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2015/06/21

■「時間と空間と人間の関係」を考えるカフェサロンの報告

昨日は「ちょっとハードなカフェサロン」でした。
しっかりと「自分の活動」に取り組んでいる、「かなりハード」なメンバーが9人集まりました。
今回のテーマは、杉原さんによる「時間と空間と人間の関係を考える」です。
最初に、杉原さんがパワーポイントを使って、話をしてくれました。

201506201

ドラえもんの時間旅行の話から始まりました。
そして「こころの時間」という言葉が出てきて、時間の多義性と「心の距離ゼロ=心の時間」が説明され、さらにそこからフランクルと西田哲学が出てきました。
なにしろ、ちょっとハードなカフェサロンですから。
そして、「生きる意味の源泉」としての「コミュニティ」から、歴史的・時間的な「縦のつながり」が解体されてきているために、人間の時間意識が変わってきているのではないかと杉原さんは指摘します。
そこから「時間の私有意識」が、自らを商品化し、それによって、人間価値が矮小化され、また関係存在の多様性が損なわれだし、生きる意味もまた見えにくくなってきた、というのです。
ここまではまだ序論です。

このまま続けると長い報告になりそうなので、勝手に要約すれば、杉原さんは「私的所有権」をもっと曖昧な、言い換えれば「開かれた」ものにすべきではないかと考えているようです。
となれば、私にはとても共感できます。
私は、どちらかと言えば、ゲルマン法理と言われる「総有」概念こそ、社会の基本でなければいけないと学生の頃からずっと思っていましたから。

「狩猟採集」「牧畜」「焼畑」をおこなうアフリカ諸社会では、「私的所有権」の観念は確立されておらず、むしろ個人的所有権をあいまいにし、無力化する装置をもっているということを参照しながら、「その社会において最も価値があるとみなされるものの所有権を、何らかの形で無力化し制限する」(松井健さん)のがいいのではないか、そして、現代社会において、「最も価値があるとみなされるもの」は、「お金」か「時間」ではないかと杉原さんは問いかけます。

と、こんな風に議論は展開され、近代化によって、時間は「円環的時間」から「直線的時間」へと変わってしまったこと、そのため江戸時代までに強く意識されていた死者と生者の繋がりも薄れ、生者の関係性も弱め、人の関係性によって構成される社会を変質させてきてしまったこと、そしてそれが、「生きる意味」だけではなく「死の意味」さえをも見えなくしてしまったこと、などへと展開されました。

ともかく内容が多様であったために、まずは杉原さんの話を消化するだけでも大変でしたが、たくさんの問題提起と現代を考える上でのヒントがありました。
そのため、議論も広がりすぎて、なかなか深堀りできませんでしたが、結論(私の勝手な捉え方ですが)は、それぞれが自分の時間を取り戻して、自分をしっかり生きることが、いまこそ大切だということです。
つまり、実体のない「社会」や「制度」「組織」「金銭」に合わせて生きるのではなく、個人を起点にして、主体的に生きることです。
というわけで、このサロンの出発点である「個人を起点とする社会哲学」につながる多様な示唆をもらえたと思いますが、なにしろテーマが壮大なため、参加者は少しだけ消化不良だったかもしれません。
予定の時間を1時間も延長しましたが、話し合いは際限なく続きそうでした。
いずれ、少しテーマを絞っての続編を企画したいと思っています。

私自身は、自らの生き方も含めて、たくさんの気づきをもらえました。
杉原さんと参加者の「こうるさい」みなさんにも感謝しています。
ありがとうございました。


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