■節子への挽歌2800:不安や怒りのはけ口のような存在
節子
最近、いろんな重い話に覆われているのですが、今朝の金田さんからの電話も重すぎて、少し金田さんには失礼な応対をしてしまいました。
私が感情的になってしまう話題はいくつかあるのですが、がん治療の話は、いまもってダメなのです。
どこかで頭が混乱してしまい、ついつい聞きたくないというメッセージを発してしまうのです。
今日も最初は自重していたのですが、途中でやはりおさえられなくなってしまいました。
幸いに金田さんも頭が混乱しているのと、話すのに夢中で、私の言葉は届かなかったかもしれません。
その証拠に、佐藤さんの元気な声を聞くと元気になると言ってくれました。
私が元気だったのでなく、いささかいらだっていただけのことなのですが、それが金田さんには元気に感じたのでしょう。
そしてその後に、金田さんが、こういう話は誰にもできないので、佐藤さんにしか言えないのですと言ってくれたので、私は大いに反省しました。
がん治療の話を聞くのはやはり私には耐えがたいのですが、
そんな思いで電話してきてくれたのに、なんと冷たい対応だったことか。
つづいて、今度は違う意味で「重い電話」がかかってきました。
武田さんが、安保11法案の閣議決定後の安倍首相の記者会見の新聞記事を読んで、どうしようもなく腹が立ったので電話したというのです。
とんだとばっちりです。
迷惑だよと言ったら、こういう話をわかって聞いてもらえるのはあなただけだからというのです。
なんだか私は、不安や怒りのはけ口のような存在の気がしてきました。
そこで、はっと気づいたのですが、もしかしたら、節子は私にとっての「不安や怒りのはけ口」だったのかもしれません。
いや、間違いなくそうだったでしょう。
だから私は、節子が元気だったころは、ストレスとは無縁でした。
しかし、私は、節子にとっての「不安や怒りのはけ口」になれていたでしょうか。
なれていたようでもあり、なれていなかったようでもある。
いささか微妙です。
最近、私が精神的に不安定で、気が高まらないのは、「不安や怒り」を内蔵しているからかもしれません。
どこかに行って吐き出せるといいのですが、私にはそういうことがほとんどできないのです。
節子はそれを知っていました。
だから私の話はすべて(聞き流しながらも)受け止めていてくれたのです。
かけがえのない、良き伴侶でした。
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コメント
佐藤様
ご無沙汰しています。pattiです。
「かけがえのない伴侶」を喪ってからどのように生きていったらいいのか、という命題が解けないまま続いています。それでも時間は解決してはくれないけれど、「されど時間」ということも実感しています。この世に自分は生きているという違和感、浮遊感は変わらないけれど社会や世界を知っていくことが止まらない日々を重ねるようになりました。
佐藤さんはずっとそうして活動も継続されているのだから私など恥ずかしいのですが。
「佐藤さんにしか言えないのです」「こういう話をわかって聞いてもらえるのはあなただけだから」というのは他者に強く求められる存在ということ。とても素晴らしいことですね。私も佐藤さんならきっと共鳴してくれる…と思ってコメントしてしまいます。
投稿: patti | 2015/05/24 21:59
pattiさん
お久しぶりです。
「解けない命題」。まさにその通りですね。
時間は何も解決してくれませんが、「されど時間」というのも、よくわかります。
そして、「社会や世界を知っていくことが止まらない日々」。
ちょっとpattiさんの笑顔が見えるような気がします。
とてもうれしいです。
ちなみに、
いろんな人が私に声をかけてくださるのは、たぶん、私が無意識のままに、救いを発信しているからかもしれません。
そういう友人たちのおかげで、私もなんとなく元気なのですから。
投稿: 佐藤修 | 2015/05/26 17:13