■人を殺すことができる人間を作る社会
昨日の平和時評のつづきです。
石田さんの「ふたたびの〈戦前〉」のなかには、衝撃を受けた文書がもうひとつあります。
この本は、石田さんがご自身の体験をベースに書かれていますが、石田さんが軍隊に入って経験したことが書かれています。
1943年に徴兵されて軍隊に入ると、命令によって、いつでも誰でも、見境なしに人を殺すことができる人間を作るために、毎日大した理由もなく、殴られるという生活を経験しました。
軍隊では暴力が広く行われていたことは、さまざまな証言から、私も知っていました。
それは、しかし、恐怖を押し付けられた抑圧された状況の中での異常行為だと思っていました。
しかし、この石田さんの文章は、それが「見境なしに人を殺すことができる人間を作るため」の意図されたものだったことを示唆しています。
ダグラス・ラミスの「戦争するってどんなこと?」から、また引用します。
普通の人は人を殺すことに抵抗があります。(中略)
ところが、戦争になると、たくさんの若者がその抵抗をなくす訓練をうけます。
そして戦場に行って、若者たちが実際に人を殺す経験をして、それに慣れたら、さらに心のなかの抵抗が破壊されます。
(中略)
あるいは、軍隊に入らなくても、戦争している国には人を殺す話、自分の国が人を殺しているというニュースが毎日報道され、敵側の人が殺されたら、「イェーイ」「ばんざい!」と喜びます。
敵だったら人を殺すのはいいこと、喜ぶこと、という雰囲気になります。
そして、こう言います。
憲法を改正しても、すぐに独裁になることはありませんが、時間とともに社会も変わっていくでしょう。
日本を「戦争ができる国」に変えようとするなら、憲法9条を変えるだけではできません。
日本社会を「戦争ができる社会」に変えなければなりません。
何世代も前から日本は戦争していませんので、できるようにするのは大変なことです。
ちなみに、2015年5月29日の朝日新聞の「天声人語」にこんなことが書かれていました。
意外にも多くの兵士が銃を撃っていなかった。 米軍が調べたところ、第2次大戦で戦闘中に発砲したのは、全体の15%から20%に過ぎなかったという。(中略) その後、米軍は発砲率を上げるための訓練法を開発した。 朝鮮戦争では55%になり、ベトナム戦争では90%以上になったそうだ。
人が壊される時代になってきているのです。
「戦争ができる国」になるかどうか。
それは、私たちが「人を殺すことができる人間」になるかどうか、にかかっています。
最後の砦は、結局は私たちなのです。
しかし、その最後の砦が、今や浸食されだしています。
2つの方向から。
これについては、後でまた書くつもりです。
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