■「70年の不戦」その4:戦争を回避する具体策
生活面での事情で書けない日が続きました。
日数はあきましたが、前の続きです。
サロンでは、戦争の抑止理論はともかく、戦争回避の具体策はないのかという話も出ました。
一番効果的なのは、お互いに知り合うことではないかと私は発言しました。
即座に反論を受けました。
そんな甘い考えは実際にはなりたない、と。
「栄光への脱出」(エクソダス)という映画があります。
イスラエルの建国物語を、ユダヤの視点から描いた映画です。
主演はエヴァ・マリー・セイントとポール・ニューマン。
私は大学生の時に観ました。
おそらくアラブとの関係だったのでしょうが、1970年代以降、日本では上映もテレビ放映もなかったような気がしますが、最近また解禁されているようです。
イスラエル建国が決まり、パレスチナに世界中からユダヤ人が移住してきます。
それまでユダヤ人と仲良く暮らしていた主人公の友人のアラブ人は、自分の意思とは別にユダヤ人の集落から去っていき、結局は同胞のアラブの過激派に殺害されます。
学生時代に観たこのエピソードはその後もずっと深く残っていて、忘れられません。
顔見知り同士でも、何か別の理由で、戦争に加担せざるを得なくなる。
私には、あってはならないことですが、歴史書にはそうした話は山のように出てきます。
フランスの哲学者レヴィナスは、「他者の顔に直面するとき、人は、その他者を殺すことはできない」と書いています。
人は人を殺せないのです。
前にも書きましたが、たとえ戦場であろうとも敵の顔を見たら、銃を撃てない人が多いことはさまざまな調査結果が証明しています。
ましてや、それが知り合いであれば、普通なら無理でしょう。
相手を殺すくらいなら、自ら死を選べと言った鶴見俊輔の言葉は、彼の体験からの思いでしょう。
そんなことは、勝手な想像からは出てくるはずもありません。
話がどんどん横道にずれていますが、争いを回避する最善策は、やはりお互いを知り合うことだと思います。
日韓も日中も、国家の関係は悪いですが、交流関係のある個人同士はたぶん信頼し合えることが多いでしょう。
そうした人同士の信頼関係が、本来は争いを回避するのではないかと、私は思います。
しかし、ここで悩ましい問題があります。
知り合うことによって、また誤解や不信感や憎しみが生まれることもあるということです。
家族間や親しい友人の間での争いや殺害事件は決して少なくありません。
それをどう考えればいいか。
話がどんどん広がっていきますが、もう少し書いてみたいと思います。
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