■「自民党憲法改正案を読む会」を開きました
参加者は7人、全員男性でした。
改正案を逐条読みながらの議論でしたが、前文、天皇、安全保障、国民の権利及び義務までで2時間半を超えてしまいました。
しかし、ここまでに大きな論点がありますので、ある意味では目的を達成できました。
前文をしっかり読むだけでも自民党改正案の本質がわかります。
できれば皆さんも読んで、いまの憲法との違いを考えてほしいです。
それぞれの文章の主語の違いを比べてみるだけでも、改正案の意図が見えます。
ここでは参加者の一人から、日本人は明治時代の「臣民」からいつ「人民」になったのか。
そして、「人民」ではなくて「国民」であることの意味を認識すべきだと発言がありました。
第1章の「天皇」も、改正案では大きな変質が企図されています。
天皇の人権を無視していいのかという議論も多かったですが、改正案には民主主義や人権尊重という「建前の憲法思想」と整合しない根本的矛盾があります。
「天皇を救え!」という思いが出てこない日本国民の薄情さを私は感じます。
私は、あの「オメラスの話」を、いつも思い出します。
http://homepage2.nifty.com/CWS/heilsham.htm
第2章は、現行憲法の「戦争の放棄」が改正案では「安全保障」になっていますが、この考え方が時代錯誤だという意見が多かったように思います。
この章名は「安全保障」ではなく「安全の放棄」にした方がいいような内容だと私は思います。
第3章の国民の権利及び義務は、もう情けなくなってきます。
憲法とはとても言えない内容のような気がします。
そんな感じで、改正案のあまりのお粗末さに、この改正案は本気でつくったのかという疑問が出てきます。
しかし、どんなものでも、一応、与党の公式の改正案ですから、これがデファクトとしていつのまにか「認知」されていきかねません。
条文から離れて1時間ほどの話し合いをしましたが、なかなか止まりません。
なんとか議論を収斂させようと試みましたが、その都度、また新しい論点へと広がって止まらないのです。
それで無理やり切って、最後にそれぞれが感想を言って、何とか4時間近い議論を終えました。
私は次のような感想を述べました。
改めて憲法を読んでみると、現行憲法も含めて、「統治基本法」でしかないこと。
それでも現行憲法にはわずかに残っていた理念や普遍性志向が削除され、ますます手続法になってしまっていること。(たとえば、現行憲法の97条が削除されています)
立憲主義の理念は失われ、臣民の守る道を示す「ありがたい存在」を目指していること。
私たちは、日本国憲法のもとで「人民」へと変われるはずだったのに、やはり「国民」という名の臣民にとどまっているのを見透かされてしまっているのです。
こういう学びや話し合いの場は、意味を持っているのでしょうか。
今回、物足りなかったのは、自民党の改正案に賛成する人がいなかったことです。
意見の同じメンバーが話し合っても意味はありません。
もしみんなの意見が同じであれば、次は行動に移さねばいけません。
そんなわけで、それぞれ何かアクションにつながるように考えようという提案をしました。
私は最近、政府向けのデモよりも、まずは自分の思想を磨くことが大切だと思い出しています。
そのためにも、この種のテーマの話し合いの場を続け、参加者を広げたいとと思います。
それが私の、当面のアクションプログラムです。
今度は現行憲法を読む会をやる予定です。
ちなみに、自民党憲法改正案に関する私見は以前、このブログでも書きましたが、その総集編が次にあります。
http://homepage2.nifty.com/CWS/kenpo13.htm
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