■節子への挽歌2747:ジャガイモを作付けました
節子
今日も「孤独な農作業」をやってきました。
少しずつですが、野草の生息地を耕して、畑に近づけています。
なにしろ空いている宅地を利用しての畑仕事ですので、大変です。
土ができたころには、家が建つことになり、畑を諦めなければいけなくなる可能性は大きいです。
しかし、節子が始めたところなので、まあもう少し続けようと思います。
先日、畝を3列つくっておいたのですが、そこにジャガイモを植えました。
ネギの苗も買ってきたのですが、とりあえず仮植えをしました。
節子がやっていたころのことを思い出しながらですから、いかにも頼りないのですが。
土を耕し、笹の根っこを切り取りながら、農業とは生命体としての地球を傷つけることだなという思いがします。
まだ動物類にはあまり出会いませんが、昆虫の幼虫など出てくると、殺傷してしまうことも少なくありません。
農業とは、生と死に深くつながっていることも実感します。
本来、生きるということは、他者の生と死の上に成り立っているのでしょう。
そういういうことが、とてもよくわかります。
会社で仕事をしていては、そんなことには気づきようもありません。
節子と一緒に畑をやっていたころは、私は大雑把な仕事をし、節子が細かな仕事や作付をしていました。
で飽きると、後は頼むよと言ってやめてしまっていました。
一人でやるとなると、そういうわけにもいきません。
後片付けまでやらなければいけません。
そういうことが、いかに苦手かがよくわかります。
ジャガイモも、本来は、種イモの芽の状況に合わせて、いくつかに分割し、切断面に石灰をかけて植え込むのでしょうが、面倒なので、種イモ一個ずつをそのまま埋め込んでしまいました。
さてさてうまくいくでしょうか。
それでも次第に畑らしくなってきました。
荒れ放題になっていたところを、ここまでもってくるのに3年かかりました。
こういう時間感覚は、とてもいいです。
少しずつですが、私もようやくそうしたリズムに少しなれていけそうです。
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