■節子への挽歌2737:負い目
節子
ブログを更新していなかったために心配してくれていた人がいて、再開したらホッとしたというメールが何通か届きました。
気にしていて下さる人がいることに感謝しなければいけません。
昨日、福岡の蔵田さんから恒例のアサリが届きました。
ご自身で海岸まで出かけてとってきてくださるのです。
この寒い中を、私よりも年上なのに、出かけて行ってくれるのです。
このアサリがとてもおいしいのは、蔵田さんのお気持ちが深く入っているからです。
蔵田さんは、会社を定年で辞められると関係会社などへの誘いもすべて断って、奥様と一緒に郷里に帰りました。
そこで、畑をやったり海に出かけたり、自然の中で豊かに暮らされています。
しかし、隠居ではありません。
ここでも書いたことがありますが、川柳にはまったり、あるいは地域活動に関わったり、社会活動も楽しまれています。
昨日電話したら、奥さんが最近家族が増えたと言います。
自動車のボンネットに捨て猫がいたので、それを飼うことにしたのだそうです。
名前は「ぼん」。
ボンネットからの命名でしょう。
いかにも蔵田さんらしい名づけ方です。
なかなか福岡に行く機会がなく、ここ数年、お会いしていませんが、ますますお元気のご様子です。
蔵田さんには長年お世話になりっぱなしですが、現世でお返しすることは無理でしょう。
しかしまあ、来世もあるので、いつもそのご厚意は素直に受けています。
電話では時々お話しますが、私は蔵田さんの奥様にお会いしたことがありません。
しかし、蔵田さんとの暮らしぶりは、なんとなく伝わってきます。
節子がいたら、おそらく2人で蔵田家にも訪問していたことでしょう。
1人になると、その勇気はなかなか出てきません。
人がどう生きてきたかは、高齢になってから現れてくるのかもしれません。
私のまわりにもたくさんの幸せな夫婦がいますが、その人たちの生き方を考えるととても納得できます。
私が今、こうして伴侶を失い、幸せとは言いにくい状況にあるのは、やはり私の生き方の結果なのでしょう。
最近、そのことがようやくわかってきました。
節子を幸せにしてやれなかったことの負い目から、どうしても抜け出せません。
時間が過ぎるにつれて、ますます負い目が重くなってくるのです。
やはりどうも明るい挽歌が書けません。
困ったものです。
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