■節子への挽歌2791:死にふさわしい言葉は「無念」
節子
昨日訃報を受けた後、最後まで面倒を見ていたHさんと電話で話しました。
彼女にとってもあまりにも突然のことだったようです。
Daxは、男前に生きることを信条にしていました。
しかし、最後はちょっと手違いがあったようです。
いくつかのほころびが感じられます。
彼にしてもやはり、死に直面して、いささか揺らいだのかもしれません。
人であれば、それもまた仕方がないことかもしれません。
彼は献体を望んでいましたが、手続き的な理由で、それができなくなったそうです。
そうなれば、からの次の希望は「散骨」です。
日本海に戻るという彼の希望はかなえられるでしょう。
Daxの余命宣告から始まる展開から、さまざまなことを教えられました。
死は、まさに「祭り」なのだと思いました。
本人にも、周りの人にも。
しかし、祭りの気分の乗れない人がいます。
あるいは、本人自体、ある人との関係においては「祭り」にできないものがあります。
まだ直観的な理解にすぎませんが、そう思います。
Daxが、最後の別れの集まりに、私に来ないように言い、一言ぼそっとつぶやいた言葉が心に残っています。
彼はたぶん、死がお祭りであることを知っていたのです。
一度は、自ら命を断とうとしたしたこともありますから、死にはなんの恐れもなかったでしょう。
ただ無念だったとは思います。
節子もそうでしたが、死に当てはまる言葉は「無念」だけかもしれません。
Daxの冥福をいのるだけです。
最後に一度だけ、夢を見たと彼が話していたのが思い出されます。
Daxの遺したブログがあります。
http://blog.goo.ne.jp/kurara_77
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コメント
神崎さんの夢「ハンデのある方を旅行に連れて行きたい!」ですね。。。
やりたいことができそうだったのに、「無念」の一言でしょう。
身体が辛いながら、目をキラキラさせ前向きに話していました。
その後の余命宣告
佐藤様にはどのように話していたのでしょうか?
ゆっくり聞いてみたいです。
お会いできる日を楽しみにしております。
お忙しい中 お時間をとらせてしまい申し訳ございません。
ご都合のメールに返信をさせていただきましたが、届いていますでしょうか?
投稿: 端川 由紀代 | 2015/06/06 12:52