしれませんが、物にも「いのち」はあるのです。
先生たちも、長年愛用した机などの備品が朽ち果てるのは悲しかったでしょう。
私たちは、物を粗末に扱う文化に浸りきっていますが、それに気づかなければいけません。
物を粗末に扱う人は、人も粗末に扱うことになりかねないからです。
城里町の備品再活用は、町役場の人たちに、そうしたことを気づかせる契機になったかもしれません。
いやそうでなければ、いけません。
それは1億3千万のお金よりも、ずっと大きな価値のあることだろうと、私は思います。
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