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2015/03/17

■最近滅入っている理由

以前、ブログで「誠実な生き方」に関して書いたことがあります。
それを読んだ読者から、こんなメールをもらいました。

「誠」の漢字は、「言」(ものをいうこと)と「成」(なすこと)とからなっています。すなわち、「言を成すこと」。これに「実」(まごころ)がついて、「誠実」。
したがって、誠実:(他人や仕事に対して)まじめで真心がこもっていること、というような辞書に書かれている意味になる、ということが、この歳になってようやく分かりました。お恥ずかしい限りです。
私も、「誠」が「言を成すこと」だという認識はありませんでした。
納得できました。

私は「言葉」を大事にしているつもりです。
言葉にしたことは、基本的に実行しています。
自分で発言した言葉には責任を持つようにしています。
その結果、時に不本意な重荷を背負うこともありますが、言葉は多義的ですから、仕方がありません。
武士や経営者が寡黙な理由は、よくわかります。
私も、できるだけ口を慎むべきですが、それができない性格です。
根が武士ではないからでしょう。

最近、これまでになく滅入っている理由は、もしかしたら、こうしたことに関係しているかもしれません。
それで、冒頭に引用した読者のメールを思い出したのです。

「誠」にはまた、相手の「言」を信ずることも含まれるように思います。
自ら「言を成すこと」のであれば、相手の「言を成すこと」もまた信じなければいけません。
つまり、「言を信ずること」、そして「言によって生きること」こそが、私にとっての「誠な生き方」です。
もちろん、その「言」とは、意味のない音符ではありません。
言葉に「いのち」を吹き込むことがなければいけません。

最近、言葉だけの人がまた増えているように思います。
企業の経営管理者たちと話していると、実体のない言葉があふれています。
議論しているようで全く議論がなされていない状況によく出会います。
恐ろしいことに、それでも成り立つ世界が広がっています。
政治の世界も、まさにそうなりつつあります。

「言を成すこと」のであれば、「言」に意味を与えなければいけません。
言葉には「意符」と「音符」のふたつの側面がありますが、両者があってこそ、「言が成る」からです。
音符だけの言葉づかいの人は、決して「誠の人」にはなれないでしょう。
最近は、「誠のない人」が増えてきました。

しかし、と、さらに思います。
まわりに「誠のない人」が増えているのは、私自らが「誠のない人」になってしまったからではないのか。
そう思うと、納得できることが少なくありません。
私自身が、「誠の生き方」をしていないことに気づきます。
世界は、まさに自分が写っている鏡です。

だから、ますます滅入ってしまい、ブログが書けないのです。
不幸の理由がわかったからといって、不幸から抜け出せるわけではありません。
むしろますます不幸になっていく。
そんな気分です。
困ったものです。

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