■節子への挽歌2748:相性
節子
昨夜、庭のガマガエルが騒ぎ出しました。
せっかく生んだ卵を私が処分してしまったからです。
昼間はいなかったのに、夜になって池に戻ってきたら、池の水もなくなっていて、卵もないので、大騒ぎをし始めたのです。
大きな声で鳴きだしました。
近所迷惑なので、捕獲して、手賀沼に放しに行ってきました。
不憫ではありますが、彼女のおかげで、池の魚がまた全部食べられてしまったので、仕方ありません。
気づかなかったのですが、池の水自体がかなり汚されてしまって、エビもまた全滅です。
そういえば、最近、池の生物が全滅を重ねているのは、ガマガエルの生だったのかもしれません。
放射線汚染でも、ハクビシンでもなかったのです。
ガマガエルを飼ったらどうかという考えもありますが、ガマガエルとは相性が良くありません。
それに、むすめが許しません。
むすめのカエルきらいは尋常ではありません。
何しろ父親である私よりも、カエルが嫌いなのです。
ですから、多数決で決めても、2対1で、ガマガエルには勝目がありません。
まだどこかに冬眠している仲間がいるかもしれませんが、わが家の周辺にはたぶん蛇もいるので、ガマガエルには安全な住処ではないことをわかってもらいたいです。
それにしても、人は勝手なものです。
私は、わが家の庭にカニを生息させたいと願っています。
これまでも試してみたことがありますが、やり方がまずくて成功していません。
カニなら大歓迎なのに、ガマガエルはどうしてこうも嫌悪してしまうのでしょうか。
私は、爬虫類がどうしても好きになれないのです。
しかし、世の中には、爬虫類をペットにしている人もいます。
犬や猫ならともかく、家の中に蛇やカエルが同居していたら、私ならぞっとしてしまいますが、カニをみてぞっとする人もいるのかもしれません。
やはり「相性」というのがあるのでしょう。
人にも「相性」はあります。
私は、なぜ節子と「相性」が合ったのでしょうか。
考えてみるととても不思議です。
さほど「いい女」でもなく、才色兼備では全くなく、堅物で退屈で、感性も私とはかなり違い、性格もとりわけ良いわけでもなく、取り柄と言えば、「うそをつかない」だけしかなかったのですが、なぜか実に相性が良かったのです。
節子に限りません。
人にはなぜか「相性」がある。
「相性」って、いったいどこから来るのでしょうか。
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