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2015/04/14

■なにが社会の方向を決めるのか

福井県の高浜原発の3・4号機について、福井地方裁判所は「国の新しい規制基準は緩やかすぎて原発の安全性は確保されていない」という判断を示し、再稼働を認めない仮処分の決定を出しました。
異議申し立てなどによって、この決定が覆らなければ、高浜原発は再稼働できなくなったと報道されています。
この報道に接した時に、久しぶりに私は気分が明るくなりました。

しかし、すぐにまた心配になってきました。
関西電力は異議申し立てをし、政府は相変わらず強権を発揮し続けるでしょう。

沖縄の辺野古の工事に関しても、翁長知事が行政不服審査法に基づいて、工事差し止めの申し出でをしたところ、なんと政府は農水省に、その執行停止を申し立てるというおかしなことを行い、それが認められて作業は継続されています。
良識をお持ちだと思っていた林農水相が、たんたんと行政不服審査の無効を宣告している姿を見て、権力機構の恐ろしさを垣間見ました。
行政不服審査法の目的は、行政庁の処分に不服がある国民の権利を守ることであり、「行政機関同士の争いに用いられたケースは極めて異例で、専門家からも疑問や批判が出ている」と毎日新聞では報道されていました。
国民の不服の制度が、お上の強制の制度にもなってしまっては、どうしようもありません。
私にはわけのわからないことですが、制度的にはそれが成り立つのでしょう。
ですから、今回の高浜原発に関しても、政府は強権で原発再稼働に取り組むのでしょう。

こうした「道理」よりも「無理」が通るのが、いまの日本の社会の実態ですが、言い方を変えると社会の仕組みが壊れていて、統治不能になっているのかもしれません。

猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』を読みました。
読んでいなかったのですが、友人から紹介されました。
そこにこんな文章が出てきました。

「東條なら陸軍を抑えられる」という木戸内大臣の窮余の策が東條総理大臣誕生につながった。が、結局その作戦は水泡に帰した。東條の力でも開戦への趨勢をとめえなかった。国務と統帥に二元化されたわが国の特殊な政治機構は、個人の力では克服できない仕組みになっていたのである。

敗戦が確実であることを知った、時の天皇と首相は戦争を避けようと考えていたが、止められなかった。
それは、統治の仕組みの欠陥によって、誰も止められなかったのだと、猪瀬さんは書いています。
人間が社会の行く末を決めるのではなく、社会それ自体が時代の方向を決めていく恐ろしさを感じます。
そこではもはや人間は、「部品」でしかありません。

一時の明るい気分は、すっかり吹っ飛んでしまいました。
また気が沈んできています。

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