■節子への挽歌2797:ひがみ根性を捨てなければいけません
節子
今日はさわやかな日になりました。
気持ちも明るくなります。
一昨日、企業関経営関連のシンポジウムがありましたが、気分が全く乗らずに、話したいことがなかなか話せずに、場違いさを感じ滅入っていました。
自分が、いかに「いまの企業」の世界から脱落してきているかを改めて思い知らされていました。
しかし、最後に主催者の人から「佐藤さんの話はとてもわかりやすかったと参加していた某大企業の社長が言っていた」と教えてもらいました。
ちょっと元気になれました。
しかし、私が「しかし今日は疲れていたせいか、うまく思いを話せなかった」というと、それくらいがいいのかもしれませんよ、と笑いながら言われました。
実は、この人も、某大企業の社長だった人です。
この言葉は、どう受け止めたらいいでしょうか。
いつもは、いささかラジカルすぎて、伝わっていないのかもしれません。
そのことを、柔らかく指摘してくれたのかもしれません。
シンポジウム終了後、わざわざ3人の人が挨拶に来てくれました。
これも少し元気をもらいました。
翌日、お礼のメールを送ったら、その一人が、「切り口が新鮮で、いつも大変勉強になります」と書いてきてくれました。
どうも以前から私のことを知ってくれていたようです。
これが褒め言葉かどうかは微妙なところですが、少しだけ伝わっていることもあるのかもしれません。
25年前は、思い切り伝えたくて、いろんなところで話をさせてもらいました。
しかし、あの頃はまだ頭で考えるだけでした。
いまは、かなり先が見えるような気がします。
そして、ますます社会から脱落していく自分を感じます。
昔は、それが快かったのですが、最近は時に弱気になるのです。
節子が隣にいないためかもしれません。
絶対的に信じてくれて、運命を共にする人が一人でもいれば、人は強くなれます。
最近、私自身がひがんでいて、自分を社会から疎外しているのかもしれません。
これは一種の甘えかもしれません。
もう少し強くならなければいけません。
何しろ私には未来が見えているのですから。
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