■城里町のみなさんからから学ぶこと[10]
今日は、箱根で企業の人たちとの合宿ですが、箱根に向かう電車の中で、伊藤誠さんの「経済学からなにを学ぶか」を読んでいたら、分業の弊害の話が出てきました。
「分業」の効用を発見したアダム・スミスは、「国富論」のなかで、分業の弊害についても語っているそうです。
分業の結果、仕事は「単純作業」に分断され、仕事に関して工夫する必要がなくなる。そのため、多くの人は、「神の創りたもうた人間としてなりさがれる限り愚かになり、無知になる。私生活のうえでの日常の義務についてさえ、多くの場合、なにもまともな判断が下せなくなってしまう」と言うのです。
マルクスも、分業が多くの労働者の生産的な本能と素質を抑圧し、ゆがめて奇形化するとし、それを克服するためにも、コミューン社会に期待していたと言います。
分業の発想は、経済を飛躍的に発展させましたが、人間を変質させた面もあるようです。
しかし、スミスもマルクスも、ひどい言いようですね。
以上が伊藤さんの本から知ったことですが、これと城里町の庁舎引越し作業とつなげてみたくなりました。
昨日は、「労働者」という捉え方にいささか過剰に毒づきましたが、働く人や生活している人を、労働者や消費者と、まさに「分業」発想で捉える文化に異議申し立てしたかったのです。
言うまでもありませんが、「分業の思想」は産業の世界だけの話ではありません。
最近の職場は、徹底した分業の文化によって、「コミューン」感覚は弱まっています。
昔は、職場仲間とのレクリエーションも盛んであり、職場での雑談もありすぎるほどありました。
今は、そういう職場は少ないでしょう。
城里町役場はどうだったか知りませんが、今回の引越しは、もしかしたら「コミューン」を出現させたかもしれません。
つまり、「労働」の構築体ではない、人間の集団を出現させたと思います。
普段の業務の時とは違った人間関係が出現し、違った才能や人柄が露出したかもしれません。
そして、それがその後の仕事に良い影響を与えたとしたら、2000万円どころではない効果を現出させた可能性もあります。
楽天出身の若い町長には、そうしたことが、もしかしたら見えていたのかもしれません。
金銭だけでない視野を持つと、まったく違う風景が見えることがあります。
今日の箱根は雨模様です。
小涌園に着きました。
電波が悪くて、アップできません。
アップは後ほど。
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