■節子への挽歌2820:妻の話をする喜び
節子
畑をやっていたら、Tさんの奥さんが通りかかりました。
Tさんと節子の付き合いはありませんでした。
近くに引っ越して来るというご挨拶に来てくださったのですが、状況変化があったようで、いまだに引っ越しは実現していません。
しかし、時々、いらっしゃっているのだそうです。
節子の葬儀が終わってしばらくしてから、Tさんは夫婦で献花に来てくださいました。
たまたま家の掃除に来て、節子のことを知ったのだそうです。
一度だけの挨拶でお会いしただけですし、近くとはいえ、自治会も別で、もちろん交流はありません。
にもかかわらず、夫婦そろって来てくださったのです。
なんとご丁寧な方たちだろうと思いました。
そこで初めてゆっくりと話しました。
Tさんは滋賀のご出身でした。
話を聞いたら節子の郷里の近くです。
Tさんは、それを聞いて、さらに親しみを感じてくださったようです。
地方なまりがなかったので、てっきり東京の人だと思っていたとTさんは言いました。
なにしろ節子がTさんと話したのは、たぶんちょっと長い挨拶だけだったでしょう。
ですから地方訛りはでなかったのかもしれません。
なぜかTさんは、節子が花が好きだったことも知っていました。
もしかしたら、その頃、畑の花づくりをしていた節子と話したことがあるのかもしれません。
その時も、滋賀訛りは出なかったのでしょうか。
節子がもし、Tさんも滋賀出身だとわかったら、途端に言葉は変わったでしょう。
結婚した頃、その変わりように、私は少なからず驚いたことがあります。
Tさんとは、きっと仲良くなれたでしょう。
それが残念です。
Tさんから「もう何年になりますか」と訊かれました。
もうじき8年です、と答えると、もうそんなにと驚かれました。
そうです、もうじき、8年なのです。
しかし一向に、何も変わらないような気がします。
この8年は、一体なんだったのか、不思議な気がします。
それにしても、わざわざ足を止めて、声をかけてくださったTさんのおかげで、少しだけ節子のことを話すことができました。
亡き妻の話をするのは、とてもうれしいことなのです。
今日はちょっとだけ「良いこと」がありました。
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