■節子への挽歌2743:本当の人間の道を歩むこと
節子
先日、久しぶりに映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を観ました。
ケビン・コスナーが監督・主演です。
もう20年以上前の映画ですが、いまなお新鮮です。
いささか長すぎると感じたのを覚えていましたが、今回は長さを感じませんでした。
あっという間の3時間でした。
観たことのない人のために言えば、これは異色の西部劇で、西部開拓の最前線に一人でやってきた騎兵隊員とスー族の交流を描いた映画ですが、ここに登場するスー族は、多くの西部劇に出てくるインディアンとは正反対に、極めて人間的に描かれています。
その映画の中で、スー族のリーダーの一人、「蹴る鳥」が、騎兵隊員だった「狼と踊る男」に語る、こんなセリフがあります。
この世で人の生きる道はいろいろあるが、この映画の中で、まさにスー族たちは、「本当の人間の道」を歩いています。
何よりも大事な事は、本当の人間の道を歩むことだ。
私の好きなテレビ番組「小さな村の物語 イタリア」に出てくる人たちも、「本当の人間の道」を生きています。
だから、見ていてとてもあたたかくなると同時に、自らの生き方を反省させられるのですが、「本当の人間の道」を歩くことは、そう簡単なことではありません。
ですから、そうした生き方をしている人を見ると、感動してしまうのです。
そして、そのたびに思うのですが、私よりも節子の方が「本当の人間の道」を歩いていたこと、そして私は、節子と一緒に暮らすことによって、「本当の人間の道」に目覚めたのかもしれないということです。
昨日、書いた余命宣告を受けた神崎さんは、幸いなことに、この挽歌を読んでいないはずなので(彼はこういううじうじした文章が嫌いです)、書いてしまいますが、彼は、数少ない「本当の人間の道」を歩いている一人です。
余命宣告を受けたいまも、その言動は変わりません。
彼と話していて、それが伝わってきます。
私もまた、「本当の人間の道」を歩こうと、それなりに心がけています。
神崎さんとは、かなり対照的な生き方ですが、つながっているのは、その点です。
私たちは、どこかで暗黙のうちに、その相互理解があります。
だから、なぜか心が通じたのです。
しかし、私よりも若いくせに、先に逝くとは失礼な話ですが、それが、「本当の人間の道」を歩いてきた結果なのであれば、仕方ありません。
彼がそうであるように、悲しんだり、別れを惜しんだりするのは、やめようと思っています。
「本当の人間の道」を語り合う友が、いなくなるのは残念ですが、どう語りかけたらいいのか、思いもつかないのです。
何やらまた大きな課題を与えられたような気がします。
神崎さんにも、困ったものです。
節子もまた、困ったものでしたが。
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