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2015/06/30

■「70年の不戦」その8:戦争ができることの条件としての隷従性

戦争を起こさない一番確実な方法は、国民が戦争を拒否することです。
人を殺さなければいいのです。
これには「覚悟」が必要ですが。

「戦争するってどんなこと?」という本で、ダグラス・ラミスはこう書いています。

日本を「戦争ができる国」に変えようとするなら、憲法9条を変えるだけではできません。 日本社会を「戦争ができる社会」に変えなければなりません。

そのためには「教育」が大きな役割を果たします。
報道機関も、です。
最近物議を沸かしている百田さんの「永遠のゼロ」という小説や映画も、その一翼を担っています。
「永遠のゼロ」の映画を観て、感動したという人は、すでに戦争支援者になっていることを認識しなければいけません。
ちなみに、百田さんのような人は、戦争を商材と考えているのでしょう。
自らは絶対に巻き込まれない「安全な場所」にいるわけです。

話がそれましたが、戦争をすることを決めるのは安倍首相や百田さんのような人ですが、戦場に行くのは、徴兵された国民です。
ですから国民が兵役拒否をし、戦場に行くことを拒否し、戦場で相手を殺すことを拒否すれば、戦争は実際には遂行できないのです。

ここで、以前もこのブログで書いた「自発的隷従性」ということが思い出されます。
戦争が起こさないためには、私たち一人ひとりが隷従性を断ち切り、信念で生きることを守ればいいのです。
第二次世界大戦でも、良心的兵役拒否者は日本にも存在しました。

戦場でもし敵国兵士と向かい合った時にも、銃を発砲しなければいいのです。
その結果、自らが死ぬことになるかもしれません。
しかし、どうでしょうか。
相手を殺すことと自らが殺されることと、あなたはどちらを選ぶでしょうか。
これもまた悩ましい問題ですが、鶴見俊輔さんは「教育再定義への試み」の中でこんな話を書いています。

私の息子が愛読している『生きることの意味』の著者高史明の息子岡莫史が自殺した。『生きることの意味』を読んだのは、私の息子が小学校4年生の時で、岡真史(14歳)の自殺は、その後2年たって彼が小学校6年生くらいの時だったろう。彼は動揺して私のところに来て、「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」とたずねた。私の答は、「してもいい。2つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦したくなったら、その前に首をくくって死んだらいい」。

鶴見さんは戦場に行っているはずです。
体験からの信条だと思います。

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