■城里町のみなさんから学ぶこと〔7〕
いろいろと事件があって、なかなか続けられません。
今日は、引っ越し作業に職員が取り組んだ問題の是非の続きです。
断片的に書いているので、気が抜けてきた感じはしますが。
さて、職員が自分たちで引っ越し作業をしたことによって、生まれたものは何でしょうか。
昨今では、「コスト」ばかりが注目されますが、コストはパフォーマンスとの関係において評価されなければいけません。
つまり大切なのは、コストではなく、コスト/パフォーマンスです。
そして、コストもパフォーマンスも金銭だけで考えるべきではないと思います。
ではこの場合の「パフォーマンス」、成果とは何か。
ホームページには書いたのですが、先日の食養サロンで、長年企業に関わっている太田さんが、企業の社員寮で朝食をきちっと食べるような状況をつくったら、社員同士の交流が深まった事例を紹介してくれました。
最近は、同じ組織にいても、仕事以外での交流の機会が少なくなってきています。
まさに、組織の成員が大きな機械の部品のような存在になってきているのです。
そういう状況の中で、仕事は無関係な交流は組織を変える契機になります。
つまり、みんなで仕事を離れて、引っ越し作業をやったことで、普段とは違う交流が起こったはずです。
そこから生まれた「成果」は、とても価値のあるものだと思います。
私の会社時代を振り返っても、その意味の大きさを確信します。
職場に関する関係性も変わったのではないかと思います。
職場は、与えられた檻ではないのです。
もちろん大きくて重いものは、当然ながら専門の業者の人に頼んだはずです。
専門家に任せたほうが効率がいいという意見もありますが、それは個々にはあるでしょうが、全体としては、たぶんそんなことはないでしょう。
現に設備や備品や書類を使用している人たちが、実際の運搬や配置に取り組んだ方が、能率もいいでしょうし、扱い方もていねいだろうと、私は思います。
しかし、それはあくまでも副次的なもので、大切なのは、自分たちで引っ越し作業をやるということの意味ではないかと思います。
もしかしたら、仕事に対するとらえ方が変わったかもしれません。
いつもとは違った才能や人柄や、あるいは親しみが発見され、共有されたかもしれません。
それに、きっと楽しかったに違いありません。
そして、なかには打ち上げを楽しんだ人がいるかもしれません。
家事を外注することに抵抗感がなくなってきている時代には、私の考えは特殊かもしれません。
しかし、家事を外注することによって、家庭や家族が変質してきているように、職場も組織も変質していくはずです。
いや、もうすでに大きく変質しています。
いまや「仕事」そのものまで「非正規社員」に外注するようになってきているのです。
そうした動きには、私は大きな違和感があるのです。
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