■Proactive contribution to peace
平和に向けて先手を打つ貢献――。
英語の「Proactive contribution to peace」を訳してみた。
実はこの英語も翻訳で、もとは日本語の「積極的平和主義」。
自民党内に「憲法に盛り込もう」という声もある言葉だ。
これは一昨日(2015年5月3日)の朝日新聞の<座標軸:連帯なき「積極的平和主義」>の書き出しの文章です。
筆者は論説主幹の大野博人さんです。
現在の日本の政府は、この「積極的平和主義」に向けて憲法を変えていこうとしています。
言葉は恐ろしいもので、「積極的平和主義」と言われれば、ほとんどの人が肯定的に受け取るでしょう。
しかし、これは両義的な意味を持っています。
誰に「貢献」するかの視点をどこに置くかで、「平和」の意味が逆転するからです。
そもそも「貢献」という言葉ほど、危うい言葉はありません。
「平和のための戦争」という言葉もありますが、平和と戦争はコインの両面です。
平和と戦争は、決して対立概念ではありません。
それを鋭く指摘したのがノルウェーの政治学者ヨハン・ガルトゥングです。
ガルトゥングは、戦争のない状態を「消極的平和」とし、それに加えて、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない状況を「積極的平和」としました。
安部首相が「積極的平和主義」と言い出した時、私はガルトゥングの「積極的平和」を思い出したのですが、それとはむしろ真逆な概念でした。
大野さんが「平和に向けて先手を打つ貢献」と書かれているのを読んで、思い出したのが、1970年代の戦争抑止議論です。
核による抑止論に対して、アメリカの心理学者チャールズ・オズグッドは、段階的な核軍縮を先導することこそが戦争を回避するというGRIT(Graduated Reciprocation in Tension-reduction)論を提起しました。
この考え方は、戦争に限らず、人の生き方において、示唆に富んでいます。
「Proactive contribution to peace」
「平和に向けて先手を打つ貢献」
どこかに違和感があります。
たぶん、その時の「平和」「peace」が、現場から遠く離れた統治者にとっての「秩序」を意味するからではないかと思います。
大切なのは、生活者一人ひとりのの安心と安全、そして尊厳です。
視点を変えれば、平和の意味は一変するのです。
個人の尊厳や安全を守る視点から発想していかないと、また聖戦論や正戦論が出てきます。
「聖戦」はイスラムだけが使っているわけではありません。
日本でも太平洋戦争は「聖戦」と言われていたことを思い出さなければいけません。
安部首相の頭の中には、いまなおそういう考えが残っているように思えてなりません。
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