■節子への挽歌2775:シンクロの動悸
節子
またシンクロニシティです。
今回は少し深い意味を感じます。
いま30年ほど前に読みかじった(途中で挫折)マッキーヴァーの「コミュニティ」を読んでいます。
さすがに2~3日では読めずに、もう4日前から読んでいますが、なかなか進みません。
並行して、河合隼雄さんの「明恵 夢を生きる」を読み出しました。
これも1日で読めると思ったら、かなりの難物で、3日かかりました。
ところがいずれも今日読んだ部分が、同じ内容に感じたのです。
河合さんの本の最後に、華厳経の事事無擬の法界の話が出てきます。
昔、私の目を啓いてくれた「インドラの網」の話です。
すべてはすべてに宿っているという話です。
その本を読み終えて、開きっぱなしになっていた「コミュニティ」を途中から読みだしたら、こんな文章に出会いました。
全有機体の福祉は、部分すべての福祉のなかに見出される。「一人の成員が苦しむとすべての成員もともに苦しむ。あるいは一人の成員が栄誉を賜わるとすべての成員もともにそれを喜ぶ」。それ故に個人に関して、有機体の福祉を追求する関心には葛藤がない。(「コミュニティ」143頁)これだけでは、何がシンクロニシティだと思われそうですが、私にはシンクロしている動悸さえ聞こえそうな気がします。
なぜ今、この2冊の、古い本を読む気になったのか、それも含めて、私にはとても偶然とは思えません。
あまりの驚きに、場違いとは思いながら挽歌に書いてしまいました。
謎解きは、これからです。
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