■節子への挽歌2802:リズムある生活への第1日目
節子
朝、きちんと庭の花木に水やりをすることにしました。
まずは「リズムある生活」の回復です。
相変わらず何かに追われている感じから抜け出られません。
別に契約相手がいる「ビジネス」ではなく、すべてがほぼ自発的な活動なのですが、なんでこうもいろいろと手出ししてしまっているのだろうかとわれながら驚くほどです。
なかには、ちょっと後悔しているものもありますが、基本的にはすべて私が勝手に引き受けてしまったことですから、誰かの責任ではありません。
それに、最近は経済的にもいささか厳しいので、昔ならば専門家に頼んでいたことも、すべて自分でやらなければいけません。
つぶれないで何とか続いている私の会社の決算も、知人を支援するために作ったけれど、結局つぶれてしまった会社の決算も、自分でやらなければいけません。
会社はまだかなりの借金がありますが、節子がいなくなってからは支出ゼロに近づけて、わずかの収入を返済に充てています。
しかし、昨年は、友人を支援するためにまた借金も増やしてしまいました。
にもかかわらず、彼を救うことはできませんでした。
お金をもらう仕事はほとんどしていませんが、逆に何もしていないのに、毎月、会社に入金してくれる人たちもいます。
それで何とか湯島のオフィスは維持できていますし、時に私も仕事ができます。
会社時代には、仕事をするとお金をもらえましたが、いまは仕事をするためにはお金がかかります。
自分がしたいと思って取り組む仕事だからです。
もう少しお金があれば、もっと仕事ができるのですが、最近は出張もままなりません。
それが悪いわけではなく、そのおかげで、私自身は楽ができるのです。
しかし、その分、よけいな約束をしてしまい、時間に追われてしまうことになるわけです。
私はやはり「仕事」が好きなのでしょう。
節子は、いつもそれを少し嘆いていましたが。
しかし、ようやく最近、いろいろと吹っ切れだしました。
自分の愚鈍さが、心底、わかってきたからかもしれません。
私が、少しだけ「賢く」感じられたのは、たぶん節子のおかげです。
自分一人では何もできない自分を、最近、厳しく思い死らされています。
娘たちが、少し早目の誕生日をケーキで祝ってくれました。
しかし、誕生日がめでたいと思ったことは、実は私はこれまで一度もないのです。
せっかくなのでお祝いを受けることにしましたが、子どものころからそうなのです。
でもまあ、これを機会に、もう一度、生活を整えだそうと思います。
最近、気が起きてこないのは、生活にリズムがないからでしょう。
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