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2015年6月

2015/06/30

■「70年の不戦」その8:戦争ができることの条件としての隷従性

戦争を起こさない一番確実な方法は、国民が戦争を拒否することです。
人を殺さなければいいのです。
これには「覚悟」が必要ですが。

「戦争するってどんなこと?」という本で、ダグラス・ラミスはこう書いています。

日本を「戦争ができる国」に変えようとするなら、憲法9条を変えるだけではできません。 日本社会を「戦争ができる社会」に変えなければなりません。

そのためには「教育」が大きな役割を果たします。
報道機関も、です。
最近物議を沸かしている百田さんの「永遠のゼロ」という小説や映画も、その一翼を担っています。
「永遠のゼロ」の映画を観て、感動したという人は、すでに戦争支援者になっていることを認識しなければいけません。
ちなみに、百田さんのような人は、戦争を商材と考えているのでしょう。
自らは絶対に巻き込まれない「安全な場所」にいるわけです。

話がそれましたが、戦争をすることを決めるのは安倍首相や百田さんのような人ですが、戦場に行くのは、徴兵された国民です。
ですから国民が兵役拒否をし、戦場に行くことを拒否し、戦場で相手を殺すことを拒否すれば、戦争は実際には遂行できないのです。

ここで、以前もこのブログで書いた「自発的隷従性」ということが思い出されます。
戦争が起こさないためには、私たち一人ひとりが隷従性を断ち切り、信念で生きることを守ればいいのです。
第二次世界大戦でも、良心的兵役拒否者は日本にも存在しました。

戦場でもし敵国兵士と向かい合った時にも、銃を発砲しなければいいのです。
その結果、自らが死ぬことになるかもしれません。
しかし、どうでしょうか。
相手を殺すことと自らが殺されることと、あなたはどちらを選ぶでしょうか。
これもまた悩ましい問題ですが、鶴見俊輔さんは「教育再定義への試み」の中でこんな話を書いています。

私の息子が愛読している『生きることの意味』の著者高史明の息子岡莫史が自殺した。『生きることの意味』を読んだのは、私の息子が小学校4年生の時で、岡真史(14歳)の自殺は、その後2年たって彼が小学校6年生くらいの時だったろう。彼は動揺して私のところに来て、「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」とたずねた。私の答は、「してもいい。2つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦したくなったら、その前に首をくくって死んだらいい」。

鶴見さんは戦場に行っているはずです。
体験からの信条だと思います。

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■「70年の不戦」その7:戦場は「殺す場」なのか「殺される場」なのか

話が横道にそれているので、先日の「不戦の70年」サロンの話題に戻ろうと思います。

その時に、私が発言したことの一つが、「戦争における対立構造」の問題です。
戦争は「国家対国家」の対立構造で捉えられますが、そうではないのではないかという問題提起です。

9.11の後、ブッシュが、「テロとの戦争」と言いだしてから、戦争は変質し、IS国などというものが出てきましたが、これに関しては前にも書きました。
ただし、その後の動きを見ていると、これは決して「国家」とは無縁でない気がしてきました。
アメリカ独立戦争もイスラエル建国戦争も、こんなスタイルで始まったのでしょうから。

しかし、もっと根底にある構造に目をやる必要があります。
近代国家のスキームではとらえられない対立構造が強まっているように感じます。
山本七平さんの「私の中の日本軍」の中にこんな文章があります。

私は、否、私だけでなく前線の兵士は、戦場の人間を二種類にわける。その一つは戦場を殺す場所だと考えている人である。(中略)この人びとは、いわば絶対安全の地帯から戦場を見ている人たちである。だがもう一つの人びとにとっては、戦場は殺す場所ではなく、殺される場所であり、殲滅する場所でなく繊滅される場所なのである。」 (中略) 前線の兵士たちにとって戦場とは「殺される場所」以外の何ものでもない。そして何とかして殺されまいと、必死になってあがく場所なのである。そして、ここに、前線の兵士に、敵味方を越えた不思議な共感がある。私たちがジャングルを出て、アメリカ軍に収容されたとき一番親切だったのは、昨日まで殺し合っていた最前線の兵士だった。これは非常に不思議ともいえる経験で、後々まで収容所で語り合ったものである。

山本さんは、「戦争をさせる人たち」と「戦争をやらされる人たちの構図で捉えています。
これも一つの捉え方ですが、私はさらにその奥に、「戦争を起こすシステム」と「そのシステムに駆りだされる人間」の構図があると思います。
このブログでも何回か書いているように、要は「システム対人間」の構図なのです。
その対立構造の中で、戦争もまた生まれてきています。
アーレントが喝破したように、凡庸な人だったアイヒマンが巨大な悪を実行できたのは、システムに魂を売り払ったからなのです。

さらに言えば、システムに魂を売った人間は、そうでない人間とは明らかに違います。
しかし、どちらが幸せで平和かというのは、これまた悩ましい問題です。
サロンでは、ついつい「家畜の平和(幸せ)」と「野生の平和(幸せ)」という、いささか過激な言葉を使ってしまいましたが、私たちはどこを目指そうとしているのでしょうか。
自分の問題として考えてみても、これは難しい問題です。

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■「70年の不戦」その6:「信頼関係」を失わせてきた「不戦の70年」

昨日はやはり時間がなくて書けませんでした。

6月27日に、若者を中心にしたカフェサロンを開きました。
若者中心と言っても、大学生が3人と私のような高齢者も含めた40代以上が6人ですから、頭数では若者中心ではありません。
この集まりももう3回目ですが、私がそもそもこれを始めたきっかけは、学生たちに社会のことをもっとよく知ってもらい、彼らからの発信の場をつくれないかということでした。
社会に入れなくなっている若者たちの多さを日々実感していたからです。
しかし、サロンを開いても、若者はあまり集まらず、また、若者たちから「意志」が伝わってこずに、実はもうやめようかと思っていたのです。

ところが、その集まりを終わった後、参加していた一人の若者から、3回目にしてようやく若者層と元若者層の心が少しだけつながった気がしたと言われました。
そこで自分の不明さに気づきました。
つまり私たちは「信頼されていなかった」のです。
たしかに、話し合いの途中である若者から、作業を押し付けられる危惧の表明がありました。
作業を押し付ける気は全くありませんし、そもそも私の意識では彼らのために私自身がかなりすでに多くの作業をしている気持だったのです。
この「彼らのため」という意識が、そもそも「押し付け」かもしれませんが、彼らは作業を押し付けられることを懸念していたのです。
思ってもいなかったことでした。

ある調査によると、日本の社会はもはや「信頼」を基本にした社会ではなく、注意しないと誰かに騙される社会だと認識している若者が8割もいるそうです。
大人たちが呼びかける集まりには、何か裏があると感じる状況がすでにあるのかもしれません。
この集まりに関しては、最初から私は明確に目的を話してきているつもりですが、あまり伝わっていないようです。
すでに日本の社会は、「不信」を基盤とする社会に、変質してしまっているのかもしれません。
私が育ったころの日本社会は、人への信頼感があった気がします。
ちなみに私は、人を信頼することから付き合いを始めるようになっていますが、これはたぶん育った時代の社会がそう育ててくれたのだと思います。

話が「不戦」と関係ないところに向かっているように思うかもしれません。
しかし私には深くつながっていることです。
まず、もし、この「70年の不戦」の時代が、「信頼関係」を壊し不信を育ててきたのであれば、それは果たして「不戦」と言えるのだろうかという疑問です。
もうひとつは、信頼できない関係が広がっていけば、それこそいつか「戦争」につながるのではないか。
言い換えれば、信頼を育てることこそが、戦争を回避することではないかということです。

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2015/06/29

■「福島の子どもたち」をテーマにしたサロンの報告

昨夜の「福島の子どもたち」をテーマにしたサロンは、たくさんの人に聴いてほしかった内容でした。
この種のテーマの集まりは、さまざまなところで開催されているでしょうが、やはり改めて、小さな場での話し合いの意味を感じました。

雨の中を10人が集まりました。
たまたま新潟から出張してきていた[ささえあいコミュニティ生活協同組合]の高見さんと川上さんも参加してくださいました。

立柳さんは詳細のレジメとともに、たくさんの資料を用意してきてくださいました。
立柳さんは年に1回程度、福島の実状をコムケアサロン話してくださるのですが、今回もかなり驚愕な事実がありました。
今回は録音しておき、文字起こしすべきだったと後悔しました。
一番心に残ったのが、除染作業員に関することでした。
中途半端に書くと誤解されますので、やめますが、沖縄を思い出しました。

今回は、学生から70代まで、女性も2人、経済界の関係者や食養に取り組んでいる人、NPO関係者、原子力行政に関わる組織の人など、多彩な立場の人がいたため、話し合いもさまざまな視点に広がりました。

非常に象徴的だったのは、初めて参加した人が、これまではあまり深くは考えていなかったが、立柳さんの話を聞いて、ちょっと認識の甘さを感じ、その後の話し合いの中で、生活実感的にはまた少し揺り戻され(あまり神経質になることもないかなと思い)、しかし、最後には立柳さんが話された、いろんな捉え方があるが、大切なのはそれぞれが自分の問題として主体的に考え行動することだというメッセージに納得したと話されたことです。
これこそが、まさに私がサロンをやっている目的ですので、うれしい思いをしました。

にもかかわらず、「自分の問題として主体的に考え行動すること」だけでいいのかと、私は少し異を唱えました。
それは、「体験したものの責任」ということです。
これは改めて、この時評編に書く予定です。

話の密度も高かったので、30分も延長してしまいましたが、話したりなかったことがたくさんありました。
立柳さんのメッセージはいつも心に響きます。
やはり現場に触れている「外の人」の目は大切です。
福祉関連のNPO活動をしている人たちにぜひ聞いてほしかった話でした。

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■「70年の不戦」その5:弱者は、弱者であることによってこそ、守られている

お互いに知り合うことが、お互いの争いの原因になるか争いを起こさない状況づくりになるか。
これは一概には決められません。
しかし、大切なことは「知り合うこと」の内容だろうと思います。

最近知り合ったガーナの若者が、“We As One”というNGOをやっています。
そのテーマは「深さ」。
どんな人も、深いところでは共有できるものを持っているというのが、彼らの信念です。
大切なのは、共有できるところを大切にしながら、お互いの生き方を尊重し合うことだろうと思います。
それができれば、争いはなくなるでしょうから。

争いは多くの場合、「相手に対する警戒心」から起こるのではないかと思います。
警戒心を呼び起こす「知り合う程度」と警戒心を打ち消し合う「知り合う程度」というのがあるように思います。
これは人によって大きく違うでしょうから、悩ましいわけです。

人間にとって、心はなかなか外部からは見えませんが、顔は無防備に外部にさらされています。
昨日書いたレヴィナスの言葉は、だから「無防備さは争いを抑止する」という風にも受け止められます。
私たちは、ふつうであれば、無防備な子どもには暴力を襲う気にはなれません。
そうではないでしょうか。
そして、もしそうであれば、「力による抑止」などという発想は捨てるべきでしょう。
弱者は、弱者であることによってこそ、守られているというのが、私の考えです。
もし、弱者が、攻撃されるとしたら、それはたぶん弱者ではないからです。

しかし、そうした「事件」や「戦争」が起こるようであれば、それは「人」以外の要素が、そういう事態を起こしていると私には思えます。
ですから、もしそうしたことが起こることがあるという反論には賛成はしません。
そして、その点にこそ、もしかしたら問題の本質があるように思います。

また小難しい議論に向かっていますね。

最近、個人的な理由でブログが書けませんでした。
書かないうちに書きたいことがどんどん膨れ上がってしまい、なかなか最初の路線に戻れません。
しかし、ここは流れに任せましょう。
今日は2つほど、この続きを書こうと思います。
明日になるとまた違ったことを書きたくなりそうですので。

ちょっとこれから出かけるので帰宅してから書きます。

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2015/06/24

■「70年の不戦」その4:戦争を回避する具体策

生活面での事情で書けない日が続きました。
日数はあきましたが、前の続きです。

サロンでは、戦争の抑止理論はともかく、戦争回避の具体策はないのかという話も出ました。
一番効果的なのは、お互いに知り合うことではないかと私は発言しました。
即座に反論を受けました。
そんな甘い考えは実際にはなりたない、と。

「栄光への脱出」(エクソダス)という映画があります。
イスラエルの建国物語を、ユダヤの視点から描いた映画です。
主演はエヴァ・マリー・セイントとポール・ニューマン。
私は大学生の時に観ました。
おそらくアラブとの関係だったのでしょうが、1970年代以降、日本では上映もテレビ放映もなかったような気がしますが、最近また解禁されているようです。

イスラエル建国が決まり、パレスチナに世界中からユダヤ人が移住してきます。
それまでユダヤ人と仲良く暮らしていた主人公の友人のアラブ人は、自分の意思とは別にユダヤ人の集落から去っていき、結局は同胞のアラブの過激派に殺害されます。
学生時代に観たこのエピソードはその後もずっと深く残っていて、忘れられません。
顔見知り同士でも、何か別の理由で、戦争に加担せざるを得なくなる。
私には、あってはならないことですが、歴史書にはそうした話は山のように出てきます。

フランスの哲学者レヴィナスは、「他者の顔に直面するとき、人は、その他者を殺すことはできない」と書いています。
人は人を殺せないのです。
前にも書きましたが、たとえ戦場であろうとも敵の顔を見たら、銃を撃てない人が多いことはさまざまな調査結果が証明しています。
ましてや、それが知り合いであれば、普通なら無理でしょう。
相手を殺すくらいなら、自ら死を選べと言った鶴見俊輔の言葉は、彼の体験からの思いでしょう。
そんなことは、勝手な想像からは出てくるはずもありません。

話がどんどん横道にずれていますが、争いを回避する最善策は、やはりお互いを知り合うことだと思います。
日韓も日中も、国家の関係は悪いですが、交流関係のある個人同士はたぶん信頼し合えることが多いでしょう。
そうした人同士の信頼関係が、本来は争いを回避するのではないかと、私は思います。

しかし、ここで悩ましい問題があります。
知り合うことによって、また誤解や不信感や憎しみが生まれることもあるということです。
家族間や親しい友人の間での争いや殺害事件は決して少なくありません。
それをどう考えればいいか。

話がどんどん広がっていきますが、もう少し書いてみたいと思います。

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2015/06/21

■「時間と空間と人間の関係」を考えるカフェサロンの報告

昨日は「ちょっとハードなカフェサロン」でした。
しっかりと「自分の活動」に取り組んでいる、「かなりハード」なメンバーが9人集まりました。
今回のテーマは、杉原さんによる「時間と空間と人間の関係を考える」です。
最初に、杉原さんがパワーポイントを使って、話をしてくれました。

201506201

ドラえもんの時間旅行の話から始まりました。
そして「こころの時間」という言葉が出てきて、時間の多義性と「心の距離ゼロ=心の時間」が説明され、さらにそこからフランクルと西田哲学が出てきました。
なにしろ、ちょっとハードなカフェサロンですから。
そして、「生きる意味の源泉」としての「コミュニティ」から、歴史的・時間的な「縦のつながり」が解体されてきているために、人間の時間意識が変わってきているのではないかと杉原さんは指摘します。
そこから「時間の私有意識」が、自らを商品化し、それによって、人間価値が矮小化され、また関係存在の多様性が損なわれだし、生きる意味もまた見えにくくなってきた、というのです。
ここまではまだ序論です。

このまま続けると長い報告になりそうなので、勝手に要約すれば、杉原さんは「私的所有権」をもっと曖昧な、言い換えれば「開かれた」ものにすべきではないかと考えているようです。
となれば、私にはとても共感できます。
私は、どちらかと言えば、ゲルマン法理と言われる「総有」概念こそ、社会の基本でなければいけないと学生の頃からずっと思っていましたから。

「狩猟採集」「牧畜」「焼畑」をおこなうアフリカ諸社会では、「私的所有権」の観念は確立されておらず、むしろ個人的所有権をあいまいにし、無力化する装置をもっているということを参照しながら、「その社会において最も価値があるとみなされるものの所有権を、何らかの形で無力化し制限する」(松井健さん)のがいいのではないか、そして、現代社会において、「最も価値があるとみなされるもの」は、「お金」か「時間」ではないかと杉原さんは問いかけます。

と、こんな風に議論は展開され、近代化によって、時間は「円環的時間」から「直線的時間」へと変わってしまったこと、そのため江戸時代までに強く意識されていた死者と生者の繋がりも薄れ、生者の関係性も弱め、人の関係性によって構成される社会を変質させてきてしまったこと、そしてそれが、「生きる意味」だけではなく「死の意味」さえをも見えなくしてしまったこと、などへと展開されました。

ともかく内容が多様であったために、まずは杉原さんの話を消化するだけでも大変でしたが、たくさんの問題提起と現代を考える上でのヒントがありました。
そのため、議論も広がりすぎて、なかなか深堀りできませんでしたが、結論(私の勝手な捉え方ですが)は、それぞれが自分の時間を取り戻して、自分をしっかり生きることが、いまこそ大切だということです。
つまり、実体のない「社会」や「制度」「組織」「金銭」に合わせて生きるのではなく、個人を起点にして、主体的に生きることです。
というわけで、このサロンの出発点である「個人を起点とする社会哲学」につながる多様な示唆をもらえたと思いますが、なにしろテーマが壮大なため、参加者は少しだけ消化不良だったかもしれません。
予定の時間を1時間も延長しましたが、話し合いは際限なく続きそうでした。
いずれ、少しテーマを絞っての続編を企画したいと思っています。

私自身は、自らの生き方も含めて、たくさんの気づきをもらえました。
杉原さんと参加者の「こうるさい」みなさんにも感謝しています。
ありがとうございました。


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2015/06/20

■「70年の不戦」その3:SADAKO-LEGACY

ちょっと寄り道をします。
というのは、昨日、SADAKO-LEGACYの佐々木祐滋さんが湯島に来てくれたからです。
友人が、引き合わせてくださったのです。

SADAKO-LEGACYは、広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルとなった、佐々木禎子さんの生涯を伝えることを通して、平和への実現に向かって活動しているNPO法人です。

佐々木禎子さんは、2歳の時に広島で被爆し、12歳で亡くなりました。
最後まで、折鶴をおりながら。
本や映画になっているので、ご存知の方も多いでしょう。
http://www.sadako-jp.com/

SADAKO-LEGACYは、禎子さんのお兄さんと甥でミュージシャンの佐々木祐滋さんが中心になって活動しているNPOです。
http://www.sadako-jp.com/
その佐々木祐滋さんが、先日の不戦サロンに参加してくださった宇賀さん夫妻と一緒に、湯島に来てくれました。
いろいろと話しました。
そして、いろいろと考えました。
やはり、時代は変わろうとしているのだとも感じました。

祐滋さんと話していて、突然、前に読んだ本の中で、サダコさんの兄の雅弘さんが書いていた文章を思い出しました。
帰宅して、その文章を探して読み直してみました。
改めて共感しました。
ちょっと長いですが、その文章を引用させてもらいます。

2004年、ウィーンの中央図書館ホールで「禎子物語」を講演した後、質問時間が設けられ、地元の中学生が質問しました。 「原爆はどこの国が落としたのですか」と…。 私はこう答えました。 「あのときから長い時間が経過しました。その間に神様は、お互いの心を洗い流してくださいました。だから原爆を落とした国の名前は忘れました」と。 この心こそが、禎子が伝えたかった「思いやりの心」であるからです。 「憎しみからは、憎しみの心しか生まれない」。けれど大切なことは、憎しみ合う前に、お互いを理解しあう「思いやりの心」を持ち、これをつなぎ続けていくことだと禎子が教えてくれました。 次代を担う若者達に伝えたいのです。 (出典:「INORI」(綾野まさる ハート出版 2010)

「原爆を落とした国の名前は忘れました」。
目から鱗が落ちたのを思い出しました。

そういえば、たしか雅弘さんは、平和な世の中をつくるために必要なことは「赦すこと」だと言っていたような気がします。

ちょっと寄り道をさせてもらいました。

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2015/06/19

■「70年の不戦」その2:戦争を回避する方策

日本はなぜ70年も「不戦」でありつづけられたのか。
またこれまでも戦争に巻き込まれないためには何が必要なのか。
この問いに関しては、2つの考え方があります。

一般的に考えられるのが、攻められないために軍事的な抑止力を高めるという考え方です。
抑止理論から言えば、日本が70年も戦争から「無縁」だったのは、日米安保条約による米軍の「核の傘」のおかげだということになります。
そして、これからも、いま国会で議論されているような安保法制を積極的に整備し、日米軍事同盟をさらに強固なものにしていくということになります。

最近の日本人の多くは、意識的にではないとしても、そう考えているようです。
ダグラス・ラミスの「戦争するってどんなこと?」に、「2013年の朝日新聞による世論調査では、日米安保条約を支持する人は81%でした。一方、52%の人が憲法9条は変えないほうがいいと答えています」と紹介されています。
ここに、最近の日本人の本音が見えてきます。
憲法9条を守りたいなら、日米安保条約を支持することはありえないと思いますが、多くの人は軍事力による抑止力に依存しているのです。

しかし、軍事的な抑止力は両刃の剣です。
それは相手を信頼していないことの意思表示であり、いつでも攻撃できるという威嚇でもあるからです。
信頼されていないことを突きつけている相手を、信頼できる人はいないでしょう。
威嚇されて、心穏やかな人もいないでしょう。
売り言葉に買い言葉というような悪循環が始まりかねません。
それが1980年代までの国際政治でした。

その中心は、冷戦時代の米国とソ連の関係、つまり核抑止理論による軍拡競争に象徴されます。
自らの核戦力を増強することにより相手の核兵器使用を封じ込めていく発想(エスカレーション理論)は、結果としては相手の核兵力増強を引き起こし、両国は際限のない軍拡競争に陥ったのです。
そうしたなかで、逆に一方的削減(オスグッド理論)による軍縮という提案が出てきます。
いわゆる「段階的相互緊張緩和策」です。
まず自らが軍縮することにより相手からの信頼を高め、相手の軍縮を引き起こすという発想です。
提唱者のチャールス・オスグッドは、「一方的イニシアティブによる軍備削減」と書いていたと記憶していますが、「相手に対する信頼」に基づく、自発的な行動が出発点です。
キューバ危機は、ケネディとフルシチョフの信頼によって、回避されました。
ちなみに、オスグッドの主張は、日本でも「戦争と平和の心理学」として1968年に岩波書店から翻訳が出版されています。

いずれも自らの変化(軍拡、軍縮)が相手の変化を引き起こすと考えるわけですが、その変化の方向は全く違います。
そして、そこから出てくる結果も大きく違う。
自らの変化の方向が相手や状況の変化の方向を決めるのです。
世界は自らが変わる方向に変化していくものです。

威嚇か信頼か。
戦争を回避するには、どちらが効果的でしょうか。
私にはあまりにも簡単な問題なのですが、どうもそうでもないようです。
みなさんはいかがでしょうか。

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2015/06/18

■節子への挽歌2822:解けない問題

節子
時に、解けない問題を背負わされることがあります。
いろいろと考えても、どうしても解けない。
そうした場合の方法は3つです。
①誰かに解いてもらうように問題をゆだねる。
②自分で解けるように問題を組み替える。
③いそがずに解けるようになるまで待つ。

数学の難問と違って、人生において直面する問題は、ある人にとっては、いとも簡単に解けても、別の人には難解な問題になるようなものは少なくありません。
そうした問題の場合は①を選ぶことが大切です。
全ての問題を自分一人で引き受けるのは、普通の人にはできない話です。
しかし、その種の問題が得意な、あるいは解きやすい人がいなければいけません。
いなければ、そのまま自分で背負い続けなければいけません。

②は、私の基本的な問題への対処方法です。
しかし、問題をどう組み替えても、どうしても解けない問題が残ってしまうことが多いです。
その場合は、解けない問題を背負うことになります。

③は、緊急の問題の場合は選択できません。

というわけで、いま、私は、ちょっと解けない問題を背負ってしまいました。
一生懸命、解く方策を考えていますが、ようやく少し解き方が見えてきました。
問題を解くのではなく、問題を解けるように、自らを変えることです。
その過程で、これまでの自らの生き方やいまの自分の考え方を問い質しています。
なんとまあ、粗雑な生き方をしてきたことか。

自分のことは自分にはわからないとよく言われますが、まさにそのようです。
しばらく挽歌が書けなかったのは、その自問自答のためです。

私には試練の多い1週間でした。
解けない問題に取り組む試練はもう少し続きそうですが、試練は自らの気づきをたくさんもたらしてくれます。

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■「70年の不戦」その1:この70年間は「不戦」だったのか

6月13日に「70年の不戦」をテーマにしたカフェサロンを開催しました。
その簡単な報告はすでに書きましたが、そこで話題になったことや気づいたことなどを、何回かに分けて書こうと思います。

一番、大きなテーマは、この70年の日本が本当に「不戦」だったのかどうかということです。
残念ながら、今回のサロンでは、これは大きな論点にはなりませんでした。
しかし、この70年、日本人は「戦争」という状況に中で、「人を殺すこと」も「殺されること」も体験していませんから、日本人は「不戦」状況を享受したと言ってもいいでしょう。
問題は、果たしてそれが、世界の平和に寄与したかどうか、あるいはそれが新しい世界のモデルになったかどうかです。
それは、不戦サロンの第2回に期待したいと思います。

サロンの後半で、私は次のような発言をしました。 日本が世界の戦争に直接的に巻き込まれなかったのは憲法9条のおかげであるが、しかし同時に、日米安保条約のおかげかもしれない。 そして、日米同盟という枠組みで考えれば、日本は戦争に加担してきたとも言えるのではないか。 朝鮮戦争もベトナム戦争も、イラクも、沖縄の米軍基地から爆撃機は飛び立ったことを考えれば、攻撃された相手から見れば、日本が戦争に加担していなかったとは思わないかもしれない。 日本は、米軍の戦争を経済的に支えるための、工場であり、基地であっただけであり、「不戦」を享受したのは日本人だけの感覚ではないのか。 しかし、日本人が誰も「戦場において殺されずに、また人を殺なかった」という事実は、大きな意味を持っているのではないか。 その「不戦の体験」は、世界に発信する価値があるのではないか。

日本人は「戦争の被害者」という意識が強く、自らが「戦争の加害者」だったという意識が弱いということが、最近、よく言われます。
この意識構造は、いまの不戦の70年の受け止め方にもつながっています。
日本には確かに戦争はなく、その「平和」を享受してきました。
しかし、それは他国の「平和」を犠牲にしていたのかもしれません。
朝鮮戦争で日本は経済復興の契機を得たと言われるように、「戦争の加害者」であることの側面を意識することなく、「戦争に支えられた経済」によって、「平和」を享受してきているとも言えるかもしれません。
つまり、相変わらず、自らが「戦争の加害者」であることへの自覚がない。
だとしたら、この70年を「不戦」と誇ることは難しい。
ただただ「直接的な被害」を回避してきただけであり、見方を変えれば、戦争に加担してきたとさえいえるかもしれません。

にもかかわらず、日本はこの70年、戦争に巻き込まれなかった。
それは、人類の歴史において、初めてのことかもしれません。
その意味を、私たちはやはり、もっと深く考える必要がある。

しかし、考える間もなく、その「不戦の70年」が終わろうとしています。
人類は、不戦とは無縁の生き物なのかとついつい思ってしまいますが、まだ諦めるのは早いかもしれません。

しばらく、不戦サロンで考えたことを書いていく予定です。

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2015/06/15

■コムケアサロン「福島の子どもたち」のお誘い

6月のコムケアサロンは「福島の子どもたち」をテーマに、NPO法人日本子どもNPOセンターの立柳聡さんにお話をしていただきます。

立柳さんは、これまでも何回かコムケアサロンでお話ししていただきましたが、今回はその後の福島の状況を、特に子どもたちに焦点を当ててお話してもらう予定です。
立柳さんは、福島の大学で教鞭をとるかたわら、日本子どもNPOセンターの理事として、現在、「子どもNPO白書」づくりの中心になって、活動しています。
また福島原発事故以来、ご自身でほぼ常時、放射線量計を身に着けて、その動きを体験的に調査し続けている方ですので、いつもとても説得力あるお話をお聞きできます。

今回は、主に、福島の話をしていただきますが、いま取り組み中の「子どもNPO白書」の話も少ししてもらえればと思っています。
被曝後の福島の現実から、あるいは子どもたちの現実から、さまざまな問題が見えてくるはずです。
ぜひ多くの人に参加していただき、一緒に考えていける場を見つけられればと思っています。

誰でも歓迎の、開かれたサロンです。
どうぞ気楽にご参加ください。
新しい出会いを期待しています。

●日時:2015年6月26日(金曜日)午後7時~9時
●場所:湯島コムケアセンター
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
●話題提供者:立柳聡さん(NPO法人日本子どもNPOセンター)
●参加費:500円
●申込先:comcare@nifty.com

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2015/06/14

■第2回戦争反対サロン「70年の不戦をどう考えるか」の簡単な報告

昨日は第2回戦争反対サロン「70年の不戦」をどう考えるかでした。
11人が集まりました。
女性が少ないと嘆いたら、それを受けて、農福活動に取り組んでくださっている、農カフェ「OMOしろい」の宇賀富美絵さんが参加してくれました。
後は、やはり全員、男性でした。

西坂さんは、このサロンをやろうと思い立ってから、自分の問題として真摯に考えた結果、「どうやら、私は心情的な左翼にすぎない」と思うに至ったそうです。
そして、それに基づいて自分の考えをまとめ、「平和のための模索」をまとめてくれました。
そして、生き方も少し変わったそうです。
そのプロセスと整理したことを3章立てのレジメにまとめてくださり、それに沿って、とてもわかりやすいお話をしてくれました。
そして、それに基づいてみんなで話し合いました。

War20150613

さまざまな意見と議論が出ました。
どうしたらいいかの話もだいぶ出ました。
話し合いの内容をきちんと報告できないのが残念ですが、少しずつこのブログに書いていければと思っています。

唯一の女性の宇賀さんが、やはり男性たちの議論は男性たちの議論だなと感想を述べてくれました。
そして女性としての平和に関する考えや取り組みを、これもとてもわかりやすく話してくれました。
立場や属性によって、考え方は違います。
老若男女を含めて、さまざまな人たちが話し合う場がとても大切だと、改めて思いました。
さまざまな意見に出会い、いろんな考えに触れ合う場が広がることが、もしかしたら「戦争」や「争い」の最大の抑止力かもしれません。

私は、戦争は経済のあり方に大きくつながっていると思っています。
経済のあり方は、さらに私たちの生き方につながっています。
そこを変えていかないといけないというのが、私の長年の取り組みです。

次回は7月18日に、女性を中心にした集まりを予定しています。
まもなく案内をアップしますが、関心のある方はご連絡ください。
詳しい企画案を送ります。

なお、もしご関心のある方がいたら、今回のレジメを西坂さんに頼んで送るようにしますので、ご連絡ください。

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2015/06/13

■節子への挽歌2821:久しぶりの人をテレビで見ました

節子
今朝、テレビを見ていたら、知り合いが出てきました。
しばらく会っていなかったのですが、いまは福島で活動しています。
お元気そうで、なにかとてもあったかい気持ちになって、メールをしてしまいました。
70年以上生きていると、そういう経験はよくあります。
私自身、社会から「脱落」してもう27年目ですが、脱落前の時代の知り合いはともかく、脱落後に出会った人がテレビに出ているとうれしい気分です。

その方は、とてもあったかな人です。
たぶん湯島のサロンで、節子も会っているでしょう。
学校の校長先生でしたが、型破りの先生で、その活動に感動して、私もある集まりで講演をしてもらったことがあります。
その方の活動が、もっともっと全国に広がったら、たぶん日本の未来は変わっていったでしょうが、なかなかそう簡単ではありません。
しかし、その方は、いまもしっかりと活動を展開しているのです。
それがとても感動的で、最近の私の怠惰さを反省しました。

怠惰の理由を、節子のせいにしているのかもしれません。

ちなみに、節子をテレビ画面で見るのは簡単です。
残っているビデオ画像を見ればいいわけですが、なぜか見る気がしません。
しかし、見れば、気持ちがあったかくなるかもしれないと思いました。
来週にでもトライしてみようかと思います。

さてどうなりますか。

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■ちょっとハードなカフェサロン「時間と空間と人間の関係」のお誘い

ちょっとハードなカフェサロンを久しぶりに開催します。
今回のテーマは、「時間と空間と人間の関係」。
問題提起してくださるのは、「人間と時間」のテーマを追っているシンガーソングライターの杉原学さんです。
なにやら難しそうなタイトルですが、なにしろ「ちょっとハードなカフェサロン」ですから。
しかし、杉原さんの生き方は、実にわかりやすいので、話もわかりやすいはずです。

内容は、「生きる意味」が見えにくくなった現代社会の問題を、「時間の近代化=時間の私有化」という観点から読み解いてみようという試みです。
杉原さんは、次のようなことを参加者と一緒に考えてみたいと言っています。

・人間が健やかに生きられる時間とは?
・それを生み出す社会や経済のあり方とは?
・そのために私たちにできることは?

それを、ぜひこのカフェサロンの視点である「人間を起点とする社会哲学」を意識しながら、話し合えればと思っています。
ぜひ多くのみなさんの参加をお待ちします。

○日時:2015年6月20日(土曜日)午後1時半~3時半
○場所:湯島コンセプトワークショップ
○テーマ:「時間と空間と人間の関係」
○問題提起者:杉原学
○スタイル:30分ほどの問題提起の話の後、みんなで話し合う。
○会費:500円

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2015/06/11

■節子への挽歌2820:妻の話をする喜び

節子
畑をやっていたら、Tさんの奥さんが通りかかりました。
Tさんと節子の付き合いはありませんでした。
近くに引っ越して来るというご挨拶に来てくださったのですが、状況変化があったようで、いまだに引っ越しは実現していません。
しかし、時々、いらっしゃっているのだそうです。

節子の葬儀が終わってしばらくしてから、Tさんは夫婦で献花に来てくださいました。
たまたま家の掃除に来て、節子のことを知ったのだそうです。
一度だけの挨拶でお会いしただけですし、近くとはいえ、自治会も別で、もちろん交流はありません。
にもかかわらず、夫婦そろって来てくださったのです。
なんとご丁寧な方たちだろうと思いました。
そこで初めてゆっくりと話しました。

Tさんは滋賀のご出身でした。
話を聞いたら節子の郷里の近くです。
Tさんは、それを聞いて、さらに親しみを感じてくださったようです。
地方なまりがなかったので、てっきり東京の人だと思っていたとTさんは言いました。
なにしろ節子がTさんと話したのは、たぶんちょっと長い挨拶だけだったでしょう。
ですから地方訛りはでなかったのかもしれません。
なぜかTさんは、節子が花が好きだったことも知っていました。
もしかしたら、その頃、畑の花づくりをしていた節子と話したことがあるのかもしれません。
その時も、滋賀訛りは出なかったのでしょうか。
節子がもし、Tさんも滋賀出身だとわかったら、途端に言葉は変わったでしょう。
結婚した頃、その変わりように、私は少なからず驚いたことがあります。
Tさんとは、きっと仲良くなれたでしょう。
それが残念です。

Tさんから「もう何年になりますか」と訊かれました。
もうじき8年です、と答えると、もうそんなにと驚かれました。
そうです、もうじき、8年なのです。
しかし一向に、何も変わらないような気がします。
この8年は、一体なんだったのか、不思議な気がします。

それにしても、わざわざ足を止めて、声をかけてくださったTさんのおかげで、少しだけ節子のことを話すことができました。
亡き妻の話をするのは、とてもうれしいことなのです。

今日はちょっとだけ「良いこと」がありました。

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■人を使わない戦争の可能性

前の記事の続きです。

「戦争ができる国」になるかどうか。
それは、私たちが「人を殺すことができる人間」になるかどうか、にかかっています。
最後の砦は、結局は私たちなのです。
しかし、その最後の砦が、今や浸食されだしています。
2つの方向から。
と書きました。
2つの方向とは、「教育の徹底」と「戦争の仕方の変化」です。

教育の徹底に関しては、書くこともないほど明白です。
なにしろ日本人は、いまやすでに「戦争」を歓迎しているようにさえ見えます。
そうでなければ、安倍政権が高い支持率を受けることはないでしょう。
軍隊がなければ国は守れないなどという思いも育っていないはずです。
軍隊は、国家を守ることがあるとしても、国民は守りません。
そんなことは歴史を少し調べればすぐにわかるでしょう。
軍隊が殺している人間は、戦争相手の国民とは限りません。
沖縄の人たちは、それを生々しく体験してきたのです。

しかし、もうひとつ気になるのは、戦争の仕方の変化です。
自らを生命の危機にさらさなくても、人が殺せるようになってきたのです。
最近、日本でもいろいろと話題になっているドローンから爆弾を発射して人を殺す方法が取り込まれだしているのです。
自らは殺される危険性のない殺し方です。
極端に言えば、電子ゲームのようなものですが、機器の操作者の動作は同じでも、ゲームの向こうの現場では実際に人が殺されているわけです。
その操作技術が、電子ゲームによって、若者に「思考形式」と同時に、「教育」されているのです。
画面上の「悪者」が、いつ、敵国ないしは問題が起こっている地域の「人民」になったとしてもおかしくないのです。
恐ろしい時代に向かっていると思うのは、私だけでしょうか。
電子ゲームが、人の心にどれほどの影響を与えているかを、ゲーム会社の人たちはわかっているのでしょうか。
いや、わかっているからこそ、そうした「殺しに慣れる人間」を育てることに加担しているのかもしれません。

そして、戦争における「対立軸」が変わっていることに注意しなければいけません。
戦争は「国家間の争い」ではなくなり、「殺されることのない選ばれた人」による「普通の人」への支配行為になりつつあるわけです。
「殺し合いの戦争」から「一方的な暗殺行為」に変質したと言えるかもしれません。
経済の世界で「1%対99%」の対立が顕在化しつつありますが、政治の世界もまた同じ構図が生まれつつある。

世界は今、大きく様相を変えてきているように思います。
そうした展望の中で、ISの動きを見ているといろんなことが見えてくるような気がします。
これまでの思考の枠組みで見ていては、世界は理解できないような気がしてなりません。

いやもっと恐ろしいことも示唆しています。
書きだすと止まりません。
少し、違う話題を入れてから、また書こうと思います。

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■人を殺すことができる人間を作る社会

昨日の平和時評のつづきです。
石田さんの「ふたたびの〈戦前〉」のなかには、衝撃を受けた文書がもうひとつあります。
この本は、石田さんがご自身の体験をベースに書かれていますが、石田さんが軍隊に入って経験したことが書かれています。

1943年に徴兵されて軍隊に入ると、命令によって、いつでも誰でも、見境なしに人を殺すことができる人間を作るために、毎日大した理由もなく、殴られるという生活を経験しました。

軍隊では暴力が広く行われていたことは、さまざまな証言から、私も知っていました。
それは、しかし、恐怖を押し付けられた抑圧された状況の中での異常行為だと思っていました。
しかし、この石田さんの文章は、それが「見境なしに人を殺すことができる人間を作るため」の意図されたものだったことを示唆しています。

ダグラス・ラミスの「戦争するってどんなこと?」から、また引用します。

普通の人は人を殺すことに抵抗があります。(中略)
ところが、戦争になると、たくさんの若者がその抵抗をなくす訓練をうけます。
そして戦場に行って、若者たちが実際に人を殺す経験をして、それに慣れたら、さらに心のなかの抵抗が破壊されます。
(中略)
あるいは、軍隊に入らなくても、戦争している国には人を殺す話、自分の国が人を殺しているというニュースが毎日報道され、敵側の人が殺されたら、「イェーイ」「ばんざい!」と喜びます。
敵だったら人を殺すのはいいこと、喜ぶこと、という雰囲気になります。

そして、こう言います。

憲法を改正しても、すぐに独裁になることはありませんが、時間とともに社会も変わっていくでしょう。
日本を「戦争ができる国」に変えようとするなら、憲法9条を変えるだけではできません。
日本社会を「戦争ができる社会」に変えなければなりません。
何世代も前から日本は戦争していませんので、できるようにするのは大変なことです。

ちなみに、2015年5月29日の朝日新聞の「天声人語」にこんなことが書かれていました。

意外にも多くの兵士が銃を撃っていなかった。 米軍が調べたところ、第2次大戦で戦闘中に発砲したのは、全体の15%から20%に過ぎなかったという。(中略) その後、米軍は発砲率を上げるための訓練法を開発した。 朝鮮戦争では55%になり、ベトナム戦争では90%以上になったそうだ。

人が壊される時代になってきているのです。
「戦争ができる国」になるかどうか。
それは、私たちが「人を殺すことができる人間」になるかどうか、にかかっています。
最後の砦は、結局は私たちなのです。
しかし、その最後の砦が、今や浸食されだしています。
2つの方向から。
これについては、後でまた書くつもりです。

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2015/06/10

■軍隊は人を殺すための装置です

人は自らの行動を参照しながら、他者の行動を予測します。
そして、他者の行動を、自らの価値観で評価します。
ですから、他者を理解するには、その人が他者をどう見ているかで見えてきます。

ジョン・ダワーの「忘却のしかた、記憶のしかた」(岩波書店 2013年)を先月読んだのですが、ショックを受けたことがあります。
これまで思ってもいなかった指摘です。

手元に同書がないので、正確には書けませんが、こんな内容です。
敗戦後、アメリカの占領軍が日本にやってきました。
日本の男性たちはパニックを起こし、占領軍が日本人をレイプ(略奪・強姦)するという噂が流れたと言います。
それに関して、ダワーは、それは日本の男性たちが、兵士として海外でそういう行動をとっていたからだというのです。
なぜか本を読んでから1か月も経つというのに、その文章が忘れられません。

「戦争するってどんなこと」という中学生向けの本を、友人に勧められて読みました。
C・ダグラス・ラミスさんの本です。
とてもわかりやすく、たぶん「おとな」でもわかるようにやさしく書かれています。
蛇足ですが、前の文の「おとな」は「子ども」の書き違いではありません。
大人の理解力は、子供より劣っていると、私は確信しています。

それはそれとして、そこに19歳で沖縄戦を経験した大田昌秀さんのインタビュー記事が載っていました。
日本軍が沖縄の人を守るどころか、殺害も含めてひどいことをしたことが証言されています。
ショックでした。

ラミスさんは、軍隊が国民を守るというのは幻想だというのです。
軍隊は、国民を守るはずがありません。
なぜなら軍隊における人間観が「人を守る」という理念を失っているからです。

平和学の泰斗である石田雄さんの最新の著書「ふたたびの〈戦前〉」を読み出しました。
いまさらながらたくさんの気づきをもらえます。
軍隊は、国家を滅ぼすだけではありません。
人を壊すのです。

安保法制で多くの憲法学者が「違憲」を唱えています。
しかし、政府は「違憲」ではないと言っています。
軍隊をつくろうとするだけで、人は壊れてしまうのかもしれません。
人間だったら、人を殺す装置など作ろうとは思わないでしょうから、当然と言えば当然ですが。
明日、もう一度、つづきを書きます。

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■節子への挽歌2819:たくさんの野菜の収穫

節子
いろいろあったので、畑に行きました。
1時間、草刈りをしてきました。
気分が少し落ち着きました。
今日もまた、実にいろいろありました。
蹴飛ばしたくなるくらい、いろいろと。

今日の収穫は3種類です。

20150610


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2015/06/09

■節子への挽歌2818:感謝がなければ人生はいいものにはならない

節子
問題の山を越しても越しても、新しい問題が起こります。
どうも星回りがよくないようです。
と思って、ネットで調べてみたら、今年の後半はさらに悪くなるようです。
これ以上悪くなるとはどういうことでしょうか。

星回りが悪いのは、どうも私だけではありません。
Kさんからもまた電話がありました。
悪い時には悪いことは重なるものです。
萎えた気が「悪いこと」を呼んでしまうのでしょうか。

Kさんも、すべての問題を一人で抱え込んでいるようです。
相談相手がいないことが、もしかしたら最大の問題なのかもしれません。
どんな難問も、相談しシェアして引き受けるパートナーがいれば、様相は一転するものです。
だれにも相談できないということの大変さを、私も最近痛感しています。
しかし、そう簡単に苦労をシェアしてもらうような人は見つかりません。
一緒に暮らすことによって、シェアは可能になるような気がします。

昨日までの論調と変わって、また内容が暗いものになってしまいましたが、関東が梅雨入りしたせいかもしれません。
小雨の中を濡れながら、歩いたのも気分を冷やしてしまったようです。
傘をさす元気もなかったのです。
風邪をひかないようにしなければいけません。

やはりなにかとても「暗い」ですね。
文章には気分が色濃く出るものです。

今日は何かいいことはなかったのか。
そういえば、節子には昔「良いことだけ日記」を勧めました。
私も、そろそろそんな日記を書き出した方がいいのかもしれません。
しかし、今日はいくら考えても、「いいこと」が思い当りません。
こういう生き方にこそ、問題があるのでしょう。
感謝がなければ、人生はいいものにはならないでしょうから。
感謝よりも、怒りや困惑、嘆き、落胆が、まだ勝る生き方から抜け出られていないようです。
困ったものです。

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■社会の民度が劣化している?

最近、痛感するのが、日本の社会の民度の劣化です。
こんなこと言うと、何を偉そうなと笑われそうですが、そう思うことが少なくありません。

社会の民度とは、私の勝手な定義づけですが、自分の主体性に基づいて、他者と一緒に、みんなが生きやすい状況を積極的につくりだそうとしている人がどの程度いるかということです。
一般に民度とは、人民の生活程度や文化水準の程度を言います。
しかし、「生活程度や文化水準の程度」をどうやって測定するかは悩ましい問題です。
先週もある人と、石器時代の人たちと現代の人たちとどちらが幸せかが問題になりましたが、それは、たぶん比較不能な問題です。
サーリンズの「石器時代の経済学」は面白い本ですが、私たちは決して石器時代人にはなれませんから、その気持ちまではわかりません。
「生活程度や文化水準の程度」で、社会の質を測定するのは適切とは言えません。
だから、私は、そこにいる成員の主体性や自律性、そして社会性(社会とのつながりの意識)に「社会の民度」の基準を置いています。

経世済民の徒とも言われる柳田国男は、権力の腐敗を防ぐためには「民衆もまた大いに覚るところがなければならぬ」と言っています。
国民が自主的な判断力、社会的な判断力をもつことが社会や国家を豊かにすると考えていたのです。
彼は普通選挙の実現に取り組みましたが、普通選挙制度がまた、金権政治や利権政治に向かう可能性を内在させていることも危惧していました。
そのために、柳田は「公民教育」に大きな期待を持っていました。
国民がよき学問を身につけて選挙に臨むことが、「生活苦」を救い社会を豊かにする政治を実現すると考えていたのです。

コミュニティ論の古典と言われるマッキーヴァーの「コミュニティ」に、こんな文章があります。

多数者支配の原則に身を託している今日の世界において、唯一の希望は、社会教育や社会的責任の教育、ならびに全人格の価値、自発性を第一義とし、強制を第二義とすることの主張、たとえ法的、政治的に許されても、深く持続的な対立を生み出し、コミュニティの力を減ずるような要求を差し控える方が賢明であることの強調である。

そして、彼も、「コミュニティの生命力は、成員である各人の個性と社会性に依存している」というのです。
つまり構成員の生の成熟をコミュニティの発達と考えていたのです。

こうした視点で考えていくと、いまの日本の社会は、劣化しているとしか思えません。
その象徴的な表れが、現在の安倍政権のような気がします。
学ぶことを忘れた国民は、決して良い政府を持てないでしょう。
そんな思いもあって、湯島では様々なテーマでの気づきの場を開いています。

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2015/06/08

■節子への挽歌2817:伴侶がいないと大変です

節子
相変わらずいろいろとあります。
伴侶がいないと、すべて問題は私に降りかかってきますので、それなりに大変です。
節子がいた時には、こうしたことはすべて節子がやってくれていたわけですが、その頃、もう少し私に理解があれば良かったと反省しています。
しかし、反省したところで、目先の事態はかわりません。

先日、ある集まりで、「家族の崩壊」が話題にでました。
その場にいた人から、後日、別の集まりでその話題が出ました。
気になっていたのでしょう。
ちなみに、最初の集まりも後日の集まりも、家族とは無縁のテーマの集まりです。

経済成長は家族を維持するよりも壊すことがプラスに働きます。
家族を壊して、全員を経済成長のための労働力とするとともに、市場の対象にできるからです。
家族のあり方と経済のあり方は、深くつながっています。

なんだか時評編のような内容になってきてしまいました。
続きは、時評編にまわしましょう。
ここで書きたいのは、家族や夫婦は、それぞれの役割分担があればこそ、共に成長していけるということです。
問題は、役割分担がうまく構成されて、夫婦関係や家族関係が良好であればあるほど、誰かに問題が起こると、とたんに全体が壊れかねないということです。
これは「最適化のジレンマ」と言ってもいいでしょう。
環境に適応した生物ほど、環境変化に対して脆弱化するということです。

わが家を振り返ってみると、その傾向があります。
節子がいてのこその家族だったのです。
だからこそ、節子がいなくなった途端に、みんなおかしくなってしまったのです。

誤解を与えそうですが、節子がいなくなって、わが家が壊れたわけではありません。
今も仲良くやっていますが、時にまだぎくしゃくすることがあります。
どこか節子がいたころとは違うのです。
ですから、いまも「節子」の話が、それぞれから出ます。

節子は、私が自立できるようにと、発病した後、私に料理を教えたことがあります。
エプロンまで買って、指導を受けましたが、私はあんまりやる気がありませんでした。
だからいまも自分で料理するのが不得手です。
娘からは、病気の中を折角お母さんが教えたのに、と責められますが、自立する準備など、闘病中の節子に見せるわけにはいきません。
その気持ちは、娘にはわかってもらえないでしょう。
まあ、自立していない私にも言い分はあるのです。
しかし、そんな言い分は、もちろん言い訳でしかありません。

だんだん何を書いているのかわからなくなってきました。
まあそれが、節子がいなくなってからの、私の一番困ったことなのです。
つまり、「生きるための基軸」がなくなってしまったのです。
伴侶とは「生きるための基軸」を与えてくれるものなのではないかと思います。
相手に「生きるための基軸」を与えるべきものではなく、与えてくれる存在なのです。
人はやはり、一人では生きにくいのです。

さて今日は元気に前に進もうと思います。

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2015/06/07

■栃木県では新規就農者が増えているそうです

昨日は那須塩原に行っていましたが、読売新聞の栃木版に、この1年間(2014年5月~2015年4月)の栃木県内の新規就農者は1998年度の調査開始以来の最多の251人だったと報道されていました。
しかも、15~39歳の青年層が166人で最も多かったと言います。
農家出身者のUターン就農が多いのですが、非農家出身者も40人だったそうです。
ちなみに前年度も非農家出身者が41人いたそうです。
企業勤務から転身した2人の方の意見が乗っていました。
「生涯続けられる仕事だ」
「サラリーマン時代は帰宅が夜遅かったが、いまは子どもたちと過ごす時間や近所付き合いも増え、毎日が充実しています」

おそらく金銭収入は激減したと思いますが、生活満足度は総じて高まっているのが伝わってきます。
経済の考え方もそうですが、働き方や生き方を真剣に考えるべき時代になってきています。
そうした人たちが、きっと新しい地方を創りだしていくのでしょう。

昨今の「地方創生」の動きは、相変わらず「金銭経済」を基軸に発想されているような気がしますが、それでは地方を壊すことになりかねません。
地方に行くたびに、そう思います。

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■スチュアート・ミルの警告

時評を再開します。
依然として気分は乗らないのですが(実際にはますます厭世観が強まっています)、だからこそ再開します。

まずは、ジョン・スチュアート・ミルの言葉を取り上げようと思います。
「たとえ、有益な目的のためでも、人間が手頃な道具になるように人間の成長を矯める国家は、小人によっては偉大な事業を真に達成しえないことをやがて悟るであろう」
この言葉は、ジョン・ダワーの本「忘却のしかた、記憶のしかた」で知った言葉で、原典には当たっていません。
ジョン・ダワーが紹介している、カナダの歴史学者E・H・ノーマンが1948年に慶応大学で講演した記録の中に出てきます。
有名なカントの命題「人格に存する人間性を、つねに目的として使用し、決して単なる手段としてのみ使用してはならない」を思い出します。

スチュアート・ミルのこの言葉を思い出したのは、昨日まで企業の人たちと経営問題に関して話し合う合宿に参加していたからです。
こうしたことが、実際に話題になったわけではありません。
なんとなく、みんなの話を聞いていて、思い出されてきただけです。

安部首相は、日本という国を「取り戻す」(人民から取り戻すという意味でしょうが)ために、まずは教育基本法から取り組みだしました。
明治政府と同じです。
まずは人民を「国民」にし、富国強兵に取り組むことによって、明治政府は短期間で近代国家に近づきました。
これもジョン・ダワーの本からの受け売りですが、ノーマンは、もし明治初期にもっと多くの血が流れ、それによって日本人がもっと本物の自由を勝ちとっていたら、世界は日本の侵略から免れていたかもしれない、と言っていたようです。
それにもうなづけますが、この話はまた別に書きたいと思います。

私は、阿部政府の思想や姿勢に反対ですが、その取り組み方は評価します。
野党には、そうした戦略志向がありませんから、独走を止めようがありません。
国民は、見事に「阿部政府」の「教育」によって、道具になっていることさえ気づこうともしません。

しかし、実は私たちが「道具」になっているのは政治だけの世界ではないように思います。
経済(企業)活動においても市民社会活動においても、状況は同じかもしれません。
そして、もしかしたら、日本人はもともと「道具的存在」が、その特質なのかもしれません。
2日間、企業経営に関する話をしながら、頭のどこかで、そんな疑問が強まってきてしまっていました。

よく誤解されるのですが、私はいまの政治や経済や企業やNPOを否定したり、敵視したりしているのではありません。
先行きを心配するという意味で、むしろ応援しているのですが、なかなかそうは受けとられません。
先日もビジネススクールで話したのですが、多くの「敵意」を感じました。
困ったものです。

私が危惧しているのは、ミルが、「人間が手頃な道具になるように人間の成長を矯める国家は、小人によっては偉大な事業を真に達成しえないことをやがて悟るであろう」と言っているように、目先はともかく、その努力が報われないのではないかということです。
しかし、社会の流れは、「人間が手頃な道具になるように人間の成長を矯める」国家や組織を向いています。
そもそも学校も、その先端を走っているように思います。

それに抗う方策は一つだけです。
自らが道具にならないことです。
まわりの誰かを道具にしないことです。
しかし、無防備な子どもたちにはそれは期待できません。
さてどうするか。
道具になっていない先生を応援するしかないのでしょうか。

社会のことを考え出すと、すぐにやるべき課題に出会います。
そしてまた厭世観に負けて引きこもりたくなります。
しかし、道具にだけはなるまいと思っています。

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2015/06/06

■節子への挽歌2816:リンドウ湖は小さかったです

節子
昨日から那須塩原のリンドウ湖のホテルで企業の人たちと合宿でした。
あいにく茶臼山は雲がかかっていましたが、ホテルのレストランからリンドウ湖は一望できました。
リンドウ湖は、こんなに小さかったのだと改めて思いました。

那須にはあまり良い思い出はありませんが、那須というと必ず思い出すのが、家族で車で来たことです。
途中渋滞に巻き込まれ、目的の那須に着いたのは予定の時間を大幅に遅れてしまい、しかも那須界隈もどこもかしこも混んでいて、結局、どこにも立ち寄らずに帰路に向かいました。
しかも車のガソリンがなくなったのに給油所が見つからず悲惨なドライブ旅行になってしまったのです。
そんなわけで、どうも那須には良いイメージがないのです。

しかし、ホテルの13階からみる那須は緑に覆われて、実に魅力的です。
こんなところで、私の最後の暮らしをおわらせたかったと、やはり思います。
いまさら望み得べきもないことですが。

帰る頃になって晴れてきました。
今回は久しぶりに合宿の最後までみんなとつきあいました。
快く疲れた2日でした。
リズムは戻ってきているようです。

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2015/06/05

■節子への挽歌2815:近所づきあい

節子
先日、湯島の帰りに我孫子駅から自宅に向かって歩いていたら、後ろから「こんにちは」と大きな声をかけられました。
振り返ったら、10メートルくらいうしろに中学生の女の子がいました。
あまりに距離があったので、私にではないかなと思ったのですが、よくみたら、近所の娘さんでした。
10メートルも離れていて、どうして気づいたのだろうと思ったのですが、どうも電車の中から私に気づいていたようです。
陸上の競技会で、船橋まで行っていて、その帰りだそうです。
普段、とりわけ親しいわけではありませんが、小さいころから顔見知りで、遊んでいるのに会えば、もちろん声をかけます。
節子の葬儀にも、折り紙か何かをお供えに持ってきてくれたこともあります。
お父さんの転勤で、3年ほど、地方に行っていましたが、中学校は地元に戻りたいというので、3月に戻ってきたのです。

街を歩くと、時にいろんな人と出会いますが、中学生から声をかけられたのは初めてです。
それも10メートル後ろから。

いろいろと話しながら歩いていると、今度は、横に自動車が止まり、そこから「佐藤さん」と声をかけられました。
知り合いの市会議員でした。
ちょうどニューズレターをお届けしに行く予定だったので、と言って、最近号を渡されました。
なぜか、わが家の郵便受けには何人かの市会議員のニューズレターが投函されています。
この市会議員の人には、以前、我孫子市の若者中心のグループの立ち上げを考えた時に、仲間になってもらったことがあります。
残念ながら、その活動の中心になってほしいと思っていた2人の若者が、そろって転居したのと節子の病気の関係で、頓挫してしまったのですが。

また近所の娘さんと話しながら歩いていると、これまた近くの人に会いました。
まだ会社勤めされているので、なかなか話す機会がありませんが、以前、私が自治会長を引き受けたのは、その人のおかげなのです。

まあ、そんな風に、節子がいなくなっても、私も少しだけ地域に溶け込んできています。
節子がいたら、もっともっといろんなことができていたでしょう。

そういえば、近所の人が交通事故で、1年以上、入院しています。
奥さんには、何かできることがあれば言ってくださいとは話していますが、何もできずにいます。
節子がいたら、何かできたはずですが、男やもめには近所付き合いも結構難しいものがあります。
困ったものです。

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■節子への挽歌2814:仏壇を和蝋燭にしばらく変えました

節子
ジュンが和蝋燭を買ってきました。
久しぶりに仏壇で和蝋燭を使いだしました。

いつもは100円ショップで買ってきた5分用のミニロウソクなのですが、やはり雰囲気が違います。
ただいささか放置しておくのは危ないので、毎回、人がいる時だけつけています。
ついでに今日は、わが家の仏壇の写真を載せておきます。
燃えている和蝋燭がわかるでしょうか。
炎がとてもやわらかで、あったかい感じです。

Butudann_20150505_2

奥にあるのが、手作りに大日如来です。
スペインタイルをやっているジュンがつくり、家族みんなで眼をいれ、お寺のご住職に入魂してもらいました。
その右にあるのが、浄土真宗の

一段下の左側は、東大寺三月堂の月光菩薩のミニチュアで、一昨年、娘と一緒に行った時に、三月堂でいただきました。
その奥にあるのが、キスケ3人組です。
「キスケ」と言ってもわかる人だけにしか通じませんが、わが家の仏壇では四天王の役割です。
和蝋燭の左側にあるお地蔵さんの線香立手は、宇治平等院でいただいてきたものです。

わが家の仏壇は二段になっていて、この下にもいろいろとありますが、写真の部分は立ったままおまいりできる位置になっています。
椅子に座っておまいりする時には、下段に向き合うことになります。

私は毎朝、この仏壇に向かって、般若心経をあげています。
時には省略型ですが、それが毎朝の最初の日課なのです。

私が先に逝った場合、節子はちゃんと毎朝、お経をあげてくれたでしょうか。
いささかの疑問は残りますが、まさか、私がこうして毎朝、お経をあげるなどとは、たぶん節子は思ってもいなかったでしょう。
人は変わるものなのです。

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2015/06/04

■節子への挽歌2813:畑の恵み

節子
今年は畑にもできるだけ行くようにしています。
今日は3本のきゅうりが収穫できました。
雨が少なかったのですが、今年は水を忘れずにやっていたので、野菜はみんな元気です。
ただネギだけはあまり土をかぶせていないので、青い部分だけが育っていますが。

相変わらず少し手を抜くと野草と篠笹がすごい勢いで広がります。
前にも書きましたが、畑で少し休んでいると、その成長が感じられるほどなのです。
狭いとはいえ、50坪あるので、それはもう大変です。

道沿いの斜面の花畑も少しずつ復活させてきています。
節子がやっていた時は、コンクリート塊やレンガなどの宅地に放置されていたものを活用して、段差に境をつけたりしていましたが、長年放置していたので、それもいまや土に埋まってしまっています。
瓦礫であろうと、それを活かすのが節子の方針でしたが、なかには買ってきた造作物も出てきます。
整地していると、そうしたものが出てきて、節子のことを思い出させられます。

それにしても、農作業も花壇作りも、思った以上に大変な作業です。
節子がやっていたころ、もう少し手伝っておけばよかったと思います。

最近は、いろいろあって、心身の調子も必ずしもいいわけではありません。
しかし、疲れていても、畑に行って、少しだけ草刈りをし、草の上に座っていると気持ち的には落ち着きます。
両側を住宅に囲まれているところなのですが、幸いに一方が開けていて、わずかではありますが、手賀沼が見えるのです。
いわゆる「ハケの道」沿いなので、散歩で前に道を歩いている人も少なくありません。
その人たちのためにも、はやく花畑を復活させ、できればそこにベンチでもおければ最高ですが、そうしたことも節子がいなくなったので中途半端になってしまいました。

今日の収穫のきゅうりは見事です。
節子に供えた後、生でそのまま食べてしまう予定です。
来週はナスが収穫できるでしょう。
今年の畑作業は報われています。

20150504


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■時評がやはり書けません

このブログでは、以前は毎日「時評編」も書いていました。
しかし、だんだんと書けなくなってきました。
特にこの半月程は全くと言っていいほど書けなくなっています。
なぜなのかと自分でも考えているのですが、自分自身の生き方にたぶん原因があるのです。
「心理主義の罠」のような気もしますので、注意しないといけませんが、やはり問題は自分にあるように思います。

一言で言えば、社会への関心を失いつつある。
というか、最近の社会は、私自身がその「一員」であると実感できなくなってきている。
たとえば都心に出て行って、高層ビルのまわりを歩いているビジネスパースンを見ているとどうしても「私と同種の生き物」には見えません。
あるいは表参道や銀座を歩いて、華やかな女性たちや若者たちを見ていても、それも「私と同種の生き物」には見えてこない。
モダンな人工装置の中を元気よく歩いている「人らしい生き物」は、私にはまぶしいほど進化した「新人類」に見えてしまい、私とは別の生き物に感じられる。
いまの社会に、私自身がついていけなくなっているのです。

時々、ふと思うのですが、私が気づかなかった間に、エイリアンによって世界は変えられてしまったのか、あるいは核戦争が勃発して、みんなもう死者の世界を生きているのか、そんな気さえします。
こんなことを書くと私の「正気」が疑われそうですが、最近は私にとっても「正気」の人と出会えることが少なくなってきています。
まあ、どちらが「正気」かは、一概には決められませんが、「正気」と思える人は本当に少なくなったような気がします。
幸いに私はまだ、「正気」の人に囲まれて生きていますから、身の回り的には生きやすさはあるのですが、でもその小さな社会の外に広がる社会は、どうもなじめない。
私とは違う世界のような気がして、考える気にならないのです。
だから、時評も書く気が起きないし、書くことが浮かばない。

まわりの世界に「生気」を感じられないのは、自らの「生気」が枯れているからでしょう。
生気がなくなると、周りの生気など感じられなくなってしまう。
つまり「生気」を失ったのは、私なのです。
それが、たぶん、時評を書けない理由なのです。

先週から、私自身の生活リズムを回復しようとしています。
挽歌は毎日書けるようになってきました。
いささか最近は自分の世界に引きこもりた気分におおわれているのですが、来週からは時評も書けるように、社会的な生活リズムも整えていこうと思います。

時評の再開は来週からです。たぶん、ですが。

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■「70年の不戦」、あなたはどう思いますか

2回目の戦争反対カフェサロンのご案内です。
今回のテーマは「70年の不戦」、6月13日(土曜日)に開催します。
問題提起者は、編集者の西坂さんです。
西坂さんの呼びかけを下記しますが、西坂さんは自らへの問いかけの中で、大きな気づきを得たようです。
そのため、開催しようかどうか迷っていたので、案内が遅くなってしまいましたが、なぜ西坂さんが迷い悩んだかも話してもらえそうです。
なにやら面白い展開になりそうです。
ぜひ多くの老若男女に方々に参加していただければと思っています。
では西坂さんからのメッセージです。

「70年の不戦」、あなたはどう思いますか
――どうやら、私は心情的な左翼にすぎない――

【ご案内】
 以前、「70年の不戦」をテーマにしたサロンがあったら参加したい、と佐藤修さんにメールしたところ、「あなたがそのテーマで話したらどうか」とそそのかされ、無鉄砲にも挑戦することにしました。
 私は戦争や平和の問題を、これまで体系的に考えてきたことはありません。単純に現政権の危険性が日ごと高まっていく中で、『絶望という抵抗』(辺見庸・佐高信)という書籍の中に、「知の最たるものは戦争の可能性を嗅ぎつけること。それはかならずしも論理的でなくてもいい。直感で嗅ぎつける」(辺見庸)という発言を見つけ、知とはいえないまでも、私なりの“直感”でこのテーマを考えてみることにしました。
 とはいえ、平和構築のための具体的な思想も構想も私にはありません。安請け合いしたものの、「70年の不戦」を考えていくと、ただただ迷走していくばかりです。そこで、ここは開き直りまして、私の思考の迷走ルートを率直に提示し、逆に皆さんを講師としてお迎えして、導いていただこうと思うにいたったのです。
 こんな不遜な呼びかけですが、よろしければ迷える者に導きの光を携えてご参集いただけないでしょうか。
(平和ボケ男・西坂和行)

○日時:2015年6月13日(土曜日)午後1時半~3時半
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○テーマ:「70年の不戦」、あなたはどう思いますか
○問題提起者:西坂和行さん(編集者)
○スタイル:西坂さんのこのテーマへの取り組みの話の後、みんなで話し合う。
○会費:500円

参加される方は、できれば事前に私にご連絡ください。

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2015/06/03

■節子への挽歌2812:自然こそ彼岸

節子
久しぶりの雨です。
最近、今まで以上に心身が自然気象に影響されるような気がします。
人の生体は、成長するにつれて、自然から自律する度合いを高め、ある一定の年齢からまた自然と同調しだし、最後は土に戻るのかもしれません。
外の雨を見ていて、そんな気がします。
旧約聖書によれば、神は泥から人を創ったそうですが、それは実に理にかなったことではないかと私は思っています。

昨日、久しぶりにメンタルヘルス総研の久保田さんが湯島に来ました。
久保田さんは、長年、メンタルヘルスの問題に関わっていて、「体の体操」という運動を広げようとしていますが、なかなか広がりません。
その相談に来たのですが、その話が終わった後に、がん治療のための「ニンニク加湿法」というのにも取り組んでいるという話がありました。
これは日本古来の療法ですが、それを広げたいというのです。
この種の話はたくさんありますが、きちんとした評価はなされていないような気がします。
節子も、こうした古来の日本の知恵に基づく療法を試みましたが、医学の世界では正当視されていませんでした。
そこには、近代医学の傲慢さを感じますが、もっとさまざまな知恵や体験を活かし合う文化が育てばと思います。

節子の闘病中、私もこうした民間療法を集める活動ができないかと思ったことがありますが、節子を見送った後は、逆に思い出したくもないほどの辛い記憶だけが残りました。
それでそうした思いなどはすっかり忘れていました。

友人ががんになったとして、そうした療法を進めるのはとても難しいことです。
私もつい最近、それを体験したばかりです。
自分のことであれば、いかなるリスクも取れますが、他者にはリスクを押し付けるわけにはいきません。
そこで「医学的なエビデンス」などというものが大事にされるのでしょうが、それは単なる言い訳でしかないのかもしれません。
しかし、体験者の事例をたくさん集めていって、それを体系化していけば、生きたエビデンスを含むポータルサイトができるかもしれません。
そういうものがあれば、それを患者の友人に示唆することはできます。
しかし、もはやそういう活動に取り組み気力がありません。

節子の取り組んだ療法の一つに、自然とイメージ的に一体化するというものがありました。
それを思い出しました。
自然と一体化することで免疫力を高めるというものですが、自然と一体化するということは自然に戻るということかもしれないと気がつきました。
自然が私たちの戻るべき世界であれば、それは彼岸でもあります。

雨を見ていると、こんなことが次々と思い浮かびます。
節子のいない雨の日は、ただたださびしいだけです。
自然が彼岸であるというのが、今朝の大きな発見です。

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2015/06/02

■節子への挽歌2811:見失っていたあったかさ

節子
私の好きな言葉は「あったかい」です。
今年の誕生日にメールをもらった中に、この言葉が出てくるものがいくつかあり、それがとてもうれしかったです。
たとえば、ある方はこんな過分なメッセージをくれました。

コムケアセンター(湯島のオフィスのことです)にはあたたかい氣が充満していますね!
コムケアセンターは都内随一のパワースポットだと思います。
佐藤さんの存在自体がみんなのオアシスだと思いますので、くれぐれも家庭菜園に熱中しすぎないようお願いいたします(笑)

これはもう過剰な褒め言葉ですが、「あたたかい氣が充満」とか「みんなのオアシス」などと言われると、何かうれしくなってしまうのは、まだまだ自分がしっかりしていないからでしょう。
しかし、節子にも聞かせたい言葉です。

湯島に行くと何かホッとして、あたたかい気持ちになります、という方もいました。

わが家も「あったかな家族」を目指していました。
そう言われていたころもあります。
しかし、節子が闘病生活に入ってから、ある意味で大きく変質しました。
私自身に余裕がなくなったのです。
本来であれば、そうした時期であればこそ、あたたかさが大切でした。
もちろん「あたたかさ」がなくなったわけではありませんし、何かが変わったわけではない。
でも、何かが変わってしまった。
「あったかい」と実感することができなくなってしまったのです。
あったかさを自分で実感できなければ、他者にあたたかさを感じてもらうことなどできません。

「あたたかい」という言葉を聞いたのは、まさに節子が闘病していたころです。
代々木のセンターで、NPOへの資金助成プログラムの公開選考会をやりました。
その会場で、発表前にある人が私の言動に関して、隣の人に「なにかあたたかいわよね」と話しているのが耳に入りました。
実はその方も、伴侶の闘病生活に取り組みながらのNPO活動でした。
その言葉が耳に残りましたが、人からあたたかいと言われることが大切な生き方なのだと気づいたのです。
残念ながら、その方の伴侶も、介護の甲斐なく旅立ちました。
その方はその後、わざわざ湯島にまで来てくれましたが、お互いに伴侶のことは話せないまま終わりました。

実は、私の生き方は、言葉においては決して「あたたかさ」を相手に感じさせるものではありませんでした。
むしろ相手の気持ちを逆なでしたり、不躾だったりすることが多いのです。
節子からはよく注意されたものです。
たぶんそれはいまも変わっていません。
昔も今も、相手がだれであろうと、人として考えているからこそ素直に反応してしまう。
それこそが私にとっての「あたたかさ」なのですが、それがいけないのでしょう。
ソフィストケートされていないのです。
昨日も友人の武田さんから、もう少し注意したほうがいいよと指摘されました。
彼でさえ、腹が立つことがあるようです。

でも私の「あたたかさ」を感じてくれている人もいるようで、そう言葉ではっきり言われると、私自身があたたかくなってきます。
私もまた、少しずつ「あったかさ」を取り戻せているようです。

でも人生は、私にはまだ「あったかく」はなっていませんが。

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2015/06/01

■節子への挽歌2810:誕生日のケーキと亀まんじゅう

節子
私もとうとう74歳になりました。
節子も知っているように、私自身はあまり誕生日に意味を感じない人間ですので、自分の誕生日も気づかないで過ごしがちですが、フェイスブックをやっていると、誕生日の表記が出るので、みんなから誕生日祝いのメッセージが届きます。
それで自覚できるのですが、正直に言えば、誕生日だからなんだという気もします。
しかし、それを言ってしまったらおしまいですから、そうしたメッセージにはきちんと返信しています。
まあ、基本形は、「ありがとうございます。くたくたの73歳でした。74歳はもう少し楽をしたいですが、見通しは暗いです」というお返しをしています。
あんまり喜びを感じられない返事ですね。
まあ喜びもないのですから、仕方がありません。

誕生日を言われるのはいくつになってもうれしいものだという人もいますが、私の場合は全くうれしくないのです。
誕生日を喜ぶということが、私には理解できないのです。
困ったものです。
ケーキやお菓子をもらえるとうれしくなりますので、私もどうも物欲者です。
しかし、理由もなくケーキやお菓子をもらってもうれしくないのですが(ちなみにバレンタインデイにチョコレートをもらうと以前は不快でした)、なぜか誕生日にケーキをもらったらうれしくなるのです。
いや、これもたぶん、くれた人が「まさか」の人だったのでうれしかったのかもしれません。
まあ、こんなことを書くと、付き合いにくいやつだなと思われそうですが、事実、私はたぶん「付き合いにくいやつ」なのです。

誕生日祝いは年賀状と同じく、友人知人に理由もなく言葉を交わせる日であるというところに意味があるのでしょう。
理由がなければ声をかけられないのは、いかにも現代社会のルールだとも考えられます。
だから、すなおに誕生日は喜び合う日と考えれば済むだけの話なのですが。

5月30日が誕生日でした。
それも忘れて、学生たちとのサロンを開いていました。
大学院生の前田さんが、ネットで調べて近くのケーキ屋さんで買ってきましたとケーキを持ってきてくれました。
そうしたら岡田さんが亀まんじゅうを買ってきてくれました。
思っても見なかったのでうれしくなりました。
みんなでご馳走になりました。
亀まんじゅうの亀の頭は私が食べたかったのですが、私が食べる前に太田さんが食べてしまいました。
楠さんが、あの饅頭はおいしかったと繰り返し言っていました。
楠さんも私より先に食べていました。
こういう人たちとケーキとまんじゅうを食べるのであれば、節子がいなくても、誕生日もいいものです。
ただ、「誕生日おめでとう」という言葉は、やはり私には理解不能ですが。

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■節子への挽歌2809:2度あることは、…3度はない

ちょっと心ときめいた話です。
4日前に、いつものように千代田線の電車で湯島に向かいました。
いつも始発なので、大体決まった席に座ります。
その日はたしか午後の2時ころに乗りました。
いつも座ったら本を読みだし、途中で寝てしまいます。
そしてなぜか下車駅の少し前の西日暮里で目が覚めるのです。
その日もそうでした。
生きて気づいたのですが、隣になんとなく気になる女性が座っています。
本を読んでいました。
なぜ気になったかというと、私の知っている女性を思わせるような雰囲気を感じたからです。
なぜそう感じたのかわかりませんが、なんとなく伝わってきます。
隣なので顔を覗き込むわけにもいきません。
下車駅で立ち上がって、上から見たのですが、もちろん私が知っている女性ではありませんでした。
でもどことなく心ときめかすものを感じました。

翌日、その日も午後のほぼ同じ時間に、同じ席に座り、同じ駅で目が覚めました。
なんと、昨日と同じ女性がまた隣で本を読んでいます。
蚊をきちんと確かめられないので本当に同じ女性かどうかは確実ではありませんが、雰囲気が同じです。
この日も本を読んでいました。
下車する湯島で、受けから見たら、たぶん同じ女性でした。
心ときめきました。
節子がいなくなってから、女性に心ときめいたのは初めてかもしれません。

しばらく前まで、シンクロニシティが頻発していましたが、最近パタッと止まっていました。
しかし、なんという偶然でしょう。
2度あることは3度ある。
もし明日も同じ人が座っていたら、声をかけるべきかどうか。

そして一昨日ですが、いささかの期待を持って、ほぼ同じ時間に同じ席に座り、また寝てしまいました。
そして運命の西日暮里駅で、やはり目が覚めたのです。
隣席はまた女性でした。
ほぼ同じ年齢の、スマホも化粧もしていない女性です。
しかし、残念ながら、これまでの2回とは違う女性でした。
雰囲気が違うのです。
顔を見えないのに、なぜか伝わってきました。
2度あることがあったとしても、3度目はないのです。

そして昨日の午後も湯島に午後出かけました。
西日暮里で起きたら、隣はスマホをしている若い男性でした。

ただそれだけの話です。
すみません。

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