■節子への挽歌2764:ユリとバラ
節子
ユリの大輪が節子に供花されています。
気がついていますか?
供えられてから、もう1週間近く立つような気がしますが、4つ目のつぼみが今日、開きました。
日中はあまり気づきませんが、夜、戸を閉め切ってそこにいると、ユリの香りが充満しています。
私の大好きな香りです。
花好きの節子でしたから、供花だけは欠かさないようにしています。
できれば毎日、ユリを飾りたいところですが、そうもいきません。
節子のための花基金も底をついてしまっていますので、最近は、大輪のユリは月に1回程度になっているかもしれません。
節約して、小さなユリになったり、ユリがなかったりしています。
まあ、節子は別にユリにこだわっていないでしょうから、いいでしょうが、やはり節子の前に大きなユリが咲いていると、私はなぜかホッとします。
しかし、考えてみると、節子が好きだったのは、バラでした。
それも真紅のバラでした。
私のイメージには合わないのですが、好きだったので仕方ありません。
ユリが好きだったのは、私かもしれません。
だから節子はよくユリを活けていたのかもしれません。
いや、考えてみると、それもまた私の思い込みかもしれません。
バラとユリとどちらが好きだったか。
もしかしたら、そこに私の節子へのイメージがあるのかもしれません。
そしてそれが少しずつ変化してきているのかもしれません。
純白でもなく、真紅でもなく、黄色のようなあったかい色が節子の好みだったような気がしてきました。
私の記憶の中の節子は、いまもなお変化しているようです。
思い出は、いかようにも変えられるようです。
困ったものですが。
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