■節子への挽歌2790:DAXの死
節子
今朝は天気が良くて、気も晴れそうだと思っていました。
早々と庭の水やりをやり、さて出かけようと思って、パソコンでメールをチェックしたら、思いもかけないメールが、知らない人から入っていました。
余命宣告を受けて福井に戻っていた友人の訃報でした。
つい数日前にはフェイスブックで、昔の兄貴分と別れの食事をしたというようなことが書かれていたので、安心していました。
彼には6月か7月には福井に見舞いに行くと伝えていましたが、間に合いませんでした。
実は、その見ず知らずの人から、彼が入院したというメールが届いていました。
迷惑メールに紛れ込んでいたので気づきませんでしたが、そこに、「もし入院したら私に連絡するように」といわれていたのだそうです。
気づいた時点で、電話すれば良かったのですが、そんなに迫っているとは思わなかったのです。
また間に合いませんでした。
しかし、これもまた、彼の意図したことかもしれません。
東京を離れる時に、彼の送別会がありました。
電話すると、彼は、「佐藤さんが来るような送別会ではない」と言いました。
それで、では夏になったら福井に行くよと言っていたのです。
余命宣告を受ける直前に、彼は湯島に来ました。
これからの生き方を話し合いました。
それに向かって動き出した途端の、余命宣告でした。
心と笑顔のきれいな人でした。
人生の半分は刑務所で暮らしたと話していました。
数年前に、足を洗い、福祉の関係の仕事をしていました。
彼は私には見栄も張らずに心を開いていました。
最後に会えなかったのは、心残りですが、心がつながっていれば、会うかどうかは些末なことなのです。
しかし、彼と出会ったのは、きっと何か意味があったのです。
まだ頭が整理できませんが、彼のことですから、彼岸への旅もきっと楽しんでいることでしょう。
心がまた不安になってきています。
困ったものです。
これもまた、意味があるのかもしれません。
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