« ■「自死」と「ささえあい」をテーマにしたサロンの報告 | トップページ | ■いまの社会は生きづらいのか? »

2015/04/25

■節子への挽歌2778:時空間を超えた思いの伝達

節子
シンクロニシティ現象はますます広がっています。
まあ、シンクロニシティをあまりに広義にとらえていることもありますが。

今日も湯島で、あまりにも偶然の出会いがありました。
しかし、挽歌編にはいささか書きすぎたので、最近のシンクロ現象は明日の時評編に書こうと思います。

ところで、昨日、湯島である集まりをやったのですが、そこに5年前に私が進行役を務めたフォーラムに参加してくれた人が参加してくれました。
5年前の集まりで、私が「奥さんを亡くしたことを話したのが記憶に残っている」と話してくれました。
私には記憶がないのですが、たぶんそのころは、何かの拍子につい口走ったのかもしれません。
そしてその人は、そのことが印象に残っていたのです。

その集まりは「自殺多発場所での活動者サミット」という公開フォーラムでした。
そのパネルディスカッションの進行を私がしたのですが、その中で、「自殺も病死も、大事な人を亡くすという意味では同じだ」というような話をしたそうなのです。
その2年後に開催した公開フォーラムではそういうことを間違いなく話したのですが、5年前に話した記憶は全くないのです。
報告書に目を通してみましたが、その記録は見つかりません。
しかし、どこかでそういう感じの発言をしたのかもしれません。
でも、もしかしたら、その方の気持ちが、私の心の中を読み取ったのかもしれません。
その方も、大切な人を亡くした経験をお持ちの方でした。

人は「言葉」を介して考えや思いを伝えあいますが、精神が不安定な、あるいは高揚している状況の中では、時に言葉を介さずに、思いや考えを通じ合わせることが出来るのではないかと、最近思いだしています。
さらに、それは時空間を超えてしまうような気もします。
これ以上書くと「危うい話」になりかねませんが、最近、生命の不思議さを改めて感じます。
ともかく、この2週間、不思議な世界を生きている感じなのです。

ところでどうでもいい話ですが、昨夜、節子の実像がしっかりと出てくる夢を見ました。
あんなに鮮明な節子を夢で見たのは初めてです。
しかし、あれはたぶん私が節子に会う前の節子のような気がします。
見たこともないだいだい色の和服姿で、私とは面識のないような感じで、横を通り過ぎていきました。
私が、声をかけるべきかどうか迷っているうちに、通り過ぎて行ったのです。

夢を意識していると、夢の内容がどんどん変化するようです。
もっとも目が覚めて数分のうちに、内容が思い出せなくなってしまうことは変わりません。
これは年齢のせいかもしれませんが。
さて今夜はどんな夢でしょうか。
明恵の気持ちが少しわかるような気もしてきました。

|

« ■「自死」と「ささえあい」をテーマにしたサロンの報告 | トップページ | ■いまの社会は生きづらいのか? »

妻への挽歌14」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2778:時空間を超えた思いの伝達:

« ■「自死」と「ささえあい」をテーマにしたサロンの報告 | トップページ | ■いまの社会は生きづらいのか? »