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2015/04/14

■節子への挽歌2767:明恵上人に会いたくなりました

節子
最近また夢をよく見ます。
寒いからかもしれません。

時に女性の夢を見ます。
なぜか別れの夢です。
明らかに節子ではないのに、節子のように思えることがあります。
不思議なことに、その内容はほとんど思い出せませんが、どことなくあったかくて悲しい感じが目覚めた時に残っています。

先日、テレビで京都栂尾の高山寺の番組を観ました。
高山寺は、たしか節子と一緒に行った記憶がありますが、テレビを見ていてもなかなか記憶が戻ってきません。
西明寺や神護寺は思い出せるのですが、高山寺のイメージが出てこないのです。

高山寺の開祖は、華厳密教を打ち立てた明恵上人です。
残っている明恵上人像の表情はとてもあったかで、会っただけで安堵できます。
明恵は、すべての人を差別しなかったと言われます。
華厳密教と言いながら、とても人間的な信仰を貫いた人だったようです。
白洲正子さんの「明恵上人」を読んだのは、もう30年程前でしょうか。

明恵上人は毎日の夢をしっかりと書きつづった「夢記」という作品を残しているそうです。
そこには女性も出てきます。
明恵は、愛がなければ仏教はわからないと言ったそうです。
もちろんその「愛」は「愛欲」「愛執」ではなく、「法愛」を指すのでしょうが、私には「愛」は一つしかありません。
素直な愛であれば、他者から見れば、「愛欲」に見えても「愛執」に見えても、私には「愛」です。
あえて、「法愛」だとか「博愛」などということ自体に、小賢しさを感じます。

しかし、夢の中で、なぜ節子はいつも、形がないのでしょう。
あるいは違った人の形で現れるのでしょう。
節子の顔を、夢で見るのは、たぶん1年に1回くらいです。
それがちょっと不満ではありますが。

久しぶりに「明恵上人」を読み直したくなりました。

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