■節子への挽歌2801:久しぶりの墓参り
節子
もう1年近くになりますが、どうも生活リズムがとりにくくなっています。
自分がしっかりしていないせいで、さまざまなトラブルに巻き込まれたり、あるいは周辺の動きに的確に対応できずにいたり、さらには余分な問題を引き寄せたりしているような気がします。
これでは節子がいなくなった当時よりも、生活は不安定になっているとさえ言えます。
しかし、それは当然のことかもしれません。
社会もそうですが、個人も崩れていくのは、徐々になのです。
自分の生活を顧みると、それが実感できます。
最近会う人から言われる言葉に、「お元気そうですね」というのがあります。
この背景には、「元気でない私」が想定されているということですので、言われた本人にはあまりうれしくない言葉です。
同時に、元気が当然の人にはそんな言葉はかけませんから、その真意は元気ではないということでもあるでしょう。
そうした「言葉の機微」が、最近はよく伝わってくるようになりました。
それは、私自身の気が弱くなっているということの現れでしょう。
いずれにしろ、この1年は、それなりに厳しい1年でした。
しかし、そろそろ決着をつけたい気がしてきました。
私も、この30日で、74歳になることも関係しています。
私自身は、誕生日にはあまり意味を感じないのですが、なにかの節目にすることはできます。
とりわけ、四半世紀を単位に生きようと決めたこともありますから、いささか「長い第3四半期」はそろそろ終わりにしたい気もします。
節子が元気だったら、2年前に第4四半期に移っていたはずです。
それができないままに、ぐずぐずしているのも、生活リズムが壊れた理由の一つかもしれません。
ここしばらくお墓にも行けずにいました。
気にはなっていたのですが、いろんな意味で余裕がなかったのです。
今日、行ってきました。
本堂にもお参りしてきました。
挽歌も「2800」を超しました。
気分を改めて、前に向かおうと思います。
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