■節子への挽歌2776:知への渇望感
節子
今日は花かご会の総会だったようです。
私も花かご会の関係で、いろんな人に会いだしています。
節子の遺言ではありませんが、節子だったらどうしたかなと思いながら、その想像の範囲をかなり超えて、私自身の思いが生まれてきてしまっています。
節子だったら、たぶんそこまでやらないでよと言いそうです。
注意しなければいけません。
しかし、一つの活動をとってみても、そこからいろんなことが見えてきます。
昔節子が言っていたことを思い出しながら、それとなく反芻したりしています。
同時に、畑もまた頑張りだしています。
腰の痛さもあって、無理はできないのですが、目に見えて成果が出てくる仕事はいいものです。
楽しいとまではまだ行きませんが、がんばれます。
今日もまたジャガイモを植えてきました。
わが家にあったジャガイモが芽が出だしていたので、全部植えてしまいました。
きちんとした種イモではないので、どうなりますことか。
作業をしていたら、近くの農家の青木さんが話に来ました。
人と話していると、ますますがんばれます。
それで今日もまた、ついついやりすぎてしまいました。
午後からは来客でしたが、その人も農業に関わる活動もしている人でした。
加えて最近は福祉の仕事も始めたそうです。
こんな身近にも、福祉と農業に関わっている人がいました。
話していたら、もう一人、共通の知人がわかりました。
地域での活動はこうして、広がっていくのでしょう。
少しずつ具体的な活動に入りだせそうです。
節子がいないのが、いささか心細いですが。
そんなわけで、今日は午前中からずっと地域活動になりました。
どこまで深入りするか、ここは少し考えなければいけません。
しかし、少し動きだすと、どんどん地平が開けていく。
困ったものです。
実は、その一方で、最近、知への渇望感が強まっています。
若いころに、なんでもっと勉強しておかなかったのか。
それなりに読書はしてきたつもりですが、肝心の本をあまり読んでこなかったような気がしてなりません。
もう少し此岸にいるうちに、知に触れる喜びを楽しみたいと思っています。
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