■節子への挽歌2815:近所づきあい
節子
先日、湯島の帰りに我孫子駅から自宅に向かって歩いていたら、後ろから「こんにちは」と大きな声をかけられました。
振り返ったら、10メートルくらいうしろに中学生の女の子がいました。
あまりに距離があったので、私にではないかなと思ったのですが、よくみたら、近所の娘さんでした。
10メートルも離れていて、どうして気づいたのだろうと思ったのですが、どうも電車の中から私に気づいていたようです。
陸上の競技会で、船橋まで行っていて、その帰りだそうです。
普段、とりわけ親しいわけではありませんが、小さいころから顔見知りで、遊んでいるのに会えば、もちろん声をかけます。
節子の葬儀にも、折り紙か何かをお供えに持ってきてくれたこともあります。
お父さんの転勤で、3年ほど、地方に行っていましたが、中学校は地元に戻りたいというので、3月に戻ってきたのです。
街を歩くと、時にいろんな人と出会いますが、中学生から声をかけられたのは初めてです。
それも10メートル後ろから。
いろいろと話しながら歩いていると、今度は、横に自動車が止まり、そこから「佐藤さん」と声をかけられました。
知り合いの市会議員でした。
ちょうどニューズレターをお届けしに行く予定だったので、と言って、最近号を渡されました。
なぜか、わが家の郵便受けには何人かの市会議員のニューズレターが投函されています。
この市会議員の人には、以前、我孫子市の若者中心のグループの立ち上げを考えた時に、仲間になってもらったことがあります。
残念ながら、その活動の中心になってほしいと思っていた2人の若者が、そろって転居したのと節子の病気の関係で、頓挫してしまったのですが。
また近所の娘さんと話しながら歩いていると、これまた近くの人に会いました。
まだ会社勤めされているので、なかなか話す機会がありませんが、以前、私が自治会長を引き受けたのは、その人のおかげなのです。
まあ、そんな風に、節子がいなくなっても、私も少しだけ地域に溶け込んできています。
節子がいたら、もっともっといろんなことができていたでしょう。
そういえば、近所の人が交通事故で、1年以上、入院しています。
奥さんには、何かできることがあれば言ってくださいとは話していますが、何もできずにいます。
節子がいたら、何かできたはずですが、男やもめには近所付き合いも結構難しいものがあります。
困ったものです。
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