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2015/04/09

■駅に着いたのにドアが開かなかった事件

3日前の4月5日の話です。
日曜でしたが、湯島でサロンがあり、夕方6時過ぎに帰宅したのですが、その電車の話です。
千代田線は1~2分遅れることはよくありますが、1~2分の遅れでも車内放送は理由を含めて丁寧に繰り返し説明し、謝罪します。
1~2分など、そんなに謝罪したり説明したりする必要はないだろうと私は思っていますが、今回書くのはそのことではありません。

この日も1~2分遅れて終点の我孫子駅に到着しました。
乗客は扉の所に集まりましたが、なぜかドアがあきません。
不審に思っていると1分ほどして、停車位置を直しますので少しお待ちくださいと車内放送がありました。
私はいつも降りるほぼ同じ場所で位置の違いはあまりなく、少し意外だったのですが、いつになってもドアはあきません。
みんななんとなく異常に気づきだしました。
しばらくして、また停車位置を直すので、ということに合わせて、到着が遅れてすみませんという放送が入りました。
しかし、いつになっても電車は動く気配はありません。
乗客は、席にまた座りだしました。
5分ほどたって、ホームの向かい側に後続の電車が到着しました。
その電車と位置を比べると、なんと位置のずれは1メートル強でした。
隣の若い夫婦が、何だこれだけか、融通が利かないなと怒り出しました。
それでも私たちが乗っている電車は、動く気配がありません。
若い車掌は「到着が遅れてすみません」と繰り返しますが、到着が遅れたのではなく、あなたがドアを開けないだけではないかと思いました。
さらに5分近くがたちました。
そしてようやく電車は1メートルほど移動して、ドアが開きました。

改札口に行ったら、だれも何もなかったように、出札口を通り降りぬけて出ていきました。
私も帰ろうとしたのですが、おかしいと思ったことはきちんと伝えなくてはと思い直し、駅員の居るところに行って、話をしました。
駅員はすでに知っていたようで、責任者を呼びますと言って、話を聴いてくれません。
らちがあかないので帰ろうとしたら、責任者という人がやってきました。
事情はすでに知っていたようで、ただすみませんと謝るだけです。
私は、謝ってほしいわけではなく、理由が知りたいと話し、乗車位置がずれたらドアは開かないシステムなのか、それとも車掌が自己判断で開けなかったのか、位置のずれはどのくらいまでが許容範囲なのか、と質問しました。
そして、もしその仕組みが悪かったら修正するべきだと伝えました。
おそらく今回のことで、後続車は遅れが出て、コストも発生しているでしょう。

答えてもらったのは、開けようと思えば車掌は開けることができますということでした。
ただ、位置のずれによっては、電車がホームの外部に出てしまい、危ないので開けません、今回どのくらいのずれであったかは私は確認できていません、と繰り返しました。
しかし、なぜすぐに停車位置を修正しなかったのかは、何の説明もありませんでした。
たぶん運転手と車掌のコミュニケーションの問題ですが、運転手は乗車位置を直す必要はないと考えたのでしょう。
普通の感覚であれば、今回の場合は誤差範囲だからです。
今までもこれくらいのずれは体験しています。

私に対応した責任者は、何回もすみませんと謝りました。
私は、このことに怒っているのではなく、こうしたことが起こる社会に怒っているのだということは、たぶん伝わらなかったでしょう。
謝ることが大切なのではなく、仕組みや考え方を見直すことが大切だと、その人に伝えたかったのですが、謝られてしまうとこちらがクレーマーのような気がしてしまいます。
しかし、小さなことでもおかしいと思うことに気づいた人はきちんと問題にしていかないと、社会はどんどん壊れていきます。

日本人はマニュアルを活かすのではなく、マニュアルに縛られる、とよく言われます。
仕事に対する責任の捉え方も、最近大きく変わってきています。
人間はどんどんいなくなり、機械部品のように判断できない労働力が動かしている仕組みの社会で生きるには、自分も人間であることをやめなければいけないのかもしれません。
いろんなことに、改めて気づかされた事件でした。

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