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2015/06/29

■「70年の不戦」その5:弱者は、弱者であることによってこそ、守られている

お互いに知り合うことが、お互いの争いの原因になるか争いを起こさない状況づくりになるか。
これは一概には決められません。
しかし、大切なことは「知り合うこと」の内容だろうと思います。

最近知り合ったガーナの若者が、“We As One”というNGOをやっています。
そのテーマは「深さ」。
どんな人も、深いところでは共有できるものを持っているというのが、彼らの信念です。
大切なのは、共有できるところを大切にしながら、お互いの生き方を尊重し合うことだろうと思います。
それができれば、争いはなくなるでしょうから。

争いは多くの場合、「相手に対する警戒心」から起こるのではないかと思います。
警戒心を呼び起こす「知り合う程度」と警戒心を打ち消し合う「知り合う程度」というのがあるように思います。
これは人によって大きく違うでしょうから、悩ましいわけです。

人間にとって、心はなかなか外部からは見えませんが、顔は無防備に外部にさらされています。
昨日書いたレヴィナスの言葉は、だから「無防備さは争いを抑止する」という風にも受け止められます。
私たちは、ふつうであれば、無防備な子どもには暴力を襲う気にはなれません。
そうではないでしょうか。
そして、もしそうであれば、「力による抑止」などという発想は捨てるべきでしょう。
弱者は、弱者であることによってこそ、守られているというのが、私の考えです。
もし、弱者が、攻撃されるとしたら、それはたぶん弱者ではないからです。

しかし、そうした「事件」や「戦争」が起こるようであれば、それは「人」以外の要素が、そういう事態を起こしていると私には思えます。
ですから、もしそうしたことが起こることがあるという反論には賛成はしません。
そして、その点にこそ、もしかしたら問題の本質があるように思います。

また小難しい議論に向かっていますね。

最近、個人的な理由でブログが書けませんでした。
書かないうちに書きたいことがどんどん膨れ上がってしまい、なかなか最初の路線に戻れません。
しかし、ここは流れに任せましょう。
今日は2つほど、この続きを書こうと思います。
明日になるとまた違ったことを書きたくなりそうですので。

ちょっとこれから出かけるので帰宅してから書きます。

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