■節子への挽歌2773:人は生き、人は死ぬ
節子
しばらく連絡がなかったKさんから電話がありました。
節子もよく知っているKさんです。
奥さんのがんが発見されたのだそうです。
妻は誰にも言うなというのですが、佐藤さんだけにはお伝えしたくて…。
おふたりの気持ちがよくわかります。
私たちもそうでした。
当人はだれにも話したくなくなり、その伴侶は一人で背負い込むにはあまりに重くて、誰かに言いたくなる。
私たちもそうでした。
ただ、私たちの場合、ちょっと違っていました。
楽観主義者の節子は、健康診断で胃がんがわかった後も、最近は技術も進歩しているし、早期発見のがんは治るからと、手術検査をする前はとても明るく、友達にも話していたのです。
ですから知っている人は少なくありませんでした。
しかし、そのがんが、進行性で、しかもかなり進んでいることがわかってからは、節子は語らないようになりました。
それとは逆に、私は無性に誰かに相談したくなってしまいました。
相談しても、あまり意味はないのですが、なにかのひかりを得たかったのです。
Kさんにどう応えたらいいでしょうか。
私は、どうも人を慰めるのが不得手です。
どうもそれは、私の死生観にあるようです。
人は生き、人は死ぬ。
それに抗うことなく、従容と従うのがいい。
生かしてくれる命は、医学とは関係なく、生かしてくれる。
節子との別れを体験して、5~6年経って、そういう心境になってきました。
そう思わなければ、どうにも心が安まらないからです。
Kさんご夫妻の平安を祈るばかりです。
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