« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »

2015年4月

2015/04/28

■節子への挽歌2779:野菜を植えました

節子
何かと気分的に忙しくて、また挽歌が書けずにいました。
まあ節子のための仕事も、この間、していました。
花かご会のことです。
いい方向になってきていますので、ご安心ください。

節子から引き継いだ畑も、ジュンたちが手伝ってくれたおかげで、今日はたくさん植えつけました。
とまと、なす、きゅうり、セロリ、ピーマンなど、わが家の農園も農園らしくなってきました。
しかし、身体はかなりボロボロです。
明日は整体にでも行かなと持ちません。
しかし、もしかしたら、内臓系から来ているかと思っていた痛みも、まあ悪化はしていないので大丈夫でしょう。

先週、がんばってマッキーヴァーの「コミュニティ」を読みました。
古い翻訳なので、読むのが大変でした。
それに500頁の大部であり、疲れ切りました。
しばらくは本を読みたくない気分です。
パソコンに向かうのも、あまり気分がのらないのです。

明日も畑で土を耕すという、豊かな1日を目指します。
世間的には連休のようですが、私はいつものように、気の向くままに過ごす予定です。
明日からはまたパソコンに復帰しますが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■シンクロニシティの頻発

最近、私のまわりの時空間が少し乱調しています。
というと大げさですが、ともかくシンクロニシティ現象ともいうべき「偶然の一致」が頻発しているのです。
挽歌編には何回か書いてきていますが、改めて書き留めておこうと思います。

たったいま、友人のSさんから電話がありました。
「その人でしたよ!」というのです。
話はこうです。
松本清張原作の「砂の器」の映画に亀嵩という地名が出てきます。
その映画を観た翌日、Sさんと食事をしたのですが、彼が今度亀嵩への転居を考えているというのです。
連日、亀嵩の名前に出会ったので、驚いたのですが、そこから様々なシンクロが始まりました。
1週間後にある集まりをやりました。
大阪の岡崎さんが話に来てくれました。
岡崎さんもまもなく転居です。
転居先はどこかと訊いたら、「亀嵩」というのです。
しかも、話していたら、岡崎さんの友人の友人も亀嵩に移るかもしれないというのです。
その話をSさんにしたら、Sさんのパートナーの知り合いも亀嵩に移るそうだというのです。
何やらこんがらがってきますが、実は岡崎さんとSさんは3人を通してつながっていたのです。
それがわかって、Sさんは「その人でしたよ!」と電話してきたのです。

岡崎さんは、5年ほど前のある集まりに参加したのが契機になって、人生が変わりました。
その集まりに参加したのが山梨にお住いのHさんです。
私は直接の面識はありませんが、その集まりの受付係でした。
Hさんはメールで申し込んできましたが、申し込みを受理した返信を私は送っていました。
5年以上がたちましたが、お互いに交流はありませんでした。
1週間ほど前に、Hさんから私にメールが届きました。
アドレス違いの間違いメールでした。
そこで間違って私のところに来たことをお知らせするとともに、どうして私のアドレスを知っていたかをお尋ねしました。
それで5年前の集まりに参加したことを知ったのです。
それで岡崎さんが話される集まりのことを伝えしました。
Hさんはわざわざ山梨から参加してくれました。
たまたまの偶然とはとても思えません。

数日前、フェイスブックに「知り合いではありませんか」と見覚えのある人の写真が出てきました。
もしかしたらと思い、Tさんに確認のメッセージを送りました。
ちょうどその時、ある会議の話題で、Tさんは私のことを思い出していたところだったのです。
「なんというタイミング!」と彼女はすぐにメールしてきました。
彼女は北九州市の市役所の職員ですが、その話を3階上にいる私と共通の友人のNさんに連絡しました。
Nさんは来週東京の湯島に立ち寄りたいと数日前に私に連絡してきたのです。
Nさんはすぐさま3階下に降りて行って、彼女といろいろと話したそうです。
Nさんは「何かの計らいのような気がしています」とメールしてきました。

TさんとNさんと私の共通のキーワードは「コミュニティ」と「共創」です。
もう10年以上前に、山形市で「全国地域づくり先進事例会議」を開催しました。
始まりは当時の山形市の日本青年会議所の五十嵐さんと私との雑談から始まりました。
テーマは「共創」。
私の記憶に残る集まりのひとつでした。
五十嵐さんから5月に湯島に行きたいと連絡が入りました。
なんで今なのか?
亀嵩から北九州市の動きは、山形に飛び火しました。
きっとまた何かが起こるでしょう。

長々と書きましたが、こんなことが周りで起こっているのです。
湯島のオフィス近くの階段を上がりきって、前を見たら、先方で手を振っている人がいました。
なんと知り合いのTさんでした。
大昔の本を読み直していたら、なぜかその本の話題が、先週は3回も出てきました。
などなど。
きりがないとは言いませんが、とても偶然などとは思えないのです。

最近はやけに疲れやすくて、時にあっという間に時間がたってしまいます。
きっと私のまわりの時空間にひずみが出ているのでしょう。
そう考えると、すべてが納得できますし、何もしなくても安心できます。
明日は何が起こるでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/26

■いまの社会は生きづらいのか?

昨日は若者を中心としたカフェサロンの第1回目でした。
3月28日に青山学院大学で開催した、映画「自殺者1万人を救う戦い」を観て、大学生たちが語り合うフォーラムを開催したのですが、そこから生まれた集まりです。
4人の若者と大学の先生が2人、それに企業に関わっている人が2人、社会からの脱落者が1人(私です)集まりました。
私にはいろんな意味で興味ある集まりになりました。
若者と大人とが対等な立場で話し合うことが、いまは少なくなっているのかもしれないと感じました。
それと、若者と大人の時間感が違うことにも気づきました。
若者はさまざまな好奇心を持っているのに、それを果たす場や方法がまだ見えていないような気もしました。

秋には、みんなでちょっと大き目の公開フォーラムを開こうというのが当面の仮目標ですが、そのテーマを話しているうちに、「居場所のなさ」「生きづらさ」という言葉が出てきました。
そこで、私は思わず、若者たちに、今生きづらいのですか? と訊きました。
どうもそうではないようだったからです。
いまの社会は、あるいは会社は、居場所のない生きづらいところだというイメージが深く植え付けられているような気がしました。
かつての若者が感じたであろう「生きづらさ」や「生への不安」とは、まったく異質なもののようにも感じました。

無関係な話ですが、以前読んだ山下祐介さんの「地方消滅の罠」(ちくま新書)を思い出しました。
つまり、地方消滅というイメージを広げることで地方を管理しやすくしているという状況に、みんな洗脳されてしまいました。
原発がないとやっていけないという言説も同じものでしょう。
いや、中国が攻めてくるという言説も流布されてきています。
そして、社会は生きづらいという言説。
言説の呪縛の恐ろしさを改めて感じました。
私も考え直さなければいけません。

話が脱線しました。
ちなみに次回は5月23日の午後です。
若い世代(10~30代)の方の参加を大歓迎します。
同時に、若者への敬意をもっている大人の参加も大歓迎です。
若者を管理したり教育したりしようとする人は、私はあまり歓迎しませんが、門戸は開いています。
関心のある人はご連絡ください。
また近づいたら案内します。
20150425


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/25

■節子への挽歌2778:時空間を超えた思いの伝達

節子
シンクロニシティ現象はますます広がっています。
まあ、シンクロニシティをあまりに広義にとらえていることもありますが。

今日も湯島で、あまりにも偶然の出会いがありました。
しかし、挽歌編にはいささか書きすぎたので、最近のシンクロ現象は明日の時評編に書こうと思います。

ところで、昨日、湯島である集まりをやったのですが、そこに5年前に私が進行役を務めたフォーラムに参加してくれた人が参加してくれました。
5年前の集まりで、私が「奥さんを亡くしたことを話したのが記憶に残っている」と話してくれました。
私には記憶がないのですが、たぶんそのころは、何かの拍子につい口走ったのかもしれません。
そしてその人は、そのことが印象に残っていたのです。

その集まりは「自殺多発場所での活動者サミット」という公開フォーラムでした。
そのパネルディスカッションの進行を私がしたのですが、その中で、「自殺も病死も、大事な人を亡くすという意味では同じだ」というような話をしたそうなのです。
その2年後に開催した公開フォーラムではそういうことを間違いなく話したのですが、5年前に話した記憶は全くないのです。
報告書に目を通してみましたが、その記録は見つかりません。
しかし、どこかでそういう感じの発言をしたのかもしれません。
でも、もしかしたら、その方の気持ちが、私の心の中を読み取ったのかもしれません。
その方も、大切な人を亡くした経験をお持ちの方でした。

人は「言葉」を介して考えや思いを伝えあいますが、精神が不安定な、あるいは高揚している状況の中では、時に言葉を介さずに、思いや考えを通じ合わせることが出来るのではないかと、最近思いだしています。
さらに、それは時空間を超えてしまうような気もします。
これ以上書くと「危うい話」になりかねませんが、最近、生命の不思議さを改めて感じます。
ともかく、この2週間、不思議な世界を生きている感じなのです。

ところでどうでもいい話ですが、昨夜、節子の実像がしっかりと出てくる夢を見ました。
あんなに鮮明な節子を夢で見たのは初めてです。
しかし、あれはたぶん私が節子に会う前の節子のような気がします。
見たこともないだいだい色の和服姿で、私とは面識のないような感じで、横を通り過ぎていきました。
私が、声をかけるべきかどうか迷っているうちに、通り過ぎて行ったのです。

夢を意識していると、夢の内容がどんどん変化するようです。
もっとも目が覚めて数分のうちに、内容が思い出せなくなってしまうことは変わりません。
これは年齢のせいかもしれませんが。
さて今夜はどんな夢でしょうか。
明恵の気持ちが少しわかるような気もしてきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■「自死」と「ささえあい」をテーマにしたサロンの報告

毎月、最後の金曜日の夜に開催しているコムケアサロンの今月のテーマは「自死」と「ささえあい」でした。
20代から70代まで、立場もさまざまな人が11人集まりました。
山梨からわざわざ参加してくださった方もいます。
大学生も2人参加してくれました。

ゲストは、大阪豊中市を拠点に活動している「あゆみあいネット」の岡崎さん。
岡崎さんは、小さな時に父親を自死で亡くされています。
父親の自死が、家族をどう変えるか、子供にどう影響を与えるか。
岡崎さんの自己紹介から始まる「物語」は、とても衝撃的であると同時に、心に響くものがありました。
岡崎さんは、5年前に私たちが主催した「自殺多発場所での活動者サミット」に参加してくれました。
岡崎さんの言葉を借りれば、それが人生を変えたのです。
その集まりでの、私の言葉を岡崎さんは覚えてくれていました。

その集まりがきっかけになって岡崎さんは、動き出しました。
それからの経緯は、私のホームページに時々登場しています。
そして、あゆみあいネットを軌道に乗せ、岡崎さん自身もお父さんの出身地に戻って結婚されることになったのです。
その節目として、わざわざ東京まで話をしに来てくれたのです。

岡崎さんの話を聴きながら、一人称自動詞で語ることの大切さ、つまり「当事者」が自らの問題に正面から向かい合い、それを開いていくことの意味を、改めて確信しました。
「自らの問題」を起点にしていくことこそが、深い社会性を創りだすように思いました。
視野をちょっと広げるだけで、実は「自分の問題」がひろく世界につながっていくことに気づくはずです。
そこから、世界は開けていくような気がします。
岡崎さんは、そのことをていねいに話してくれました。
そして、お互いに個人として認め合い、日頃のちょっとした声掛けや接し方を大事にすることこそが、「支え合い」なのだということを気づかせてくれたように思います。
日本社会における「自殺・自死」への位置づけの問題や家族の問題、また電話相談やネットの問題なども話題になりました。
いずれもとても考えさせられる問題でした。

岡崎さんの話がとても素直にオープンだったこともあったと思いますが、参加者も普段はなかなか話せないようなことまで開示してくれました。
自らの問題には限りませんが、みんなそれぞれに背負っているものを、素直に解き放す場が、もっともっとあるといいとも思いました。

そうした中から、「社会の穴」(岡崎さんの表現です)が見えてきたら、それをみんなができる範囲で埋めていくようにしていくことで、社会は豊かになっていくだろうという岡崎さんの話にとても共感します。
ところで、私のまわりでこの1週間、さまざまなシンクロニシティ現象が起こっています。
このサロンでも、それが2つも起こりました。
それについては、改めて書こうと思います。

Photo


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/24

■節子への挽歌2777:シンクロニシティが続いています

節子
先日、シンクロニシティについて書きましたが、その記事を読んだ北九州市の佐久間さんがご自身のブログで、それを取り上げてくれました。
最初は、津波の夢の話ですが、後半の「シンクロ」の記事を取り上げてくれています。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+tenka/20150423/p1

津波の夢の話は、私のブログでは書いたことはないのですが、佐久間さんに前に話したことがあり、今度見た夢があまりに鮮烈だったのでついつい佐久間さんにメールしたのです。
佐久間さんのメールには書きませんでしたが、そして誰にも話していませんでしたが、今度の夢で見た風景は実は月面での風景のような気がしました。
同時に、冥界のような気もしました。
そして、なぜかその冥界がとても貧しい山村につながっていたような気がします。
そのあたりはあまりはっきり思い出せないのですが。

まあそれはともかく、昨日、また「シンクロ」が起きたのです。
それも北九州市がらみです。
それでこれもついつい佐久間さんに伝えたくなって、メールしてしまいました。
こんな内容です。

2003年に、小倉北区でまちづくりトークライブをやったのですが、
その時、その企画をしていた高橋さんの写真が、昨日、私のフェイスブックに、「知り合いではありませんか」と出てきました。
フェイスブックには、そうした仕組みがあるのですが、いつもはほとんど知らない人です。
そこで、高橋さんにメッセージを送りました。
そうしたら、こんなメールが届いたのです。

 本当に懐かしく、そして嬉しい気持ちで一杯です。

 今、北九州は新緑の綺麗なさわやかな季節。
 今週は特に天気の良い日が続いており、
 市役所横の紫川と桜並木の新緑を見ながら昼休みの散歩を楽しんでいます。
 
 今日連絡をいただいて、とても驚いたんです!
  
 実は昨日出席した会議の委員さんから「共創」という言葉が出てきて、
 佐藤さんのことが頭に思い浮かんだばかりだったのです。
 すごいタイミングだと思いませんか?

おやおや、またかと思いました。
ちなみに、「共創」という言葉は、私が会社を辞めて、コンセプトワークショップを創った時の理念なのです。
すでにその前から「共創」という言葉はあったかもしれませんが、当時調べた限りでは見つかりませんでしたので、私が勝手に造語したのです。
まあそんなことはどうでもいいのですが、
1997年に、北九州市で全国地域づくり先進事例会議が開催された時、私は「住民と行政との共創による地域づくり」をテーマに分科会を持ちました。
たぶん行政や地域活動に関して「共創」とい言葉が使われた最初でしょう。
高橋さんは、たぶんその「共創」という言葉に共感してくれたのです。
そして、小倉北区役所に異動になった時に、まちづくりトークライブを企画し、私を呼んでくれたのです。
その様子はいまもホームページに残っていることを高橋さんは教えてくれました。
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000028095.pdf

実は、そのメールが来る前に、社会教育の関係者と新しい社会教育プロジェクトを、まさに「共創」するミーティングをやっていたのです。
5月1日に北九州市の市役所の人が湯島に来たいというメールも前日に届きました。
それも何年ぶりかのメールでした。
他にもまだちょっとしたシンクロニシティが起こっているのです。

ともかくいささか不思議な気分になって、佐久間さんに今朝またメールしたのです。
最後に余計な蛇足をつけてしまいました。

シンクロニシティは起こりだすと際限がなく、どこをどう発展させるかですね。 私の場合、いつも途中で動かなくなるので、なかなか発展はしなくなりますが。
佐久間さんからやはり返信がありました。
佐藤さんも、ぜひ、北九州にお越し下さい! それが宇宙からの贈り物であるシンクロを止めないことだと思います。
さてどうしましょうか。 前々回は、こうして誘われたところに行くのを止めたためにシンクロは止まったのです。 あの時、もしそこに行っていたら、私の前世のことが分かったかもしれません。 今度は来世を見るシンクロでしょうか。 行くべきか止めるべきか。 もっとも今回は、まだ場所の啓示は降りてきていないのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/22

■節子への挽歌2776:知への渇望感

節子
今日は花かご会の総会だったようです。
私も花かご会の関係で、いろんな人に会いだしています。
節子の遺言ではありませんが、節子だったらどうしたかなと思いながら、その想像の範囲をかなり超えて、私自身の思いが生まれてきてしまっています。
節子だったら、たぶんそこまでやらないでよと言いそうです。
注意しなければいけません。

しかし、一つの活動をとってみても、そこからいろんなことが見えてきます。
昔節子が言っていたことを思い出しながら、それとなく反芻したりしています。

同時に、畑もまた頑張りだしています。
腰の痛さもあって、無理はできないのですが、目に見えて成果が出てくる仕事はいいものです。
楽しいとまではまだ行きませんが、がんばれます。
今日もまたジャガイモを植えてきました。
わが家にあったジャガイモが芽が出だしていたので、全部植えてしまいました。
きちんとした種イモではないので、どうなりますことか。

作業をしていたら、近くの農家の青木さんが話に来ました。
人と話していると、ますますがんばれます。
それで今日もまた、ついついやりすぎてしまいました。

午後からは来客でしたが、その人も農業に関わる活動もしている人でした。
加えて最近は福祉の仕事も始めたそうです。
こんな身近にも、福祉と農業に関わっている人がいました。
話していたら、もう一人、共通の知人がわかりました。
地域での活動はこうして、広がっていくのでしょう。
少しずつ具体的な活動に入りだせそうです。
節子がいないのが、いささか心細いですが。

そんなわけで、今日は午前中からずっと地域活動になりました。
どこまで深入りするか、ここは少し考えなければいけません。
しかし、少し動きだすと、どんどん地平が開けていく。
困ったものです。
実は、その一方で、最近、知への渇望感が強まっています。
若いころに、なんでもっと勉強しておかなかったのか。
それなりに読書はしてきたつもりですが、肝心の本をあまり読んでこなかったような気がしてなりません。
もう少し此岸にいるうちに、知に触れる喜びを楽しみたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■5月9日と10日は我孫子手づくり散歩市でカフェを開きます

5月7日から22日まで、我孫子アートな散歩市が開催されます。
その一環として、昨年は中止になった「我孫子手づくり散歩市」が復活します。
わが家にある娘のスペインタイル工房 Taller de Junも参加しますので、以前のようにもし雨が降らなければ、工房の横の庭で、私がオープンカフェを開きます。

カフェのオープンは、5月9日と10日の2日間で、時間は10時から午後4時までです。
コーヒー(無料)だけですが、もしよかったらお立ち寄りください。
できれば昼食時は避けてもらえるか、各自サンドウィッチ(ご自分用)でもご持参いただければうれしいです。

例年、いろんな人が立ち寄ってくれて、いろんな話がはずみます。
場所は、手賀沼公園の近くのわが家です。

我孫子駅南口前の「アビシルベ」(我孫子インフォメーションセンター)に散歩市の地図があると思います。
下の図を拡大してさがしてもらう場合は、K(左下の方)です。
手賀沼公園から徒歩5分ほどです。

Img049Map


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/21

■節子への挽歌2775:シンクロの動悸

節子
またシンクロニシティです。
今回は少し深い意味を感じます。

いま30年ほど前に読みかじった(途中で挫折)マッキーヴァーの「コミュニティ」を読んでいます。
さすがに2~3日では読めずに、もう4日前から読んでいますが、なかなか進みません。
並行して、河合隼雄さんの「明恵 夢を生きる」を読み出しました。
これも1日で読めると思ったら、かなりの難物で、3日かかりました。
ところがいずれも今日読んだ部分が、同じ内容に感じたのです。
河合さんの本の最後に、華厳経の事事無擬の法界の話が出てきます。
昔、私の目を啓いてくれた「インドラの網」の話です。
すべてはすべてに宿っているという話です。

その本を読み終えて、開きっぱなしになっていた「コミュニティ」を途中から読みだしたら、こんな文章に出会いました。

全有機体の福祉は、部分すべての福祉のなかに見出される。「一人の成員が苦しむとすべての成員もともに苦しむ。あるいは一人の成員が栄誉を賜わるとすべての成員もともにそれを喜ぶ」。それ故に個人に関して、有機体の福祉を追求する関心には葛藤がない。(「コミュニティ」143頁)
これだけでは、何がシンクロニシティだと思われそうですが、私にはシンクロしている動悸さえ聞こえそうな気がします。
なぜ今、この2冊の、古い本を読む気になったのか、それも含めて、私にはとても偶然とは思えません。
あまりの驚きに、場違いとは思いながら挽歌に書いてしまいました。
謎解きは、これからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/20

■節子への挽歌2774:3人目にならないように

節子
ユカが、昨日、駅からの帰り道で、倒れている高齢者に出会いました。
私と同世代だったようです。
声をかけたら意識がもうろうとしていたようで、携帯電話で救急車を呼んだそうです。
近くの段差で転んだようで、腕が大きく切れていて、出血していたそうです。
私も注意しなければいけないという話になりました。

今日は次女のジュンが電車の中でやはり私くらいの男性が突然倒れたのに出くわしたそうです。
その人はすぐに立ち上がり、事なきを得たようですが。
お父さんも注意しないといけないと言われました。
私はあんまり注意しない人だからです。

連日、私と同世代の人が倒れる現場に、なぜか娘がそれぞれ居合わせたわけです。
3人目は、私かもしれません。
それで飲み忘れていた高血圧の薬を急いでのみました。
そういういい加減な生き方が問題なのだといつも言われていますが、性分ですから、仕方がありません。
困ったものです。

しかし、この歳になると、いつどうなるかわかりません。
実は畑で作業をしていて、時にめまいを感ずることがあります。
その時は、無理をせずに、畑の上に横になります。
先週もおかしくなり、20分ほど横になっていました。
なぜかちょっといい気分でもあります。
このまま静かに往生するのもいいな、などとは決して思いませんが。

今日、フェイスブックでまだ若い知人に、誕生日メッセージを送りました。
そうしたら、彼から返信が戻ってきました。
「最近は寄る年波にはかてなくなりつつあります」と書いてありました。
この知人は、40代です。
40代で「寄る年波」?
70代の場合は、なんといえばいいのでしょうか?

まあいずれにしろ、もう少し生きる必要が出てきているため、少しは気をつけようかと思いだしています。
お天道様のお声がかからなければですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌2773:人は生き、人は死ぬ

節子
しばらく連絡がなかったKさんから電話がありました。
節子もよく知っているKさんです。
奥さんのがんが発見されたのだそうです。
妻は誰にも言うなというのですが、佐藤さんだけにはお伝えしたくて…。
おふたりの気持ちがよくわかります。
私たちもそうでした。

当人はだれにも話したくなくなり、その伴侶は一人で背負い込むにはあまりに重くて、誰かに言いたくなる。
私たちもそうでした。
ただ、私たちの場合、ちょっと違っていました。
楽観主義者の節子は、健康診断で胃がんがわかった後も、最近は技術も進歩しているし、早期発見のがんは治るからと、手術検査をする前はとても明るく、友達にも話していたのです。
ですから知っている人は少なくありませんでした。
しかし、そのがんが、進行性で、しかもかなり進んでいることがわかってからは、節子は語らないようになりました。
それとは逆に、私は無性に誰かに相談したくなってしまいました。
相談しても、あまり意味はないのですが、なにかのひかりを得たかったのです。

Kさんにどう応えたらいいでしょうか。
私は、どうも人を慰めるのが不得手です。
どうもそれは、私の死生観にあるようです。
人は生き、人は死ぬ。
それに抗うことなく、従容と従うのがいい。
生かしてくれる命は、医学とは関係なく、生かしてくれる。
節子との別れを体験して、5~6年経って、そういう心境になってきました。
そう思わなければ、どうにも心が安まらないからです。

Kさんご夫妻の平安を祈るばかりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/19

■節子への挽歌2772:悪いこともあれば良いこともある

節子
今日は読書できませんでした。
日中はお客様が来たので読書できませんでしたし、夜になったらまた「事件」発生で、何やら本を読む気がしなくなってしまいました。
それに、たった今、その当人から電話がかかってきて、いささか気分が滅入ってしまいました。
ヘイトスピーチではないのですが、まあ、その類の電話です。

私は、自らをかなりオープンにしていますし、好き嫌いもそれなりに明白にしています。
ですから時々とんでもないメールが来ますが、電話はあまりありません。
今回は、私が主催した会でのある人たちの発言が、ある人の気分を害したようで、その腹いせが私に回って来たようです。
かなり酔っているような電話でしたが、かなりの暴言を浴びせられました。
相手が、「あの発言はあり得ない、恥を知れ」というので、さえぎって、そんなことはないと説明をしようとしても、一方的に早口にヘイトスピーチです。
面倒になったので、電話を一方的に切ってしまいました。
こういうことがあると嫌になりますが、まあヘイトスピーチをする人もまた、追い詰められているのでしょうから、それも理解しなければいけません。
しかし、実に疲れます。

今日はそれだけではなく、もう一ついささか腹立たしいことがありましたが、悪い時には凶事が重なるものです。
しかし、うれしいこともありました。
昨日、知らない人からメールが届きました。
続けて、先のメールはアドレスを間違えてしまい、すみませんというお詫びのメールが届きました。
しかし私のアドレスを知っているということは、どこかで私と接点があった人のはずです。
いろいろと調べてみましたが、思い出せません。
あいにく、パソコンを昨年買い替えたので、それ以前のメールの記録はありません。
そういう時は、本人に訊くのが一番です。

今朝、返事が来ました。
6~7年前に開催した、自殺防止活動に関わる公開フォーラムに参加してくれた人でした。
参加申し込みを受けた人には、必ず私は返信をすることにしていますので、それでアドレスが記録されていたようです。
その人は私のことを少し覚えてくれていました。
妻を亡くしたことも、です。
そんなことまで、そのフォーラムで話してしまったのでしょうか。
あの頃は、まだ私は精神的にかなり危うかったのですが、何を話したのかいささか気になります。

実は、たぶん同じ集まりに、大阪から参加してくれた自死遺族の人がいます。
彼女は、その集まりに出て、何かをしようと思い立って、5年前にグループを立ち上げました。
苦労の甲斐あって、グループは軌道に乗り、結婚を契機に、その活動を卒業することになりました。
その岡崎さんが、来週は東京に来てくれて、湯島での集まりに話をしてくれることになりました。
私も、少しは役に立てたかもしれません。
そして、その直前に、同じフォーラムに参加してくれていた人と、偶然のアドレスミスでつながったのです。
なにかの縁を感じます。
その方も、岡崎さんのサロンに山梨から参加してくれることになりました。
なんだか、私には、少し報われたような気がします。

自宅に居た割には、いろいろとドラマのあった1日で、読書は全くできませんでした。
凶事のトラブルの方は、まあ少しやり過ごそうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌2771:疲れる夢をよく見るようになりました

節子
明恵の夢の話を書いたせいか、最近、夢ばかり見ています。
それもかなり見ていて「疲れる夢」なのです。
最近は、あまり熟睡することがなく、夜中によく目が覚めますが、必ずと言っていいほど、夢で目覚めます。
目覚めるとトイレに行きたくなり、行ってしまうのですが、ベッドに戻ってくるともうその夢が思い出せません。
ただ、なにか宿題をもらったような夢だったことだけは思い出せます。
それを思い出そうとしても思い出せず、眠ってしまうと、また違う夢を見ます。

白洲さんの「明恵上人」は講談社学芸文庫版で読んだのですが、河合隼雄さんが解説を書いていました。
それが面白くて、その河合さんの書いた「明恵 夢を生きる」を図書館から借りてきて、読み出しました。
夢の事がたくさん書かれています。

私も昔は、夢の中で夢を見たり(記憶では3層の夢を見たことがあります)、夢をコントロールしたりできたのですが、最近はそういうことが出来なくなりました。
実際の生活そのものが、「夢」のようになってしまったからかもしれません。
ただただ受け身で「疲れる夢」を見るようになってきています。

疲れるというのは、講義を聞いたり、講義したり、あるいは議論したり、宿題を背負わされたり、そんな内容なのです。
しかし、そうしたことの肝心の内容が目覚めると思い出せない。
なにかやらないといけないという気持ちだけが残ってしまう。
だから疲れてしまうのです。
夢のことを話し合う相手がいないので、思い出せなくなってしまったのかもしれません。

なんとなく思い出せることもあります。
一昨日は目覚めた時に、もしかしたらこれは正夢かもしれないので、彼から電話が来るかもしれないと思ったことを覚えています。
しかし、お恥ずかしいことに、朝食をすませたら、もう思い出せないのです。
「彼」というのがだれだったかも思い出せません。
昨日一日電話を待ちましたが、心当たる人からの電話はありませんでした。
朝にそう思ったことが、夢だったのかもしれません。
そうだとすれば、ますます私の生は、夢に近づいているようです。

今日は、読み出した「明恵 夢を生きる」を読もうと思います。
天気も悪いので、読書日和です。
最近、よく本を読むようになりました。
読書もまた、夢と同じようなものかもしれません。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/17

■節子への挽歌2770:仏眼仏母像

節子
久しぶりに、白洲正子さんの「明恵上人」を読みました。
読んでいて、ほとんど内容を覚えていないことに気づきました。
と同時に、私にはとても共感できる話ばかりでした。
だから、久しぶりに明恵上人の像を見て、気になりだしたのかもしれません。

久しぶりに、明恵上人の像を見たのは、先週のテレビの「高山寺」の紹介番組です。
先日も書きましたが、高山寺には節子と一緒に行ったはずですが、記憶が引き出せません。
それで、さらに気になって、白洲正子さんの「明恵上人」を読み直したのです。
残念ながら、記憶はもどってきませんでした。

同書の最初の方に、2つの絵のことが書かれています。
「明恵上人樹上座禅像」と「仏眼仏母像」です。
いずれも高山寺にある有名な絵です。
「明恵上人樹上座禅像」はたくさんのものを感じますし、私も好きな絵です。
しかし、「仏眼仏母像」はテレビでの説明にもかかわらず、私には何も伝わってきませんでした。
白洲さんが本で書かれていたことも、すっかり忘れていました。
本によれば、白洲さんも最初はこの絵に違和感を持っていたようです。
ところが、現物を見て、納得したのだそうです。
そのことが、とても興味深く書かれていました。
それで改めて、録画していた高山寺の番組を見直し、「仏眼仏母像」をじっくりと見直しました。
繰り返し見たのですが、やはり納得はできませんでした。
正直、好きにはなれません。
ご存知の方も多いでしょうが、「仏眼仏母像」を掲載しておきます。
Butubo_2
実物は2メートル近く、つまり等身大ほどに大きいのだそうですが、大きさが大切なのかもしれません。
この「仏眼仏母像」は、明恵の持仏でした。

人は、写真や絵や像の中に、何を見るのでしょうか。
節子が葬儀用にと選んだ写真は、すでに病気がかなり進んだ時のものでした。
最後の家族旅行の時の高原での写真です。
その写真は仏壇に供えられているので、今も毎朝見ていますが、
節子はなぜこれを選んだのでしょうか。
明恵が「仏眼仏母像」を持仏にしたように、節子にはしっかりと意味があったのでしょう。
私もその写真をいつも持っていますが、あんまり私を護ってくれていないような気がします。
困ったものです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/15

■戦争反対カフェサロン女性版を一緒に企画する人はいませんか

よせばいいのに、戦争反対カフェサロン女性版の呼びかけをしてしまいました。
呼びかけ方への批判が2人の女性から届きました。
私に「偏見」を指摘されました。
「偏見」は個人的意見でもありますので、褒められた気もします。
同時に、賛成という方が4人連絡してきました。
うち3人は福祉関係の仕事をされている方です。
もう一人も福祉分野での大学の先生です。
条件をクリアしたので、開催しないわけにはいきません。
しかし、どうも私の呼びかけの趣旨は伝わらなかったようです。
幸か不幸か、みんなの日程の調整をしてみたら、一番早くて6月27日でした。
ですから急がなくても大丈夫です。
そこで、まずは実行委員会を呼びかけることにしました。

ところで、この呼びかけのおかげで、示唆に富むことをふたつ教えてもらいました。
ひとつは、山形市で、子どもたちへの絵本の読み聞かせをしている女性からです。

長谷川義史さんの「①ぼくがラーメン食べてるとき」「②へいわってすてきだね」を読んでいます。
①は、遠い国の出来事と思っていることも、以外と近くで起きていることを教えてくれます。
②は、平和のために自分のできることからがんばろう!というメッセージを伝えてくれます。

早速、①を図書館で探して読んでみました。
そうか、これが女性の感覚なのかと感心しました。
3回読みましたが、たしかに平和の書です。
もしこの本に出会えたら、ぜひお読みください。

もう一人の女性からは、その方の友人の書いた「奇跡はつばさに乗って」(源和子 講談社)を紹介してもらいました。
これも早速読んでみました。
平和な世の中をつくるために必要なことは、「赦すこと」「認め合うこと」と書かれていました。
とても共感できました。
私の友人は、その本との出会いで生き方を変えたようです。

さて、こうしたことも踏まえて、戦争反対カフェサロン女性版を一緒に企画する人を改めて募集します。
誰かが開催する会に参加するという呼びかけではなかったのですが、どうもそういう感じで受け止められてしまったようです。
そんな会は山のようにありますから、私には興味はないのですが、どうもそれが伝わりませんでした。
困ったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌2769:花かご会がちょっとだけピンチです

節子
花かご会の山田さんと黒武者さんが相談にやってきました。
花かご会は、我孫子駅南口前花壇の手入れをやろうと、節子たちが12年前に立ち上げたグループです。
我孫子駅の南口は我孫子市の玄関でもあり、そこからまっすぐに10分ほど歩くと我孫子市のシンボルの一つの手賀沼公園です。
いまはそこへの道は、狭いため、歩きやすくはないのですが、まもなく一方通行になり、道路も整備される予定です。
そうなると、駅から手賀沼への道は、ますます我孫子市の看板になっていくでしょう。
花かご会の役割が強まってくるはずです。
ところが、どうも実状はそうでないようです。

我孫子市は今、観光にも力を入れていますので、玄関の我孫子駅前はもう少し整備したほうがいいと思いますが、なかなかそうはなりません。
駅前商店会もあまり機能していません。
花かご会の活動はもっと評価されていいと思いますが、いまは本当に見えないところで頑張っているグループです。

節子がこの活動を構想していた時、私は、どうせなら我孫子市全域を視野において、「花咲かおばさんの会」という名前で、我孫子市全体に花を広げたらと提案しましたが、受け入れられませんでした。
花の苗の費用も、住民から寄付を仰いだらどうだとも提案しましたが、だめでした。
そのころは、まだそうした活動はあまり例がなく、先駆的な活動として、県からの補助金ももらえたのだそうです。
ところが、最近はそうした活動は広がってきているため、資金助成が受けにくくなってきているのだそうです。
来年度から花の苗の費用も、これまでのようにはもらえなくなったのだそうです。

さてどうするか。
私が昔、三沢市から相談を受けたような話です。
でも、駅前の花壇です。
ちょっと問題は違うような気もします。
まち全体のデザインの問題かもしれません。

助成金がなくなったというのは、私にとっては「グッドチャンス」なのですが、節子であればともかく、山田さんや黒武者さんに、それを強く勧めるわけにもいきません。
それには、それなりの苦労があるからです。
しかし、その気になれば、面白い物語が生み出されるかもしれません。

さて何ができるかを少し考えてみようと思います。
節子ならどうしたでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌2768:新しい経済を生きる

節子
昨日は長い夢を見ました。
残念ながら節子とは無縁の夢でした。
私が、新しい経済の枠組みについて話をしている夢でした。
話し手であるくせに、同時に私は聴き手でもありました。
聴き手の中に節子がいたかどうかはわかりませんが、気配は感じました。

おかしな話ですが、その中でいくつかの新しい気づきがありました。
起きてすぐにメモすべきでしたが、3時間以上たったら、もう思い出せません。
何かとても大きな気づきがあったような気がしますが、大した話ではないのかもしれません。
まあこれは時々あることなのです。
残念ですが、しかたありません。
それにしても、夢とは不思議なものです。

新しい経済の捉え方は、私の生き方につながっています。
その模索から始まった、私の関心事ですので。
できれば、私の第4期(第4四半世紀)は、その生き方を夫婦で実現したかったのですが、残念ながらそうはならずに、私は今も、長い第3期の延長の生き方を続けています。
しかも、ここにきて、お金に囚われてしまった面もあって、いささか不本意な生き方になっています。
これも節子がいなくなったためと言いたいのですが、そういったところで何も変わりません。
しかし、伴侶を喪うと、人は時に道を踏み外します。
困ったものですが。

それでも、新しい経済に関しては、かなり実態を感じられるようになってきました。
生き方を変えて、もう26年なのですから、そうでなければいけませんが、なんとか26年も生き続けてきたことは、それなりに確信になってきました。
それでも、その生き方を誰かに勧めたり、実践的に指南することなどできません。
新しい生き方は、自らを素直に生きる人が増えることによってしか実現しないでしょうし、そうした生き方は「スタイル」ではなく「価値観」としか言えないからです。

現実の社会では体系化できないが故に、夢の世界で、話をしていたわけです。
しかし、その夢の中の講義も、途中で目が覚めてしまいました。
最後の結論には達しなかったわけです。
もう少し、いまの生き方を続けるしかありません。
あるいは、夢の続きを見せてもらうしかありません。
今度は目覚めたらすぐにメモをしようと思います。

今日は天気予報と違って、とてもいい天気です。
今日は自宅にいます。
午後から天気は荒れるとも言われていますが、いまのところ、その気配はありません。
節子の友人たちが、わが家に来るので、降らなければいいのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/14

■節子への挽歌2767:明恵上人に会いたくなりました

節子
最近また夢をよく見ます。
寒いからかもしれません。

時に女性の夢を見ます。
なぜか別れの夢です。
明らかに節子ではないのに、節子のように思えることがあります。
不思議なことに、その内容はほとんど思い出せませんが、どことなくあったかくて悲しい感じが目覚めた時に残っています。

先日、テレビで京都栂尾の高山寺の番組を観ました。
高山寺は、たしか節子と一緒に行った記憶がありますが、テレビを見ていてもなかなか記憶が戻ってきません。
西明寺や神護寺は思い出せるのですが、高山寺のイメージが出てこないのです。

高山寺の開祖は、華厳密教を打ち立てた明恵上人です。
残っている明恵上人像の表情はとてもあったかで、会っただけで安堵できます。
明恵は、すべての人を差別しなかったと言われます。
華厳密教と言いながら、とても人間的な信仰を貫いた人だったようです。
白洲正子さんの「明恵上人」を読んだのは、もう30年程前でしょうか。

明恵上人は毎日の夢をしっかりと書きつづった「夢記」という作品を残しているそうです。
そこには女性も出てきます。
明恵は、愛がなければ仏教はわからないと言ったそうです。
もちろんその「愛」は「愛欲」「愛執」ではなく、「法愛」を指すのでしょうが、私には「愛」は一つしかありません。
素直な愛であれば、他者から見れば、「愛欲」に見えても「愛執」に見えても、私には「愛」です。
あえて、「法愛」だとか「博愛」などということ自体に、小賢しさを感じます。

しかし、夢の中で、なぜ節子はいつも、形がないのでしょう。
あるいは違った人の形で現れるのでしょう。
節子の顔を、夢で見るのは、たぶん1年に1回くらいです。
それがちょっと不満ではありますが。

久しぶりに「明恵上人」を読み直したくなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■なにが社会の方向を決めるのか

福井県の高浜原発の3・4号機について、福井地方裁判所は「国の新しい規制基準は緩やかすぎて原発の安全性は確保されていない」という判断を示し、再稼働を認めない仮処分の決定を出しました。
異議申し立てなどによって、この決定が覆らなければ、高浜原発は再稼働できなくなったと報道されています。
この報道に接した時に、久しぶりに私は気分が明るくなりました。

しかし、すぐにまた心配になってきました。
関西電力は異議申し立てをし、政府は相変わらず強権を発揮し続けるでしょう。

沖縄の辺野古の工事に関しても、翁長知事が行政不服審査法に基づいて、工事差し止めの申し出でをしたところ、なんと政府は農水省に、その執行停止を申し立てるというおかしなことを行い、それが認められて作業は継続されています。
良識をお持ちだと思っていた林農水相が、たんたんと行政不服審査の無効を宣告している姿を見て、権力機構の恐ろしさを垣間見ました。
行政不服審査法の目的は、行政庁の処分に不服がある国民の権利を守ることであり、「行政機関同士の争いに用いられたケースは極めて異例で、専門家からも疑問や批判が出ている」と毎日新聞では報道されていました。
国民の不服の制度が、お上の強制の制度にもなってしまっては、どうしようもありません。
私にはわけのわからないことですが、制度的にはそれが成り立つのでしょう。
ですから、今回の高浜原発に関しても、政府は強権で原発再稼働に取り組むのでしょう。

こうした「道理」よりも「無理」が通るのが、いまの日本の社会の実態ですが、言い方を変えると社会の仕組みが壊れていて、統治不能になっているのかもしれません。

猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』を読みました。
読んでいなかったのですが、友人から紹介されました。
そこにこんな文章が出てきました。

「東條なら陸軍を抑えられる」という木戸内大臣の窮余の策が東條総理大臣誕生につながった。が、結局その作戦は水泡に帰した。東條の力でも開戦への趨勢をとめえなかった。国務と統帥に二元化されたわが国の特殊な政治機構は、個人の力では克服できない仕組みになっていたのである。

敗戦が確実であることを知った、時の天皇と首相は戦争を避けようと考えていたが、止められなかった。
それは、統治の仕組みの欠陥によって、誰も止められなかったのだと、猪瀬さんは書いています。
人間が社会の行く末を決めるのではなく、社会それ自体が時代の方向を決めていく恐ろしさを感じます。
そこではもはや人間は、「部品」でしかありません。

一時の明るい気分は、すっかり吹っ飛んでしまいました。
また気が沈んできています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌2766:自分への気づき

節子
今年もまた敦賀の義姉から大きなタケノコが届きました。
私は、タケノコが大好きなのですが、私が住んでいる界隈のタケノコは、まだ放射性汚染の関係で食べられません。
だから西日本からのタケノコは、とてもうれしいのです。
最近は毎日、畑で笹と格闘していますが、その親分のようなタケノコを食べてしまうのもまた、気分のいいものです。

節子がいなくなってから、私の食生活はたぶん大きく変わりました。
娘の嗜好と私の嗜好は、大きく違うからです。
もしかしたら、節子も私とは違っていたのかもしれませんが、私にかなり合わせてくれていました。
私は基本的には野菜と海藻好みであり、それも味付けは醤油中心なのです。

タケノコは、たぶん私だけが好きなのです。
セリも大好きですが、娘たちは食べません。
その一方で、娘が好きな西洋野菜は苦手なのです。
娘に言わせると私は好き嫌いが多いので、食事作りが面倒だと言います。
それなのに、私自身、好き嫌いがないと思っているのは、節子がたぶん私に合わせてくれていたからでしょう。
いろんな意味で、節子のおかげで、快適だったわけですが、それは自分のことに気づかされていなかったということでもあります。
節子がいなくなってから、そのことがよくわかります。
もちろんだからと言って、節子を恨んだりはしていません。
感謝してはいますが。

伴侶の存在は、自分の欠点を気づかせてもくれますが、見えなくしてしまうこともあります。
それは、また人とは「個人」単独ではそんざいしていないものだということも教えてくれます。
節子がいなくなってからもなお、節子と一緒だったころと同じように、節子からいろんなことを気づかされています。

今日も寒い1日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■自死問題に取り組む「あゆみあいネット」の立ち上げからのお話を聴きに来ませんか

毎月、最後の金曜日の夜は、湯島で「大きな福祉」をテーマにしたサロンを開催しています。
今月(4月24日)は、「自死」の問題を考える「あゆみあいネット」(大阪)の岡崎さん(ご本人も自死遺族)が話に来てくれることになりました。
私は、岡崎さんの活動をずっと横から見せていただきながら、時にはその活動にも参加させてもらってきました。
そこで、一人の個人が、当事者として社会的な組織活動を立ち上げていく過程を共体験させてもらいました。
私自身も、岡崎さんからはいろいろと気づかせてもらいました。
今回は、岡崎さんの話から、活動によって人はどう変わるのか、を考えるとともに、改めて、「人と人とのつながりの支え合い」について、話し合えればと思います。
岡崎さんは、一人称でご自分の変化などを素直に語ってくれると思います。
学ぶこと、気づかされることの多い集まりになるはずです。
ぜひ多くの人に参加していただきたいと思、ここでもご案内させてもらうことにしました。

岡崎さんからのメッセージを下記します。

「自殺って言えない」がために、どこの誰に助けを求めていいのかわからない状況の中にいて20年くらい孤立していた私が2009年に東京であった自殺関係のフォーラムに出て、そこでコムケアというゆるやかな人のネットワークと出会ったことで一度にこれまでの視界が変りました。「豊中に帰ったら、助けて!と言えそうな人に自分の状況を伝えて、その人とつながってどうしたらいいのか考えることからやってみよう。今の苦しい状況が何か変わるかもしれない。」と、期待を持ったのが始まりで今のあゆみあいネットがあります。この「助けて!」を豊中で言えたのは、その声を受け止めて聴いてくださる豊かな人と人とのつながりがあったからです。
私は自死というハードルでしたが、誰しもが暮らしの中でどこに助けを求めたらいいのかわからないような課題に遭遇したときに「助けて!」と手を伸ばせる人と人とのつながりのネットワークがあれば、安心して暮らせると思います。
あゆみあいネットは佐藤さんやそれぞれの立場で自死の問題に取り組んでこられた人との出会いによってできました。その実体験をお話したいと思います。
あゆみあいネットを支えて見守っていただいたお礼の気持ちと一緒に、人と人とのつながりの支えのおかげをもってこの5年間に私が体験したことをお伝えして、それをきっかけに新しい気づきを共有しながら、みなさんと一緒に考えられる時間を過ごせたらいいなぁと思っています。

●日時:2015年4月24日(金曜日)午後6時半~9時
●場所:湯島コムケアセンター
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
●話題提供者:岡崎麻子さん(あゆみあいネット)
●参加費:500円
●申込先:comcare@nifty.com

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/13

■節子への挽歌2765:感受性を高めなければいけません

節子
最近また、偶然の一致が周りで起こりだしまいた。
まあ小さな話が多いのですが、例えば、昨日、テレビに録画していた松本清張の「砂の器」を見ました。
玉木宏と小林薫の2011年版(テレビ朝日)です。
前にも見ているのですが、なぜかまた見たくなったので、録画していたのです。
そこに、島根県の亀嵩という場所が出てきます。

今日、杉原さんと食事をしたのですが、杉原さんの地方転居の話になりました。
前から聞きいていましたが、どこに行くのかは詳しくは聞いていませんでした。
ところが、その場所が亀嵩だというのです。
おやおや。

ある集まりのゲストが決まりませんでした。
苦肉の策として、あの人に相談してみようかと思っていたら、その人からメールが来ました。
しかも今度の集まりに話をさせてくれないかというメールです。
もちろん喜んでお願いしました。
などなど。

まあ、いずれも大した一致ではありませんが、時々、こういう時期がやってきます。
なにかが起こるかもしれません。
こういう時には、感受性を高めておかなければいけません。
気が弱まっているために、何か見落としていることがあるのかもしれません。
なにかが始まるといいのですが。
どうも最近は退屈で仕方がありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/11

■節子への挽歌2764:ユリとバラ

節子
ユリの大輪が節子に供花されています。
気がついていますか?
供えられてから、もう1週間近く立つような気がしますが、4つ目のつぼみが今日、開きました。
日中はあまり気づきませんが、夜、戸を閉め切ってそこにいると、ユリの香りが充満しています。
私の大好きな香りです。

花好きの節子でしたから、供花だけは欠かさないようにしています。
できれば毎日、ユリを飾りたいところですが、そうもいきません。
節子のための花基金も底をついてしまっていますので、最近は、大輪のユリは月に1回程度になっているかもしれません。
節約して、小さなユリになったり、ユリがなかったりしています。
まあ、節子は別にユリにこだわっていないでしょうから、いいでしょうが、やはり節子の前に大きなユリが咲いていると、私はなぜかホッとします。

しかし、考えてみると、節子が好きだったのは、バラでした。
それも真紅のバラでした。
私のイメージには合わないのですが、好きだったので仕方ありません。
ユリが好きだったのは、私かもしれません。
だから節子はよくユリを活けていたのかもしれません。

いや、考えてみると、それもまた私の思い込みかもしれません。
バラとユリとどちらが好きだったか。
もしかしたら、そこに私の節子へのイメージがあるのかもしれません。
そしてそれが少しずつ変化してきているのかもしれません。

純白でもなく、真紅でもなく、黄色のようなあったかい色が節子の好みだったような気がしてきました。
私の記憶の中の節子は、いまもなお変化しているようです。
思い出は、いかようにも変えられるようです。
困ったものですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌2763:時間は関係性の中にこそ存在する

節子
今日も冬のような寒い日です。
私の心情と同じく、いつになってもあったかくなりません。
困ったものです。

さて、友人の博士論文の議論に付き合っています。
こういう相談は楽しくていいです。
それなりに頭は使いますが。
論文のテーマの一つは、時間論です。
時間はいったい誰のものか。
その友人と話していると、いろいろと考えることが多いのですが、
節子との関係で時間を考えると、いろんなことに考えが広がります。

博士論文を書いている友人の発想の起点は「時間の私的所有」ということです。
時間が私的なものになったために、逆に人は時間からも疎外されだしたというのです。
自分のものになった途端に、奪われてしまったというわけです。
とても共感できます。
そもそも時間は、自分のものになどならないのですが、近代はそう擬制したのです。

誰かを愛すると、そのことがよくわかります。
誰かを喪うと、さらによくわかる。
時間は、関係性の中にこそ存在し、誰のものにもならないのです。
時間のことを考えれば考えるほど、そういう思いになってきます。

明後日もう一度、友人とそんな話をすることにしました。
節子も知っているように、私はこういう話がとても好きなのです。
節子は、わけのわからない、こういう話によく付き合ってくれました。
あの頃がとても懐かしいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■改めて鳩山元首相を尊敬します

昨日のBS日テレの「深層ニュース」は「鳩山元首相の行動の謎」と出して、ゲストの一人に私が尊敬する鳩山由紀夫さんが出演していました。
先日、紹介した「プライムニュース」とは違って、私はこの番組はいつも途中で見るのをやめることが多いのですが、昨日は最後まで見ました。
しかし、そのおかげで、極めて不愉快な夜になってしまいましたが。

「プライムニュース」と違って、この番組は、キャスターがあまりテーマに関する勉強や準備をあまりしていないように思えて、掘り下げが全く「深層」ではないので見ていて退屈どころか嫌になってくるのです。
昨日はとりわけひどかったです。
女性のキャスター(名前は避けますが)が、鳩山さんを「告発」するようなぶしつけな発言が多く、見るに堪えなかったのですが、鳩山さんはほぼ最後まで、それにも誠実に対応していました。
このキャスターは、鳩山さんに「反省していますか」「(これから)うまくやれますか」などという発言をしていたのです。
しかも鳩山さんの発言を遮るような、それこそ「やじ」のような発言まで何回かしていました。
それをたしなめない、メインキャスターもどうかと思いますが。

まあそれはそれとして、鳩山さんのウクライナ訪問の意味がよくわかりました。
沖縄の基地への取り組みも改めて納得しました。
やはり鳩山由紀夫さんは、私が尊敬する政治家でした。

同時に、マスコミを通して、私たちがどういう情報に接しているのかが、キャスターのおかげでよくわかりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■株価上昇がなぜこんなに話題になるのでしょうか

日経平均株価が15年ぶりに2万円を超えたと昨日からテレビでは盛んに報道されています。
こういうニュースが、トップに報道される社会そのものに、私は背を向けたいのですが、まさに金銭社会をあおっています。
今年の株価上昇だけで4億円以上利益を得たという人がテレビで紹介されていましたが(昨年は億円以上損をしたそうです)、こういう生き方の人が増えたら社会は壊れるに違いありません。
株価の上昇に寄生しているだけの生き方からは、何も価値が生まれてきませんから。

為替の変動で、利益を上げたり損失を生じたりする生き方もそうですが、金銭での損益は新しい価値(実体)を創りだしません。
同じことをしていても損益が大きく違ってくる社会から抜け出ないといけないように思いますが、どうも時代は反対の方向です。
価値(実体)をt繰り出すことをおろそかにする以上、私たちは間違いなく、「消滅」の方向に向かっています。

株式市場は私には「逆トリクルダウン」システムの典型だと思いますが、薄く広く価値を収奪し、格差を拡大していく仕組みは、マスメディアに支えられています。
価値(実体)を創りだす気を萎えさせ、価値(実体)の浪費をあおります。
一件、社会は豊かになっているように見えますが、結局は「貧しい世界」からの価値の移行でしかありません。
そもそもテレビで、株価情報や為替情報を毎日繰り返し流していくようになってから、社会はおかしくなりだしたような気がします。
これについては10年以上前にこのブログでも書いた気がしますが。

そうはいうものの、利益を上げた人の話を見ると、私もちょっとうらやましくも思ってもしまうのです。
まだまだ私の根性は、金銭依存から自由にはなっていないようです。
お金というのは、ほんとうに人を惑わせます。
お金がないから生きていけないという不安に呪縛されているのでしょう。
しかし、そんなことはありません。

今朝の朝日新聞に、とてもうれしい記事が出ていました。
http://digital.asahi.com/articles/ASH496V8ZH49UDCB01R.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH496V8ZH49UDCB01R

記事の概要はこうです。

都内の食品会社に勤務していた吉田さん(28)は、昨年、九十九里町に転居。140㎡の空き地を45万円で購入。業者に依頼して井戸を掘り、最低電流の電気も引きました。
テントで暮らしながら、近くのホームセンターで建材を買い、ネットで建築の方法を学びながら約1か月で4畳ワンルームの小屋を完成させました。ここまでの出費は計約90万円。
現在は、水道代は無料、電気代は月約400円。家庭菜園で野菜を作ったり、近所から食料品を分けてもらったりして、食費は月3万~5万円。
ネットで生活の様子を紹介したブログのおかげで、県内外の小屋仲間と知り合い、交友関係も広がったそうです。
吉田さんは「節約するつもりはないのだが」と言っていますが、浪費しなければいいだけの話なのかもしれません。
こういう人が、いま増えていると、この記事には書かれています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/10

■櫻井よしこさんと宮脇順子さん

昨夜、BSフジの「プライムニュース」を見ました。
テーマは靖国参拝問題で、櫻井よしこさんと若宮啓文さんがゲストです。
櫻井さんの考え方は私には全くと言っていいほど、受け入れられず、最近は顔を見るだけでチャンネルを変えるほどでした。
若宮さんは朝日新聞時代からわりと共感できるところがありましたが、やや退屈でした。
にもかかわらず2時間のこの番組を見てしまったのは、疲れていたからでもありますが(昨日は3組の人の相談に乗ってきました)、キャスターの反町理さんのスタイルが好きなのです。

嫌いな人と退屈な人の討論だったのですが、とても面白かったのです。
櫻井さんの話し方は、内容というよりもとても論理的で冷静なので、なんとなく説得させられそうになります。
昨日の議論を聞いていて、なぜか櫻井さんの論調に同調しそうになってしまいました。
たとえばA級戦犯はなぜ別扱いなのかに関しても、私自身が自分で判断していないことに気づきました。
同時に、同じ情報も捉え方によって、まったく違う意味を持ってくることも改めて感じました。
そこで気がついたのですが、最近、私は自分が共感できそうな本しか読んでいないようです。
それでは、世界はどんどん狭まり、判断は正しさを維持できません。
櫻井さんを忌み嫌っていたことを反省しました。
もちろん考え方については、私には共感できないことは変わりませんが。

先月、宮脇順子さんの「悲しい歴史の国の韓国人」と「韓流時代劇と朝鮮史の真実」を読みました。
私はいくつかの韓流時代劇を見て、かなり韓国については「洗脳」されていますが、それ以前から、韓国に対する評価がなぜかかなり高かったのです。
韓国史に関する本も、韓国の歴史教科書(小学校から高校まで)も読んで、韓国の立場もそれなりに理解できていると思っていました。
ですから最近のヘイトスピーチなど、理解さえできないのです。
しかし、宮脇さんの本を読んで、お恥ずかしいながら、愕然としました。
実は、読む前は「とんでも書籍」の一種かと思っていたのですが、実にわかりやすいのです。
そのわかりやすさにおいては、韓流時代劇と同じくらいです。
こういうわかりやすい論理には、人は簡単に洗脳されがちです。
私も見事に「洗脳」されました。
私の考えが変わったということではありませんが、ヘイトスピーチをしている人のことが少しわかった気がします。
これまでの韓国観から自由になって、もう一度、韓国のことを考える姿勢をもらったのです。

まさか櫻井さんや宮脇さんから、こういう示唆をもらうとは思ってもいませんでした。
やはり自分の考えとは反対の人の意見を誠実に聞くことは大切です。
自分がいかに独善的かがよくわかります。

若宮さんと櫻井さんは、番組が終わった後、どんな会話をしているのでしょうか。
それが実に興味あります。
2人ともあまり裏表があるとは思えませんので。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/09

■「平和」を語り合う女性の会をやりませんか

5日の日曜日に、湯島で「戦争反対カフェサロン」を開催しました。
大学生から70代まで13人の人が集まりました。
このカフェを開くことにしたきっかけは、ある集まりで、最近の日本の状況は、第二次世界大戦に突入した80年前に似てきているのではないかということが話題になったことでした。
最近の日本は、平和とは逆の方向を向かっていることは間違いないでしょう。
パラオに行かれた天皇の意図と安倍政権の意図は反対を向いているように思います。

「戦争反対カフェサロン」には13人が集まりましたが、みんな男性でした。
ある人が、男性だけで話していていいのだろうか、というような発言をしました。
たしかにそうです。
こうしたテーマの場合、なぜか男性は集まりますが、女性は集まりません。
NPO活動している女性たちは、目先の個別問題には熱心ですが、その土台になる社会全体のあり方には、なぜか関心を持ちません。
そういう人たちが、80年前には、戦争を起こす強力な支援役になったのではないかと思います。

しかも、最近の日本の女性たちは私には実に好戦的に見えます。
もしビジネスの場が、最近の戦場であれば、その戦いぶりは男性勝りです。
彼女たちの関心はまもなく戦争に向かうのではないかと思うほどです。

以前書きましたが、市民活動は「政治」から無縁であってはいけません。
政治から無縁であることが、政治の流れに加担するからです。
そうして、ドイツはヒトラーに身を任せてしまいました。

いささか挑発的に書きましたが、
そんなわけで、女性を中心にした「現在の政治状況と平和」を語り合う「戦争反対カフェサロン」を開きたいと思います。
「福祉活動」に関わる女性の参加者が3人以上、集まったら、の条件ですが。
最大の福祉は「戦争のないこと」だということに、気づいてほしいからです。

ぜひやりたいという人がいたら、私(qzy00757@nifty.com)あてに連絡してください。
前の戦争を後ろで支えた女性のようにはなりたくないという人がいればいいのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■駅に着いたのにドアが開かなかった事件

3日前の4月5日の話です。
日曜でしたが、湯島でサロンがあり、夕方6時過ぎに帰宅したのですが、その電車の話です。
千代田線は1~2分遅れることはよくありますが、1~2分の遅れでも車内放送は理由を含めて丁寧に繰り返し説明し、謝罪します。
1~2分など、そんなに謝罪したり説明したりする必要はないだろうと私は思っていますが、今回書くのはそのことではありません。

この日も1~2分遅れて終点の我孫子駅に到着しました。
乗客は扉の所に集まりましたが、なぜかドアがあきません。
不審に思っていると1分ほどして、停車位置を直しますので少しお待ちくださいと車内放送がありました。
私はいつも降りるほぼ同じ場所で位置の違いはあまりなく、少し意外だったのですが、いつになってもドアはあきません。
みんななんとなく異常に気づきだしました。
しばらくして、また停車位置を直すので、ということに合わせて、到着が遅れてすみませんという放送が入りました。
しかし、いつになっても電車は動く気配はありません。
乗客は、席にまた座りだしました。
5分ほどたって、ホームの向かい側に後続の電車が到着しました。
その電車と位置を比べると、なんと位置のずれは1メートル強でした。
隣の若い夫婦が、何だこれだけか、融通が利かないなと怒り出しました。
それでも私たちが乗っている電車は、動く気配がありません。
若い車掌は「到着が遅れてすみません」と繰り返しますが、到着が遅れたのではなく、あなたがドアを開けないだけではないかと思いました。
さらに5分近くがたちました。
そしてようやく電車は1メートルほど移動して、ドアが開きました。

改札口に行ったら、だれも何もなかったように、出札口を通り降りぬけて出ていきました。
私も帰ろうとしたのですが、おかしいと思ったことはきちんと伝えなくてはと思い直し、駅員の居るところに行って、話をしました。
駅員はすでに知っていたようで、責任者を呼びますと言って、話を聴いてくれません。
らちがあかないので帰ろうとしたら、責任者という人がやってきました。
事情はすでに知っていたようで、ただすみませんと謝るだけです。
私は、謝ってほしいわけではなく、理由が知りたいと話し、乗車位置がずれたらドアは開かないシステムなのか、それとも車掌が自己判断で開けなかったのか、位置のずれはどのくらいまでが許容範囲なのか、と質問しました。
そして、もしその仕組みが悪かったら修正するべきだと伝えました。
おそらく今回のことで、後続車は遅れが出て、コストも発生しているでしょう。

答えてもらったのは、開けようと思えば車掌は開けることができますということでした。
ただ、位置のずれによっては、電車がホームの外部に出てしまい、危ないので開けません、今回どのくらいのずれであったかは私は確認できていません、と繰り返しました。
しかし、なぜすぐに停車位置を修正しなかったのかは、何の説明もありませんでした。
たぶん運転手と車掌のコミュニケーションの問題ですが、運転手は乗車位置を直す必要はないと考えたのでしょう。
普通の感覚であれば、今回の場合は誤差範囲だからです。
今までもこれくらいのずれは体験しています。

私に対応した責任者は、何回もすみませんと謝りました。
私は、このことに怒っているのではなく、こうしたことが起こる社会に怒っているのだということは、たぶん伝わらなかったでしょう。
謝ることが大切なのではなく、仕組みや考え方を見直すことが大切だと、その人に伝えたかったのですが、謝られてしまうとこちらがクレーマーのような気がしてしまいます。
しかし、小さなことでもおかしいと思うことに気づいた人はきちんと問題にしていかないと、社会はどんどん壊れていきます。

日本人はマニュアルを活かすのではなく、マニュアルに縛られる、とよく言われます。
仕事に対する責任の捉え方も、最近大きく変わってきています。
人間はどんどんいなくなり、機械部品のように判断できない労働力が動かしている仕組みの社会で生きるには、自分も人間であることをやめなければいけないのかもしれません。
いろんなことに、改めて気づかされた事件でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/08

■節子への挽歌2762:「命ってのは個人のものじゃない」

節子
冬に逆戻りの寒い日でした。
昨日、集中して本を読んだせいか、何やら頭がつかれて、無駄な1日を過ごしてしまいました。
こういう本の読み方はよくありません。
晴耕雨読とは程遠い読み方です。
節子がいなくなってから、どうも生活のリズムが偏りがちです。

ところで、昨日よんだ本の中に、浄土真宗の研究者の信楽峻麿さんのインタビューが載っていました。
そこで、信楽さんが「命ってのは個人のものじゃない。家族のものであったりね、身内のものであったり、あるいは友達のものであったりしてね」と話していました。

仏教における生命理解の特徴は「生命通底」。
一切の生きとし生けるものに命が共存・共通している、いやそれ以上に、草木国土悉皆成仏というように、土や石、鉱物にまでも命が宿っているというのが仏教の生命観です。
畑をやっていてよくわかるのですが、土は間違いなく生きています。
もしそうなら、意志もまた生きていてもおかしくありません。
私には、仏教の生命観はすんなりと受け入れられます。

命はあまねく存在する。
そして、みんなつながっている。
こう考えると、命の意味が広がります。
そして、「命ってのは個人のものじゃない」ということが、腑に落ちるのです。

その一方で、命がつながっているのであれば、個人の死はどういう意味を持っているのだろうかということになります。
あまり意味はないのではないか。

とここまで書いてきたのですが、私の部屋には暖房器具もないため寒くて仕方がありません。
今日は都心では雪まで降ったようです。
この寒さで風邪をひくと悪いので、この続きは明日にします。
今日は早々とお風呂に入って、メールをやっていたら、すっかり身体が凍えてしまいました。
風邪をひいたら大変です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/07

■節子への挽歌2761:「感じるところがあります」

節子
私と同じく、大切な「節子さん」に先立たれた、挽歌の読者のSさんからメールが来ました。

最近節子さんへの挽歌がよく途切れているので、心配もありますが、感じるところがあります。(中略)
たぶん自然にそうなっているのだろうと勝手に想ったりしています。(中略)
そしてまた勝手に思ってるのですが、畑を頑張ろうという気持ちもなんとなくわかった気がしています。
たぶんSさんが「感じていること」は当たっているでしょう。
畑をがんばろうという気持ちも、もしかしたら、私よりもわかっているのかもしれません。
そんな気もします。

私の生き方は、目線を同じくするということです。
しかし、最近つくづく思うのは、そういう生き方ができていなかったことです。
目線を同じくして生きるということは、実際にはとても難しいことです。
他の人の言動が目線の高いことには、すぐ気づくのですが、自分の目線の高さはなかなか気づきません。
しかし、同じ体験をしたり同じ状況にある人同士は、目線は自然と同じくなります。
目線が同じくなると、相手のことが自然と伝わってきます。
だから、Sさんの「感ずるところ」は、たぶん私が無意識に感じていることなのです。

言葉にはなかなかできないのですが、最近、私はかなり自然に生きられるようになってきました。
自然に生きるということは、実に意味深いことです。
これも言葉にすると誤解されそうなので、言葉にはしませんし、またできないのですが、そんな気がしています。
Sさんも、最初と違って、いまはかなり自然に生きているような気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌2760:晴耕雨読

節子
この2日間は、晴耕雨読でした。
先週後半から日曜日にかけて、一人になる時間がなかったので、無性に一人になりたかったのです。
幸か不幸か、天気もあまりよくなく、まさに晴耕雨読の2日間になりました。

昨日は午後から久しぶりに長い時間、畑にいました。
いつもは1時間もすると疲れ切るのですが、昨日は休み休みの畑作りで、3時間近く畑で過ごしました。
かなりがんばったので、全面積の半分以上が、なんとなく畑になってきました。

疲れると畑の土の上にすわって、土を見ています。
衣服は泥だらけです。
その雰囲気は、ホームレスどころではありません。

昨日は、せっかく耕したところに、アリが巣をつくっていました。
迷ったのですが、殺蟻剤を散布しました。
畑を耕すということは、生き物との戦いでもあるのです。

ただ無駄な殺生はしたくないので、鍬を入れる時も、それなりの注意はします。
昨日は20センチくらいのミミズに出会いました。
幼虫もかなり出てきました。
土の中も、春になってきているのです。

今日は雨でしたので、読書でした。
フェイスブックで、松永さんが紹介していた「生命倫理の源流」(岩波書店)を読みました。
300頁ほどのハードブックですが、副題が「戦後日本社会とバイオエシックス」とあるように、主に1960年から80年代にかけての概論です。
この時代は、まさに私の生きた時代です。
バグウォッシュ会議とかアシロマ会議とか、私の生き方に大きな影響を与えた話が出てきました。
最近は、技術倫理に関心を持っている人でさえ、バグウォッシュ会議もアシロマ会議も知らない人が多いのですが、やはりこの2つの会議は倫理を考える人には要の会議なのだと改めて私の生き方の幸運さを実感しました。
おそらく私の生きた時代は、人間が輝いていた時代なのです。

昨日も本を読みおえました。
先週の出張の電車の中で読みだしていた新書の「経済学からなにを学ぶか」です。
新書ですが、かなりテキスト的な経済学史で、読むのが結構つらくて、難儀しましたが、昨日、読了しました。
面白いと300頁でも一気に読めますが、気が乗らないと新書でも4日もかかってしまいます。
しかし、これも読んでいて、経済という面でも、私の生きた時代は、いろいろな変化や発見があった時代だったことに気づきました。

考えてみると、いろんな意味で、私は「良い時代」に恵まれました。
そのまさに、「良い時代」を、節子と一緒に過ごせたことは、何よりも幸運でした。

生まれる時代によって、人の幸不幸は決まるのかもしれません。
何よりも、お互いの生まれる時代によって、出会えるかどうかも決まるのですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/05

■戦争反対カフェサロンがスタートしました

このブログでもご案内しましたが、今日は戦争反対カフェサロンの第1回目でした。
雨の中を13人が集まりました。
20代から70代まで、年齢は幅広かったですが、男性ばかりでした。
平和や戦争に関心を持っているのは男性で、女性はたぶん平和を実践しているのでしょう。
そのせいか、話は争点的で論争的で、理屈も多かったです。
男性だけだとこういう議論になるのだと、桐山さんが感想を述べました。

安倍政権反対派が多かったのですが、安倍政権支持派もいました。
問題提起者の武田さんの、怒りのこもった簡潔な問題提起を受けて、最初に塩尻さんが、これもしっかりした事実認識をベースに反論し、そこから話は盛り上がっていきました。
時に横道にそれたこともありましたし、現実問題から社会哲学まで、議論が広がり、議論をテーマに戻すのに苦労しました。

最後に、湯島のサロンに初めて参加した大学生のNさんが、大人たちの議論は私たちの世代とは全く違う、と感想を述べました。
言葉がきつく、対立的すぎて、発言したくなくなる(しにくい)というのです。
それまでにぎやかに論争を楽しんでいた大人たちは、ちょっとしゅんとしてしまいました。
そこからの議論も、私にはとても刺激的でした。
次に若い参加者(4歳年上)が、しかし、それでも自分の意見をはっきりというべきだと発言しました。
このやり取りも、昨今の社会状況というか若い世代の状況を象徴しているように思いました。

年長者たちからは、ご自身の戦争関係体験も踏まえて、戦争は絶対に繰り返したくないと強い発言もありました。
真ん中世代の人は、世代によってこんなにも考え方や論じ方、言葉が違うのに驚いたと言いました。
などなど、実に刺激的な「戦争反対カフェ」の始まりでした。

今回は柴崎さんが映像に録画し、それを一部削除してユーチューブに流すことにしました。
完成したらご案内します。

このサロンのために、熊本の宮田さんが、平和国家コスタリカのコーヒーを送ってくれたのですが、私が前日まで不在だったため、受け取れずに、再配達をお願いしたのですが、サロンに間に合いませんでした。
で、今回はブラジルのコーヒーになってしまいました。
コスタリカのコーヒーは次回用にしました。

ちなみに、次回は「不戦の70年」をどう受け止めていくかをテーマに、6月13日に開催します。
その前に、もしかしたら、もう一度、開催するかもしれませんが。
できれば、「女性たちは憲法改正をどう考えているのか」をテーマにしたいです。
どなたか話に来てくれませんか。
話してくれる人が3人集まったら開催します。
もし話してもいいという人がいたら、私に連絡ください。
コスタリカのコーヒーはきっとおいしいですよ。

なお、このカフェサロンは継続的に開催しますので、案内をご希望の方はご連絡ください。
戦争賛成者も含めて、だれでも参加歓迎のカフェサロンですので。
ただし、「テロリスト」はあまり歓迎できませんが。
Photo


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/03

■節子への挽歌2759:残された者の愚痴

節子
箱根に来ています。
恒例の企業の経営幹部の人たちとの合宿です。
今日の箱根は荒れ模様です。
こんなに荒れている箱根はめずらしいです。

昨夜、夜、胃が痛くて目が覚めました。
節子が隣にいたら、起こして、胃薬を持ってきてもらうところですが、不幸にして、もういないので、胃薬を自分で取りにいって飲みました。
伴侶がいないということは、こういうことか、とちょっと思いました。
今回はたいした痛みではなかったのですが、たいした痛みの場合はどうすべきかを考えているうちに、寝てしまいました。
朝、起床したら、痛みは消えていました。

これからこういうことが起こり出すのかもしれません。
やはり夫婦は先に逝くのがいいですね。
残された者の身にもなれと、節子に言いたいです。

今もなお、私は先のことを一切心配もせず、考えてもいませんが、少し考えたほうがいいような気もしてきました。
しかし、いまさらながらの感じもあり、施設には無理でしょうし、いざとなったら娘たちが看病してくれるかどうか定かではありません。
すべては、これまでの生き方の結果でしょう。
いまさら気づくとは困ったものです。

節子はちょっと早すぎましたが、たぶん安心して旅立てたでしょう。
私の旅立ちは、ちょっと心配です。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

■城里町のみなさんからから学ぶこと[10]

今日は、箱根で企業の人たちとの合宿ですが、箱根に向かう電車の中で、伊藤誠さんの「経済学からなにを学ぶか」を読んでいたら、分業の弊害の話が出てきました。
「分業」の効用を発見したアダム・スミスは、「国富論」のなかで、分業の弊害についても語っているそうです。
分業の結果、仕事は「単純作業」に分断され、仕事に関して工夫する必要がなくなる。そのため、多くの人は、「神の創りたもうた人間としてなりさがれる限り愚かになり、無知になる。私生活のうえでの日常の義務についてさえ、多くの場合、なにもまともな判断が下せなくなってしまう」と言うのです。
マルクスも、分業が多くの労働者の生産的な本能と素質を抑圧し、ゆがめて奇形化するとし、それを克服するためにも、コミューン社会に期待していたと言います。
分業の発想は、経済を飛躍的に発展させましたが、人間を変質させた面もあるようです。
しかし、スミスもマルクスも、ひどい言いようですね。

以上が伊藤さんの本から知ったことですが、これと城里町の庁舎引越し作業とつなげてみたくなりました。
昨日は、「労働者」という捉え方にいささか過剰に毒づきましたが、働く人や生活している人を、労働者や消費者と、まさに「分業」発想で捉える文化に異議申し立てしたかったのです。
言うまでもありませんが、「分業の思想」は産業の世界だけの話ではありません。

最近の職場は、徹底した分業の文化によって、「コミューン」感覚は弱まっています。
昔は、職場仲間とのレクリエーションも盛んであり、職場での雑談もありすぎるほどありました。
今は、そういう職場は少ないでしょう。
城里町役場はどうだったか知りませんが、今回の引越しは、もしかしたら「コミューン」を出現させたかもしれません。
つまり、「労働」の構築体ではない、人間の集団を出現させたと思います。
普段の業務の時とは違った人間関係が出現し、違った才能や人柄が露出したかもしれません。
そして、それがその後の仕事に良い影響を与えたとしたら、2000万円どころではない効果を現出させた可能性もあります。
楽天出身の若い町長には、そうしたことが、もしかしたら見えていたのかもしれません。

金銭だけでない視野を持つと、まったく違う風景が見えることがあります。

今日の箱根は雨模様です。
小涌園に着きました。
電波が悪くて、アップできません。
アップは後ほど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/02

■城里町のみなさんから学ぶこと〔9〕

昨日の朝、畑に行って土を耕してきました。
1時間ほどですが、「肉体労働」をしてきました。
業務命令ではないのですが、宇根豊さんの「農本主義が未来を耕す」という本を読んで、畑仕事もまた「お天道様の命令」だという気持ちで、あんまり行きたくなかったのですが、行ってきました。
休み休みの肉体労働ですが、何やら気分がすっきりしました。
もしかしたら、城里町の役場のデスクワーカーたちには、久しぶりに気持ちのいい汗がかけたのかもしれません。

まあ。それは勝手な推測ですが、今日は、昨日書き残した〔B〕の話です。
「労働者の側の視点」はとても重要です。
しかし、それは労働者でなければ不可能です。
その前に、しかし行政職員に対して、あなたは「労働者ですか?」と質問したら、みんなどう思うでしょうか。
私は、これまで自分が「労働者」であると自覚したことは一度もありません。
何回も書いているように、私は人間であって、労働者ではありません。
労働組合員であったことはありますが、労働者などという概念で人を見る発想が私には理解できません。

柴又の寅さんは、隣の工場で働いている人たちを「労働者」と呼びます。
とても鋭いメッセージが、そこには込められています。

福祉に関わる活動をしていると、よく「相手に寄り添って」とか、「相手の立場になって」という人がいます。
私は、寄り添えるかもしれないが、相手の立場に立ちなどという傲慢さを捨てるべきだと、いつも思います。
そういう人は、私の体験では、ほぼ確実に「目線が上」のような気がします。
かわいそうな人と位置付けているのです。
そこから変えなければ、ケアの精神など持てようがありません。
ケアは、あわれむことでも、バカにすることでもない。
そう思います。

話がだんだんそれてきていますね。
すみません。

労働者は、しかし、いないわけではありません。
組織に属していると、組織の雰囲気や暗黙のルールに基づいて、「自発的隷従」を強いられることは少なくないでしょう。
私の知っている会社が、あるボランティア活動をやっているうちに、その活動を会社の正規の事業活動にしてしまいました。
それまでは使用があれば断れたのですが、会社の字となれば、そう簡単には断れなくなってしまった。
さてどうするか。
そんな話も最近身近にあります。

なかなか本題に行きませんが、実は引っ越し作業に限らずに、しようがある時には、あるいは納得できない仕事には、ノーといえるべきなのです。
長くなったので、とりあえずまとめてしまいますが、実はそうした問題が、引っ越し作業が業務になったことによって、意識化されるのです。
休日に業務命令された作業が。引っ越し作業でなかったらいいのでしょうか。

つまり、〔B〕の問いかけには、それ自体に「差別」や「隷従」の要素が感じられます。
いささか書きすぎてしまいました。
書いた割には内容がないですね。
すみません。
でも、思いが伝わるといいのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌2758:久しぶりの不忍池

節子
久しぶりに不忍池と上野公園に行きました。
といっても、オフィスからの帰りに、上野まで歩いたというだけのことですが。
久しぶりですが、だいぶ変わっていました。
桜もまだきれいで、見るでもなく見ないでもなく、桜の下を歩いてきました。

不忍池のまわりでは、この季節はいつも露店が並んでいるのですが、何やらどこも混んでいました。
節子はこの種の露店が好きでしたから、よく付き合いましたが、こんなに混んでいるのは初めてでした。
それに露店も以前に比べるととても多くなっていました。
一人だったので、露店の商品を見る気にもならずに、ただただ歩いてきただけです。

上野公園の桜は、最盛期は過ぎていましたが、まだきれいで、花見客もたくさんいて、ぶつかり合う感じでした。
外国の人が多かったのも印象的でした。
社会はどんどん変わってきていますね。

節子がいなくなってから、上野に来ることも少なくなりました。
美術展もコンサートも、縁遠くなってしまいました。
節子がいなくなってから行くことのあるのは、東京国立博物館くらいです。
世界が狭くなってしまっているのです。
困ったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/04/01

■節子への挽歌2757:我孫子の桜

4月になりました。
駅に行く途中の道の桜が、この数日の暖かさで見事に満開になっています。
この桜は、ここに転居して以来、いつも見とれるほどの桜です。
もう古木で、しかも道路の中にあるので、交通には邪魔になっていますが、誰も切ろうなどとは言いません。
桜の時期以外は、単なる邪魔な枯れそうな古木なのですが。
わが家の界隈には、ところどころに、こうして古木の桜が数本残っているのです。

いま、我孫子では桜散歩というイベントを開催中です。
我孫子の桜もいろいろとあるのです。
http://www.city.abiko.chiba.jp/index.cfm/21,114416,57,663,html
動画で、手賀沼散歩道の桜も見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=myasp_Geai0

わが家の下の手賀沼沿いの通りも桜並木です。
私たちがここに転居した少し前から整備されだしたのですが、ようやく「それらしく」なってきました。
節子に見せたいですが、節子が元気だった頃は、見栄えもあまり良くありませんでした。
手入れも結構、粗雑で、節子はいつも嘆いていました。
我孫子でも桜がたくさん見られるようになったのに、桜好きの節子はいなくなってしまいました。
困ったものです。

わが家の桜は、1本以外はどうも全滅してしまったようです。
節子に合わせる顔がありません。
それにしても、花や木の手入れは大変です。
私のような、怠惰で粗雑な人間には向いていません。
まあ、節子も、結構、怠惰で粗雑だったような気もしますが、何が違うのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■城里町のみなさんから学ぶこと〔8〕

気が抜けたビールの気分ですが、もう少し続けます。
フェイスブックで、こんなコメントをもらいました。

〔A〕休日出勤と労働に対して対価を支払ったのでなければ、2000ー300=1700万円を搾取しているだけです。

同じ人から、こんな意見ももらいました。

〔B〕休日出勤で肉体労働を業務命令された職員はどう思ったのでしょうか? 労働者の側の視点が無ければ、この問題に解を出すことは難しいと思います。

「搾取」「肉体労働」「業務命令」「労働者の視点」。
私にはいずれも違和感のある言葉です。

まず〔A〕について。
もし「搾取」だとして、誰が「搾取」したのでしょうか。
役場の支出は住民の税金ですから、住民が「搾取」したことになります。
管理職の町長が「搾取」したのでしょうか。
ちなみに、町長も率先して引っ越し作業をしていたようです。
節約した経費は、誰のものになったのでしょうか。
たぶん住民でしょうが、それを「搾取」というのには違和感があります。
視点を変えて、誰が損をしたでしょうか。
引っ越し業者であり、清掃会社でしょう。
儲ける機会を失ったのですから。
彼らは、「搾取」されたのでしょうか。
まさか「搾取」する機会を奪われたわけではないでしょうが。
これまた悩ましい問題ですが、ここに実は私は「産業社会」の本質があると思っています。

「汎市場化」が進み、人の生命さえもが「商品化」あるいは「儲け」(「稼ぎ」ではありません)の対象になる以前の社会であれば、住民みんなで引っ越しを手伝ったかもしれません。
たぶん、それは楽しい「ハレ」の日になったことでしょう。
役場は、住民みんなのものですから。
そうした「働く喜び」は、もう失われてしまったのかもしれません。

〔B〕に関しては、明日にまわしたいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »