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2015/06/01

■節子への挽歌2810:誕生日のケーキと亀まんじゅう

節子
私もとうとう74歳になりました。
節子も知っているように、私自身はあまり誕生日に意味を感じない人間ですので、自分の誕生日も気づかないで過ごしがちですが、フェイスブックをやっていると、誕生日の表記が出るので、みんなから誕生日祝いのメッセージが届きます。
それで自覚できるのですが、正直に言えば、誕生日だからなんだという気もします。
しかし、それを言ってしまったらおしまいですから、そうしたメッセージにはきちんと返信しています。
まあ、基本形は、「ありがとうございます。くたくたの73歳でした。74歳はもう少し楽をしたいですが、見通しは暗いです」というお返しをしています。
あんまり喜びを感じられない返事ですね。
まあ喜びもないのですから、仕方がありません。

誕生日を言われるのはいくつになってもうれしいものだという人もいますが、私の場合は全くうれしくないのです。
誕生日を喜ぶということが、私には理解できないのです。
困ったものです。
ケーキやお菓子をもらえるとうれしくなりますので、私もどうも物欲者です。
しかし、理由もなくケーキやお菓子をもらってもうれしくないのですが(ちなみにバレンタインデイにチョコレートをもらうと以前は不快でした)、なぜか誕生日にケーキをもらったらうれしくなるのです。
いや、これもたぶん、くれた人が「まさか」の人だったのでうれしかったのかもしれません。
まあ、こんなことを書くと、付き合いにくいやつだなと思われそうですが、事実、私はたぶん「付き合いにくいやつ」なのです。

誕生日祝いは年賀状と同じく、友人知人に理由もなく言葉を交わせる日であるというところに意味があるのでしょう。
理由がなければ声をかけられないのは、いかにも現代社会のルールだとも考えられます。
だから、すなおに誕生日は喜び合う日と考えれば済むだけの話なのですが。

5月30日が誕生日でした。
それも忘れて、学生たちとのサロンを開いていました。
大学院生の前田さんが、ネットで調べて近くのケーキ屋さんで買ってきましたとケーキを持ってきてくれました。
そうしたら岡田さんが亀まんじゅうを買ってきてくれました。
思っても見なかったのでうれしくなりました。
みんなでご馳走になりました。
亀まんじゅうの亀の頭は私が食べたかったのですが、私が食べる前に太田さんが食べてしまいました。
楠さんが、あの饅頭はおいしかったと繰り返し言っていました。
楠さんも私より先に食べていました。
こういう人たちとケーキとまんじゅうを食べるのであれば、節子がいなくても、誕生日もいいものです。
ただ、「誕生日おめでとう」という言葉は、やはり私には理解不能ですが。

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