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2015/05/15

■節子への挽歌2792:実際に見える顔と写真の顔

節子
昨日はそんな気分ではなかったのですが、小学校時代の仲間と食事をすることになっていたので、重い気分をひきずって大森まで行ってきました。
私は、同窓会というのがあまり好きではないので、滅多に参加しませんが、そのため、時々、個別に呼び出されるのです。
昨日は、節子も知っている湯島にも来たことのあるメンバーたちです。

ところが、鰻屋さんの2階の個室で話していて、いざ帰ろうとしたら、お店の人が誰もいないのです。
予定の時間を過ぎてしまっていたため、もう帰ったのかと思われたようです。
帰るに帰られず、困っていましたが、1時間ほどしてお店の人が、まだいるのですか、と言ってきました。
それで無事、解放されました。
鷹揚なお店か、いい加減なお店か、よくわかりませんが、おかげでさらに疲れました。

まあそれはどうでもいいのですが、みんなそれぞれに病気を抱えています。
今度、会う時は誰が欠けているだろうかという話になり、私も立候補しました。
しかし、大体において、そうした時に立候補するのは残ってしまうものです。

一人が、まあ最後かもしれないので、写真を撮っておくといって写真を撮ったのですが、デジカメでその画面を見直して、写真だと全然違う顔になっていると言うのです。
それはよくわかります。
会った時には子ども時代の関係に戻って、顔まで子どものときの顔に見えてくるものです。
しかし、写真はうそを言いません。
写真だけではありません。
昨日は、冒頭に書いた理由で予想以上に長く鰻屋にいて、そのあとコーヒーを飲みに行ったのですが、鰻屋の時に見えていたみんなの顔と喫茶店でのみんなの顔が違うのです。
つまり、長く話していて、疲れてしまうと、相手の「今の顔」が見えだすのです。

会った時のはつらつさとは全く違った歩き方で、みんな駅に向かいました。
さて次は誰がいなくなるか。
神に愛される人からだとしたら、もしかしたら誰も呼ばれずに、また4人で会うことになるかもしれません。
困ったものです。

しかし、朝の訃報のショックで、何か頭が疲れ切って、後半は実に辛い2時間でした。
帰宅してお風呂に入る気力もありませんでした。
今朝もまだ頭がすっきりしません。

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