■節子への挽歌2789:気分の重い日もあります
節子
節子がいなくなってから、たぶん今日は2812日目です。
この挽歌は、ついに3週遅れになってしまいましたが、やはりパソコンに向かう時間がありません。
物理的にはあるのですが、気分的にないのです。
しかし、3週も遅れてしまうと、挽回しようという気もなかなか起きません。
困ったものです。
それにしても、何が気分を沈ませているのでしょうか。
挽歌だけではなく、時評編も書いていないのですが、社会の動きにも最近は怒りさえ感じなくなりました。
最近は新聞も10分ほどしか読みませんし、テレビニュースもほとんど見なくなりました。
社会からリアリティがなくなってきています。
自分自身の存在のリアリティがなくなっているというべきかもしれません。
そこに居たいと思う「社会」がなくなっているのかもしれません。
こんなことを書いていると「うつ」ではないかと思われそうですが、事実、そうなのかもしれません。
夜中もよく目が覚めます。
いささか不眠気味で、夜は好きにはなれません。
なにやら最近はブラックホールに捕らえられてしまったようで、心身がとても重いのです。
誰かと会っている時は、なぜか元気になるのですが、別れた後はどっと落ち込みます。
軽い躁鬱でしょうか。
節子がいなくなって7年半。
もしかしたら、時間の経過は、人を弱くするのかもしれません。
時間が解決するなどとは、一体だれが言い出したのでしょうか。
時間が経てば経つほど、さびしさや辛さは蓄積されてくるだけです。
今日はちょっと気分が重い日でした。
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