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2015/06/08

■節子への挽歌2817:伴侶がいないと大変です

節子
相変わらずいろいろとあります。
伴侶がいないと、すべて問題は私に降りかかってきますので、それなりに大変です。
節子がいた時には、こうしたことはすべて節子がやってくれていたわけですが、その頃、もう少し私に理解があれば良かったと反省しています。
しかし、反省したところで、目先の事態はかわりません。

先日、ある集まりで、「家族の崩壊」が話題にでました。
その場にいた人から、後日、別の集まりでその話題が出ました。
気になっていたのでしょう。
ちなみに、最初の集まりも後日の集まりも、家族とは無縁のテーマの集まりです。

経済成長は家族を維持するよりも壊すことがプラスに働きます。
家族を壊して、全員を経済成長のための労働力とするとともに、市場の対象にできるからです。
家族のあり方と経済のあり方は、深くつながっています。

なんだか時評編のような内容になってきてしまいました。
続きは、時評編にまわしましょう。
ここで書きたいのは、家族や夫婦は、それぞれの役割分担があればこそ、共に成長していけるということです。
問題は、役割分担がうまく構成されて、夫婦関係や家族関係が良好であればあるほど、誰かに問題が起こると、とたんに全体が壊れかねないということです。
これは「最適化のジレンマ」と言ってもいいでしょう。
環境に適応した生物ほど、環境変化に対して脆弱化するということです。

わが家を振り返ってみると、その傾向があります。
節子がいてのこその家族だったのです。
だからこそ、節子がいなくなった途端に、みんなおかしくなってしまったのです。

誤解を与えそうですが、節子がいなくなって、わが家が壊れたわけではありません。
今も仲良くやっていますが、時にまだぎくしゃくすることがあります。
どこか節子がいたころとは違うのです。
ですから、いまも「節子」の話が、それぞれから出ます。

節子は、私が自立できるようにと、発病した後、私に料理を教えたことがあります。
エプロンまで買って、指導を受けましたが、私はあんまりやる気がありませんでした。
だからいまも自分で料理するのが不得手です。
娘からは、病気の中を折角お母さんが教えたのに、と責められますが、自立する準備など、闘病中の節子に見せるわけにはいきません。
その気持ちは、娘にはわかってもらえないでしょう。
まあ、自立していない私にも言い分はあるのです。
しかし、そんな言い分は、もちろん言い訳でしかありません。

だんだん何を書いているのかわからなくなってきました。
まあそれが、節子がいなくなってからの、私の一番困ったことなのです。
つまり、「生きるための基軸」がなくなってしまったのです。
伴侶とは「生きるための基軸」を与えてくれるものなのではないかと思います。
相手に「生きるための基軸」を与えるべきものではなく、与えてくれる存在なのです。
人はやはり、一人では生きにくいのです。

さて今日は元気に前に進もうと思います。

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