■節子への挽歌2770:仏眼仏母像
節子
久しぶりに、白洲正子さんの「明恵上人」を読みました。
読んでいて、ほとんど内容を覚えていないことに気づきました。
と同時に、私にはとても共感できる話ばかりでした。
だから、久しぶりに明恵上人の像を見て、気になりだしたのかもしれません。
久しぶりに、明恵上人の像を見たのは、先週のテレビの「高山寺」の紹介番組です。
先日も書きましたが、高山寺には節子と一緒に行ったはずですが、記憶が引き出せません。
それで、さらに気になって、白洲正子さんの「明恵上人」を読み直したのです。
残念ながら、記憶はもどってきませんでした。
同書の最初の方に、2つの絵のことが書かれています。
「明恵上人樹上座禅像」と「仏眼仏母像」です。
いずれも高山寺にある有名な絵です。
「明恵上人樹上座禅像」はたくさんのものを感じますし、私も好きな絵です。
しかし、「仏眼仏母像」はテレビでの説明にもかかわらず、私には何も伝わってきませんでした。
白洲さんが本で書かれていたことも、すっかり忘れていました。
本によれば、白洲さんも最初はこの絵に違和感を持っていたようです。
ところが、現物を見て、納得したのだそうです。
そのことが、とても興味深く書かれていました。
それで改めて、録画していた高山寺の番組を見直し、「仏眼仏母像」をじっくりと見直しました。
繰り返し見たのですが、やはり納得はできませんでした。
正直、好きにはなれません。
ご存知の方も多いでしょうが、「仏眼仏母像」を掲載しておきます。
実物は2メートル近く、つまり等身大ほどに大きいのだそうですが、大きさが大切なのかもしれません。
この「仏眼仏母像」は、明恵の持仏でした。
人は、写真や絵や像の中に、何を見るのでしょうか。
節子が葬儀用にと選んだ写真は、すでに病気がかなり進んだ時のものでした。
最後の家族旅行の時の高原での写真です。
その写真は仏壇に供えられているので、今も毎朝見ていますが、
節子はなぜこれを選んだのでしょうか。
明恵が「仏眼仏母像」を持仏にしたように、節子にはしっかりと意味があったのでしょう。
私もその写真をいつも持っていますが、あんまり私を護ってくれていないような気がします。
困ったものです。
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