« ■戦争反対カフェサロン女性版を一緒に企画する人はいませんか | トップページ | ■節子への挽歌2771:疲れる夢をよく見るようになりました »

2015/04/17

■節子への挽歌2770:仏眼仏母像

節子
久しぶりに、白洲正子さんの「明恵上人」を読みました。
読んでいて、ほとんど内容を覚えていないことに気づきました。
と同時に、私にはとても共感できる話ばかりでした。
だから、久しぶりに明恵上人の像を見て、気になりだしたのかもしれません。

久しぶりに、明恵上人の像を見たのは、先週のテレビの「高山寺」の紹介番組です。
先日も書きましたが、高山寺には節子と一緒に行ったはずですが、記憶が引き出せません。
それで、さらに気になって、白洲正子さんの「明恵上人」を読み直したのです。
残念ながら、記憶はもどってきませんでした。

同書の最初の方に、2つの絵のことが書かれています。
「明恵上人樹上座禅像」と「仏眼仏母像」です。
いずれも高山寺にある有名な絵です。
「明恵上人樹上座禅像」はたくさんのものを感じますし、私も好きな絵です。
しかし、「仏眼仏母像」はテレビでの説明にもかかわらず、私には何も伝わってきませんでした。
白洲さんが本で書かれていたことも、すっかり忘れていました。
本によれば、白洲さんも最初はこの絵に違和感を持っていたようです。
ところが、現物を見て、納得したのだそうです。
そのことが、とても興味深く書かれていました。
それで改めて、録画していた高山寺の番組を見直し、「仏眼仏母像」をじっくりと見直しました。
繰り返し見たのですが、やはり納得はできませんでした。
正直、好きにはなれません。
ご存知の方も多いでしょうが、「仏眼仏母像」を掲載しておきます。
Butubo_2
実物は2メートル近く、つまり等身大ほどに大きいのだそうですが、大きさが大切なのかもしれません。
この「仏眼仏母像」は、明恵の持仏でした。

人は、写真や絵や像の中に、何を見るのでしょうか。
節子が葬儀用にと選んだ写真は、すでに病気がかなり進んだ時のものでした。
最後の家族旅行の時の高原での写真です。
その写真は仏壇に供えられているので、今も毎朝見ていますが、
節子はなぜこれを選んだのでしょうか。
明恵が「仏眼仏母像」を持仏にしたように、節子にはしっかりと意味があったのでしょう。
私もその写真をいつも持っていますが、あんまり私を護ってくれていないような気がします。
困ったものです。


|

« ■戦争反対カフェサロン女性版を一緒に企画する人はいませんか | トップページ | ■節子への挽歌2771:疲れる夢をよく見るようになりました »

妻への挽歌14」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2770:仏眼仏母像:

« ■戦争反対カフェサロン女性版を一緒に企画する人はいませんか | トップページ | ■節子への挽歌2771:疲れる夢をよく見るようになりました »