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2015年7月

2015/07/31

■節子への挽歌2868:樹木葬

節子
湯河原の幕山公園には、死後を意識して自分たちの桜を植える公園があります。
幕山公園は、時々、節子と一緒に行っていました。
私たちの好きな場所で、いろんな思い出があります。
幕山公園に行く途中の家の庭が気にいった節子が、止めるのもきかずに入り込んで、手入れをしていた家人と話し込んでしまったという記憶もあれば、鈴木さんというおじいさんと講演で話したこともあります。
庭に入り込んだ時には、植木までもらってしまい、その花木はいまもわが家に咲いています。
ただし、その桜を植える公園には、ふたりとも関心を持ちませんでした。

前の記事に書いた「永遠葬」の本には、一条さんが実際に取り組んでいる4つのスタイルの永遠葬が紹介されています。
樹木葬、海洋葬、月面葬、天空葬です。
これに関しても、いろいろと思うことはありますが、私が一条さんと知り合ったのは、たぶん「樹木葬」が縁なのです。
最初の縁は、一条さんのお父上の佐久間進さんでした。

いまから30年近く前ですが、ある人が、樹木葬を日本で広げたいと言っていました。
だれも耳を傾けてくれないと嘆いて、私のところにやってきました。
それとはまったく別件で知り合った、佐久間進さんに、その話をしに行ったのが、私がサンレー(現在は一条さんが社長です)を訪問した最初でした。
樹木葬の話はさせてもらいましたが、当時はまだあまり興味を持ってもらえませんでした。
私も自分のプロジェクトではないので、その話はそれで終わったのですが、なぜかその後、息子さんである一条真也<佐久間庸和)さんとのお付き合いが深まりました。
そのあたりの経緯は、いまは全く思い出せないのですが。

私が最初に一条さんの才気に魅了されたのは、対談集「魂をデザインする」でした。
一条さんが送ってきてくれたのだと思います。
以来、新しい本を書くと、一条さんはいつも送ってきてくれます。
節子が亡くなった直後は、私には読めない本もありました。
いまはもう大丈夫ですが、一時は私自身が極度に心が痛んでいたのです。

ところで樹木葬ですが、それを主張していた友人は、数年前に亡くなりました。
私より一回りも年上で、私よりも数回りもロマンチストの夢追い人でした。
夢を追いすぎて、離婚し、最後は館山に転居し、孤独死でした。
その人は節子のファンでした。
節子とその人は、どちらが先に逝ったのでしょうか。
どうもそういう記憶が、私にはとても苦手なのです。

樹木葬か海洋葬が、節子が亡くなる前の私たちの選択肢でした。
しかし、節子は最後になって、通常の葬儀を希望しました。
私も、それに付き合うことになりました。
いまから考えると、よかったと思います。
私たちが考える樹木葬や海洋散骨は、たぶん現在行われている者とは違うような気がするからです。
どこが違うのか、あまり明確には話せませんが、そんな気がします。
一条さんのもう1冊の新著、「唯葬論」を読んだら、整理できるかもしれません。

樹木葬という言葉で、幕山公園を思い出したので、もうひとつ書いてしまいました。

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■節子への挽歌2867:人は墓標

節子
昨日、書いた一条真也さんの「永遠葬」を読み出したら、おもしろくて一気に読んでしまいました。
一条さんの世界が見事に展開されています。
本の感想は別途またホームページに書くつもりですので、ここでは書きませんが、読み終えて気がついたことがあります。
それは、「人は墓標」だということです。
もっと正確に言えば、私自身が節子の墓標なのだということです。

一条さんの本に、そう書かれていたわけではありません。
一条さんは、「永遠葬」という言葉に、「人は永遠に供養される」という意味を込めています。
その思いや趣旨には、とても共感します。
そうした一条さんの思いを、私なりに受け止めた結果が、「人こそ墓標」だったのです。

日本仏教には初七日から始まる年忌法要があります。
そして、五十回忌で「弔い上げ」となるのですが、一条さんは「死後50年経過すれば、死者の霊魂は宇宙へ還り、人間に代わってホトケが供養してくれるといいます。つまり、「弔い上げ」を境に、供養する主体が人間から仏に移るわけで、供養そのものは永遠に続くわけです」。
供養する人が仏になる。
しかし、供養されている人は、もっと前に仏になっている。
供養する人、供養される人は、結局は同じ仏というわけです。
私にとっては、大きな気づきでした。
そして、脈絡もなく、突然思ったのです。
人こそが墓標なのだと。
そこの繋がりは、もう少しきちんと説明すべきかもしれません。
でもそう気づいてしまうと、すべてが私には理解できたような気になりました。
節子の墓標は私なのだ、と。
そして、「人は永遠に供養される」という一条さんのメッセージが、すんなりと受け入れられました。

人は、愛する人に自らを託し、その人を墓標にしていく。
あるいはまた、愛する人に自らを墓標として、開いていく。
供養することが、実は供養されることでもある。
節子の友人たちが私に声をかけてくるのは、私が墓標だからなのです。
私の心身の中に、時々、節子を感ずるのは、私が墓標だからなのです。
そして、誰かがまた私の墓標になって、節子を含めた私を引き継いでくれる。

これが、私が「永遠葬」を読み終わった時に浮かんできたことです。
私には大きな発見です。
そうか、私は節子の墓標なのだと思うと、いろんなことがすんなりとはいってくる。

一条さんのメッセージを読み違えているおそれがないわけではありませんが、私にとっては、強烈な気付きです。
私も、なんだか「葬儀論」を書きたいほどの気分です。

いささか消化不足ですが、一条さんと節子に早くこのことを伝えたくて、書いてしまいました。
もっとも、節子は、やっと気づいたの、と笑っているかもしれません。
一条さんは、どういうでしょうか。
ちょっと心配ですね。

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■自らの生き方に「毎日、真剣に向き合う」こと

7月30日の朝日新聞の「ザ・コラム」に上田俊英さんが「原発拒んだ女性たち」という記事を書いていました。
岩手県の三陸沿岸北部の田野畑村(人口3700人ほど)の話です。
1981年に、この小村では原発立地の是非をめぐって、村人が二分された歴史があるそうです。
この地が、原発立地の「有力候補」になったのです。
反対運動の中心になったのが、岩見ヒサさん。
岩見さんによれば、「村の男の人たちは、ほとんどが賛成」だったそうです。
当時、村の予算規模は20億円ほどでしたが、原発が建設されれば「31億5千万円」が交付されると言われていたのです。
しかし、岩見さんたちの反対運動が奏功したためかどうかはわかりませんが、原発は立地されませんでした。
そのおかげで、いまは自然が、村の観光を支えています。

この田野畑は、江戸時代、「一揆」の地でもあったそうです。
江戸時代に大きな一揆を率いた人の5代目の子孫の畠山さんは、原発反対を訴えていたころの岩見さんのことをよく覚えていて、「岩見さんたちは毎日、原発の問題と真剣に向き合っていた」と言っています。
「毎日、真剣に向き合う」。
つまり、反対運動というよりも、生き方を問い質すということです。
この姿勢が大事なのでしょう。

畠山さんによると、一揆の精神の原点は「勇気」「情熱」「団結」だそうです。
その精神があのとき、村の女性たちの心の中で花を咲かせていたのではないかと畠山さんは言います。
「大切なのは、金だけではない。原発ができていたら、われわれはいま、遠くに避難しているのかもしれない」という、奥山さんの言葉にもっと私たちは耳を傾けるべきです。

この話は大きな示唆を与えてくれます。
大切なのは私たちの生き方です。
原発を立地させたのも、そこに住む(広い意味では日本に住む)私たちの生き方です。
戦争を起こすのも、同じことかもしれません。
自らの生き方に、私たちは、「毎日、真剣に向き合う」ことが大切です。

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■節子への挽歌2866:今日もいい1日になりそうです

節子
今日もまた猛暑日になるようです。
しかし、朝はさわやかです。
5時に起床、シャワーを浴びて、庭の花への水やり。
今日もいい1日になりそうです。

昨夜、若い友人からメッセージが届きました。

実は自律神経をおかしくしてしまい、苦しみながらかつかつと働いております。 完治次第是非お伺いさせてください。 はじめてしっかりメンタルヘルスとの痛みと戦う機会を得ました・・恐ろしい病でした。

実は、彼の頑張りすぎが気になって、ささやかなメッセージを出してはいたのですが、なぜかそれが遮断されてしまい、いささかムッとしていたのですが(その頃は私自身もかなりメンタルダウンしていましたから)、やはりそうだったのだと知りました。
いつでも来てくださいと返信しました。
彼が来るまでに、私自身も元気になっていなければいけません。

若くない友人からもメールが来ていました。

実は、明日、家内が入院します。期間は、2か月位の予定です。

寝耳に水でした。これも気になります。

みんなそれぞれにいろいろある。
自分のトラブルに埋没してしまうと、そうしたことが見えなくなります。
まわりが見えなくなると、ますます埋没してしまう。

明日から8月です。
思い出したくない記憶のつまった8月ですが、今年は乗り切れるかもしれません。
埋没せずに、動き出そうという気が少しですが、出てきました。
今日はいい朝です。

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2015/07/30

■節子への挽歌2865:「人は「永遠」に弔われる存在」

節子
一条真也さんが2冊の本を送ってきてくれました。
「永遠葬」と「唯葬論」です。
一条さんの、まさにホームグラウンドでの新著です。
お礼のメールを書いたら、この前の日曜日(7月26日)に、この2冊の本の出版を記念して、地元の映画館で、映画上映と併せたトークショーをやったことが書かれていました。
上映映画は「おみおくりの作法」と「マルタのことづけ」。
その間に、一条さんのトークショーというプログラムです。
なんと魅力的なプログラムでしょうか。
その時に話されたことなどが、一条さんのハートフル・ブログに詳しく書かれています。
ぜひお読みください。
とても共感できるお話です。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/20150726/p2

そのブログに、一条さんは、「死生観は究極の教養である」という持論を書かれていますが、私も最近、そういう思いを強めています。
すべての教養は、死生観のためにあったのだという気付きと言っていいかもしれません。
ですから、一条さんの「唯葬論」には大きな関心があります。
しかし、まずは「永遠葬」を読むことにしました。
一条さんからも、その順序を薦められましたし。

ところで、「永遠葬」とはどういう意味でしょうか。
一条さんの造語だと思いますが、一条さんは、最近の直葬やゼロ葬に対する問題提起の意図をお持ちのようです。
なんとなくその趣旨はわかりますが、どんな意味を込めて「永遠葬」と名付けたのか、とても興味があります。
本の帯に、「人は「永遠」に弔われる存在です」というコピーが書かれています。
素直に心に入りますが、でもそれだけでは「永遠葬」の心は入ってきません。
一条さんのネーミングのセンスは抜群ですので、そこに込められた一条さんの思いを知るのが、楽しみです。
問題は、暑さのせいもあって、私が最近、なかなか本を読めなくなっていることです。
でもまあ、明日か明後日、「永遠葬」を読ませてもらう予定です。

ちなみに、私自身の葬儀は、自分で設計して実践できればと思っています。
それも、生前葬ではなく、死後の葬儀です。
節子がいたら、実現は確実でしたが、節子がいないいまは、かなりの難題かもしれません。
できれば、死期も自分で決めたいと思っているのですが。

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■節子への挽歌2864:節子、野路さんと話しましたよ

節子
節子が親しかった友人の野路さんのご主人から、桃が送られてきました。
毎年、送って下さるのです。
節子の友人の野路さんは、数年前に事故で記憶を失ったのですが、最近少しずつ記憶を取り戻してきているようです。
ご主人に電話したら、ちょっと待ってくださいと言って、野路さんに代わってくれました。
久しぶりに、直接お話ができました。
言葉はまだ少し不自由なようですが、元気そうな声でした。
ご主人が、電話に出たがる人と電話に出たがらない人がいるのですと笑いながら話してくれました。
電話の向こう側で、我孫子の佐藤さんだよと言っている声が聞こえましたが、もしかしたら野路さんは節子だと思ったのかもしれません。
男の声だったので、がっかりしたかもしれません。
それでも、機嫌よく、話をしてくれました。
ご主人が、最近は我が強くなってきて、大変ですよ、と言いましたが、我が強かろうと弱かろうとそこにいるだけでも「幸せ」な気がします。
しかし、それは私の勝手な思いで、まあ、それはそれでまた大変なこともあるのでしょう。
人の関係は、それぞれにまったく違いますから、勝手に決めつけるわけにはいきません。
でも、電話したらすぐに2人とも出てきたというのは、いまもなお、おふたりは寄り添って暮らしているのでしょう。
うらやましい限りです。

節子は、野路さん夫婦とは2回ほど旅行に行っています。
ちょうど日程が合わなかったのか、私はいつも不参加でした。
私は、野路さんには何回も会っていますが、ご主人にはお会いしていません。
いつも電話だけのつながりです。
しかし、不思議なもので、節子のおかげで、昔からの知り合いのような気がします。
そう言えば、広島の折口さんは、一度もお会いしたことがないにもかかわらず、何か深くつながっているような気もします。
人の関係とは、そんなものかもしれません。

桃は早速、節子の供えさせてもらいました。
私好みの固い桃でした。

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■節子への挽歌2863:湯島もさびしくなってきました

節子
湯島です。
4日ほど湯島に来られなかったのですが、やはりランタナが枯れかかっていました。
急いで手当をして、水をたっぷりあげましたので、たぶん大丈夫ですが、わずかとはいえ、植木鉢があるので、夏は注意しないといけません。
植物の熱中症は致命的なのです。

今日は特段湯島に様があったわけではありません。
植木に水をやりに来たのです。
しかし、ここにはクーラーがあって、自宅よりもずっと涼しいので、しばらくここでゆっくりしようと思います。
運よく誰かが訪ねてくればいいのですが、そううまくはいかないでしょう。

以前は、少しでも時間ができれば、だれかを訪ねるか、だれかを呼び込んだりしたものです。
それに、寄ってもいいかとかいう電話もよくかかってきたものです。
しかし、最近はそういうことはめったにありません。
私のみならず、友人知人も、歳をとって、その活動が後退しているからでしょう。
私に限って言えば、最近はほとんど仕事らしい仕事はしなくなってしまいました。
それが歳をとるということかもしれません。

湯島の電話も、最近はほとんどなりません。
先ほどめずらしく電話がかかってきましたが、出てみると、私あてではなく、場所を提供しているNPO当てでした。
電話番号も、ここのを使っているようです。
きっと私が、そう勧めたのでしょう。
電話代節約のため、解約しようと思っていましたが、勝手にはできないようです。
困ったものです。

それにしても、以前はこの湯島の狭い空間が、いろんな人であふれていました。
あの頃は、私もたぶん活き活きしていたのでしょう。
いまは活き活きどころかへとへとになっていますが、いつまでここに通うのでしょうか。
いや、なぜ私は湯島に来るのでしょうか。
そう考えてみると、湯島がもしなかったら、私の生き方はいまとは全く違ったものになってしまっていることでしょう。

人の生き方を決めているのは、意外と気づかないものなのかもしれません。
湯島のない人生は、いまの私には考えられませんね。

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■国家(ステート)から国民(ネーション)へ軸足を移す

安保法制への国民の反対運動が広がっていますが、これは簡単に言えば、選挙によって統治権を与えた主権者である国民と国家を統治する政府との乖離を意味しています。
同じような構図は、例えば沖縄辺野古問題に関して沖縄住民から統治を委託された翁長沖縄政府と阿部政府との関係にみられるように、国家政府と地方政府にも起こります。
そうした時に、果たしてどちらに主導権があるかどうかは、時代によって変わってきました。
この1世紀ほどの世界の歴史は、たぶん、国家(ステート)から国民(ネーション)への動きです。

英語のステート(国家)とネーション(国民)は、日本では似たような受け取られ方がされていますが、まったく別のものです。
ステート(国家)は、一言で言えば、統治機構です。
つまり、政府の構造(制度)やそれを支える法体系や暴力管理体制です。
それに対して、ネーション(国民)は、共通の統治機構の管理下にある人々の集団です。
多くの場合、ネーションは、共通の歴史的体験を持ち、その結果、価値観や文化も共有しています。
近代国家の多くは、ネーションが主権を持った国民国家です。
しかし、言うまでもありませんが、国民主権というのはあくまでも理念的な擬制であって、国民の主権が保証されているわけではありません。
ですからステートとネーションには乖離が生ずるわけです。
同時に、ステートの内部構造(中央政府と地方政府)においても、当然、利害の不一致が起こります。
問題は、そうした時に、どちらが主導権をもつかです。

これまでは、上位組織、つまり中央政府に主導権がありました。
国民主権や人権思想から言えば、出発点は個々の人間、あえて概念的に言えば、国民にあるはずです。
しかし、それを有効に組織化、制度化できなかったために、統治の基点にはおけなかったのです。
ですから政府が主導するしかなかったのです。

深刻な問題は、制度というものは常に人間を超える存在だということです。
そのわかりやすい例は、ヒトラーナチスでしょう。
ある段階を超してしまうと、もはやだれもが止められなくなったのです。
国会の委員会中継を見た人は誰も気づくでしょうが、政府側に座っている閣僚たちには、人間としての表情があまりありません。
制度の一部になっていることがよくわかります。

大切なのは、政治のベクトルを変えることです。
個々の人間を起点とした統治の可能性を模索することです。
そうしたことに、多くの人が耳を傾けだしました。

沖縄の翁長知事が、国連の人権理事会で呼びかけを計画していそうです。
時代の流れは、いま大きな岐路に立っているように思います。

前にも書きましたが、日本の国会はあまりに閉鎖的です。
国民を見ていないのは、与党や政府だけではありません。
野党も含めて、国会議員や政党は発想のベクトルを変えていません。
ですから大きな力にはなりません。
ステートの世界からネーションの世界へと軸足を移さなければ、政治は動かないでしょう。

昨日の山本太郎議員の質疑のやり方を見ていて、改めてそう思いました。

ちなみに、直接民主主義を目指して、30年程前にリンカーンクラブを立ち上げた武田さんが、もう一度、活動を開始しようかと電話してきました。
一緒に活動してもいいという方がいたら、ご連絡ください。

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2015/07/29

■節子への挽歌2862:山本太郎議員の健闘

節子
今日はやはりいい日でした。
というのは、久しぶりに国会中継を見たのです。
山本太郎さんが参議院の特別委員会で質問するというので、急いで帰宅してテレビを見ました。
私が、いま信頼する国会議員は小沢一郎さんと山本太郎さんくらいなのです。
まさか、この2人がつながるとは思っていませんでしたが、いまや仲間になってしまったようです。

それはともかく、見ていて、元気が出てきました。
そのことは時評編に書きましたし、そこに中継の映像も紹介しました。

私は、小沢さんの政策には賛成できません。
戦争のできる「普通の国」にしたいなどという考えには、心底反対です。
ですから、到底、支持などできませんでした。
節子は、政策はともかく、なぜか小沢さんに好感をもっていました。
私たちは意見が正反対だったのです。
しかし、なぜか、節子がいなくなってから、私は小沢さんが好きになってしまっていました。
まさか節子の影響ではないでしょうが、政策や価値観は違っても、どこか未来を考えているような気がしてきたのです。
小沢さんが、検察に狙われだしてからは、すっかり小沢さんびいきになってしまったのです。

その小沢さんが、山本太郎さんとグループを結成したのです。
山本太郎さんも、いろいろと悪い話もありましたが、私は最初から何かとても共感できるところがありました。
そして、最近の山本太郎さんの行動には、共感するところが多いのです。
今日の国会での質疑は、私にはとても元気の出るものでした。
しばらく見る気にもなれなかった国会中継が、また見られるようになった気がします。

今日は、いい日でした。
庶民にとっての「いい日」とは、まあこの程度のことなのでしょう。
そういえば、今日は「重い話」はどこからもなかったです。
お天道様が、ようやく私にも陽を当てだしてくれたのかもしれません。
そうであれば、少しくらい暑いのは我慢しなければいけませんね。

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■参議院特別委員会での山本太郎さんに元気が出ました

今日は参議院特別委員会で山本太郎さんが質問を行うというので、急いで帰宅して、テレビの国会中継を見ました。
実にわかりやすく、本質をついています。
私のような、生活者目線のものには、実に納得できます。
この30数分のやり取りはぜひ多くの人に見てほしいです。
https://www.youtube.com/watch?t=189&v=XlC-oyJKSFs

山本議員は質問に先立ち、沖縄辺野古からの傍聴人が来ていることを紹介しました。
私には、それが実に新鮮でした。
いまの安保法制にきちんと反対できるのは、沖縄の人たちだろうと私は思っています。
私たち「やまとんちゅう」には、残念ながら、反対する責務はあったとしても権利はないかもしれません。

つづいて、安保法制に関連して、「稼働中の川内原発がミサイル攻撃を受けた時にどれくらいの放射性物質が放出されるのか?」と質問。
原子力規制委員会の田中委員長が「弾道ミサイルが直撃した場合の想定はしていません。ちなみに事故が起きた場合の想定は福島原発事故の1000分の1以下」と回答しました。
驚きました。
福島原発事故の1000分の1以下!!
田中委員長がどういう人であるかもよくわかります。

実は、福島原発事故が起きた時に、もし地震や津波でなくて、テロによる攻撃だったら、とぞっとした記憶があります。
直後のある報告会で、そのことを質問しましたが、関係者の回答は、その想定はしていないということでした。
その時にも愕然としました。
ある技術者に、原爆と原発は同じだから原発も原爆効果を持っているのではないかと質問したら、まったく別で攻撃されても爆発はしないと言われました。
専門家の意見と素人の意見の違いに、気づかされました。
専門家は、狭い想定の中でしか、考えていないのです。
しかし、実際の生活は、想定内だけで動いているのではないのです。
素人には「想定外」はないのです。

山本議員も総理に質問を重ねます。
「どうして福島原発の1000分の1で済むのか。前に質問したところ、仮定の質問でありお答えするのは差し控えたいとの返答があった。仮定の話ではお答えするのは難しいということなのでしょうか総理」。
安倍首相は「武力攻撃は規模の大小やパターンが異なることから、一概に想定するのは難しい」と答えました。
まさに罠にはまった感じです。
山本議員は、ここぞとばかり追求します。
「今回の法案、中身や仮定や想定を元にしていませんか?A国がB国に攻撃を仕掛けた。友好国のB国から要請があって武力行使ができるのできないの、これは仮定ですよね?」。
「都合の良い時だけ仮定を連発して、国防上ターゲットになり得るような核施設に対する仮定や想定は出来かねますって、どんだけご都合主義なのか」。
実にわかりやすい。

他にも拍手喝采したいところはいくつかありました。

山本さんは、国民に代わって質問し、そして国民に向かって説明してくれている感じでした。
それこそが、テレビ中継される場合の国会議論の意味のはずですが、他の多くの議員は国民への意識もなく、退屈な質問と自己主張にとどまりがちです。

安倍首相も田中委員長も、質問には何一つ答えません。
たぶん最初から応える気もなく、したがって情報もないのでしょう。
事前の質問にも、誰も答えていないことを山本太郎さんは明らかにしてくれています。
そして、国会という場がどんな状況になっているのか、専門家とはどんな存在なのか、政府とは何なのかを、明らかにしてくれます。
山本太郎さんも、たぶん国民と同じように「軽い存在」に見下されているのでしょう。
それを十分に意識しているように、山本議員は健闘されました。
私自身は久しぶりに胸がすく思いでした。
しかし、あれほどの白熱した質問にもかかわらず、終わった後の拍手はまばらでした。
多くの歯車的政治家たちには、たぶん別の世界の光景なのかもしれません。
若い世代の議員もいましたが、何か感じてくれたでしょうか。

国会議員になっても、山本太郎さんのような、まじめな姿勢を維持できる人がいることで、少し元気も出ます。
ネットがアップされています。
ぜひ見てください。
https://www.youtube.com/watch?t=189&v=XlC-oyJKSFs

彼が言うように、原発再稼働も安保法制も、国民のことなど、まったくと言っていいほど考えられていないのです。
なにしろ、国民生活への影響という、肝心の検討が行われていないのですから。
山本議員の最後の締めくくりの言葉が実にいい。
「安倍総理の規制委員会への責任転嫁で、この質疑は終わりたいと思います」
ちなみに、田中委員長は、もちろん責任感など微塵もないことを答弁で明らかにしていますが。

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■節子への挽歌2861:節子へのプレゼントが届きました

節子
今日はやはり「いい日」になりました。
節子に荷物が届いたのです。
いつも届けてくれるヤマト運輸の人が、「節子さん宛ですが?」と声をかけてくれました。
咄嗟に「花ですかね?」と言って受け取りました。
しかしよく見ると、製菓会社からです。
開けてみたら、お菓子のセットのです。
そこに「ご当選おめでとうございます」というカードが入っていました。
そして13種類のお菓子が入っていました。

私はこの春、キャラメルコーンが好きになり、毎日のように食べていました。
ブームは1か月くらい続いたかと思いますが、その時に、プレゼントキャンペーンがあったのです。
娘に頼んで応募しておいてもらったのですが、みんなの名前で複数応募したようです。
そのうちの1枚が節子名義だったわけです。
いささか問題がありますが、まあわが家ではまだ節子は同居していることになっていますので許してもらえるでしょう。
いまも時々、セールスなどの電話が節子にかかってきますが、その場合は、「いま留守にしています」と応えるようにしています。

13種類のお菓子の一つを節子に供え、久しぶりにまた、キャラメルコーンを食べました。
節子のおかげで、またはまりそうですね。

それにしても、節子は運がいいです。
存在しないのに当たったのですから。
もしかしたら、今日はもっといいことがあるかもしれません。
いやあるといいのですが。
最近、あまりいいことがないものですから。

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■節子への挽歌2860:長い生とよい生

節子
今日も、暑くなりそうです。

まもなく巡礼に出る友人から、1冊の本を教えてもらいました。
トマス・ア・ケンビスの「キリストにならいて」です。
巡礼中に持参する本として選んだのだそうです。
その本のことは知りませんでしたし、もし知っていても、読むことはなかったでしょう。
しかし、なんとなく気になり、手に取ってみました。
なにしろ読書家のSさんが、2か月半の巡礼に持参する本として選んだ1冊ですから。

最初の書き出しは、「私に従うものは暗の中を歩まない、と主はいわれる」とありました。
いかにも、という感じの書き出しです。
そういう反応をする読者がいることは、当然予想されていて、その文章につづき、いろいろと諭されることになります。
以前なら、ますます心は遠のくのですが、なぜか今回は読み進めてしまいました。
そして、すぐにこんな文章に出会いました。

あらゆる哲学者のいったことを知るとしても、神の愛と恵みとがなければ、その全てに何の益があろう。
なぜか奇妙に心に響きます。 さらにこう書いてあります。
長い生を望みながら、よい生について心を用いることが少ないのは、空しいことである。

私が最近空しいのは、「よい生」への思いがなくなったからかもしれない、と思いました。
「長い生」への望みは、もとよりありません。
人を信ずることが「よい生」だと思い続けてきましたが、最近どうもそうではないという疑問が生まれていました。
なによりも、自らを信ずることができなくなってきたのです。
しかし、よい生は、神の愛と恵みによってもたらされる。
ケンビスは、そう言っています。
ケンビスの言う神は、キリスト教の神でしょうが、私にとっての神はもっと広義です。
あえて言えば、お天道様ですが、要するに「主語のない」愛と恵みです。
愛と恵みには、主語はいらない、というのが私の考えです。
言い換えれば、神は自らの内にある。

最近、忘れていたことを思い出しました。
「よい生」への思いを取り戻せるかもしれません。
この本を、読み続ける自信はありませんが、この本を開く気になったのもまた、愛と恵みの成せることなのでしょう。

暑さより、さわやかさを感ずる気がしてきました。
今日も「いい日」になりそうです。

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2015/07/28

■節子への挽歌2859:私を受け止めてくれる空気

節子
1日挽歌を3つ書こうと決めましたが、なかなか難しいものです。
しかし、そうしないと次の命日までに追いつかないのです。
日数と表示番号がずれていると、どうも落ち着きません。

数日前にもらったメールのことを書くことにします。
節子にも喜んでもらえるでしょう。

挽歌でも書いたかもしれませんが、以前、突然メールをもらい、返信したら、すぐに湯島に来てくださった方がいます。
遠くに住んでいる方です。
しかし、その時には、ある集まりに参加する形だったので、ゆっくりとお話はできませんでした。
それでも、少しだけお話しました。
その後、連絡がなくなり、私自身もちょっと余裕のない状況になってしまっていました。
その方から、久しぶりにまたメールが届いたのです。
いろいろと大変な状況のようです。
しかし、彼女は、こう書いてきてくれました。

いつか私の話を聞いて頂きたいですし、 それを許して下さりそうな佐藤様の存在を心強く思っております。 湯島のあの場所に行けば、 この私を受け止めて下さる空気が待っている、と勝手に思っております。

節子と一緒に、そういう場所をつくりたかったのです。
しかし、節子がいなくなったために、それは難しいかなと思ってしまっていたのです。
夫婦だと相手は安心するでしょう。
それに私は、人の話を聞くよりも、話をしてしまう傾向があるのです。
しかも、その話し方があまりうまくないのです。
思ったことを、ともかくそのまま話してしまうのです。

節子と2人であれば、お互いに補い合いながら、役割分担できますし、第一、相手との距離感がとりやすいのです。
どちらかというと、私は相手に入り込んでしまいすぎますので、危ないのです。
事実、節子がいなくなってから数回失敗しています。

だから、人に会うのもほどほどにしようかと思い始めていたのです。
しかし、このメールには、「湯島のあの場所に行けば、この私を受け止めて下さる空気が待っている」と書かれています。
これは、私が目指していることなのです。
正しくは、「目指していたこと」です。
あまりに騙されることが多いので、もうやめようかと思いだしていたのです。
でもこう思っていてくれる人がいるのであれば、やめるわけにはいきません。
何とかもう少し湯島は維持しようと思い直しました。
最近は、自分の問題もあって、あまり湯島には出かけていないのですが、8月からはもう少し湯島に行くようにしようと思います。

話をしたい方がいたら、どうぞお越しください。
雑談相手くらいにはなれるでしょう。
それに、実は、湯島のオフィスに行けば、私自身も何か落ち着くのです。
節子がどこかにまだいるのかもしれません。

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■節子への挽歌2858:琉球朝顔

節子
節子がいなくなってから、わが家の庭から消えてしまった植物は多いのですが、新たにやってきたものも少しですがあります。
そのひとつが、琉球朝顔です。

湯島のオフィスにいく途中に、毎年、見事な朝顔が咲きます。
咲きだしたのは、節子が湯島に行かなくなってからです。
その朝顔を見るたびに、わが家にもこんな朝顔があるといいなと思っていました。
それを知ってか知らずか、娘が玄関に、この朝顔を植えました。
1年目は咲いたのですが、北向きで日当たりが悪かったので、翌年はダメでした。
それで2階のベランダに植えてみましたが、あまりの手入れ不足で枯らしてしまいました。
そして今年は、庭に植えることにしました。
2本植えたのですが、1本はどうもモグラに球根をかじられたようで、あまり元気がありません。
でも一本のほうは、元気で、毎朝、いくつかの花を咲かせます。
それも、節子の献花台の近くで花を咲かせるのです。
写真に撮ってみました。
Asagao

本来は、上に向かってどんどんと伸びていくのですが、わが家では横に向かって延びるようにしています。
朝顔にはきっと不本意なことでしょう。
でも献花台を包むようにしてくれているので、私にはうれしいです。
そういえば、最近、節子の献花台への花もおろそかになっています。
下の畑からとってきた百日草を、後で挿しました。

昨日、この献花台の前のテーブルで、読書をしていたら、朝顔のところにキアゲハが飛んできて、蜜を吸っていました。
それで読書をやめて、あとは自然の中でボーっとしていたのですが、いつのまにかうとうとしていました。
喉が渇いたので、部屋に戻りましたが、腕に小さなカマキリの子どもがついているのに気づきました。
目が合いましたが、こんなにかわいいカマキリの子どもははじめてでした。
箱に入れて、飼いたくなりましたが、やはりそれはよくないので、庭の草の中に放してきました。
大きなカマキリはかわいくありませんが、子供のカマキリはとてもかわいいのです。

昨日は、そんな感じで、自然の中にいたのですが、今日はそういうわけにもいきません。
しかし、5時から動き出したためか、もういささか疲労気味です。
あんまり張り切ってはいけません。
ほどほどにしなければいけません。

今日も湿度の高い暑い日になりそうです。

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■醜の王国

安保法制と違い、新国立競技場問題は、計画が白紙撤回されました。
そうなると、これまでの最初の案が、本当は嫌いだったなどという意見が、計画を認めた当事者たちからも出てきました。
なんとまあ、情けないことか。
まさに「裸の王様」の世界で生きている「有名人」の哀れさを感じます。

それはそれとして、新国立競技場のザハ案は、デザイン的に見てどうなのでしょうか。
審美の世界のいる人たちからは、ほとんど意見が出されませんが、意見をお聞きしたいものです。
発言がないということは、意見がないということかもしれません。
意見がないということは、「審美感」がないということでしょうか。
美に関心のある人であれば、発言すべきです。

「民藝」を発見した柳宗悦であれば、どう語ったでしょうか。
「美しい」と思ったでしょうか。
そう思って、久しぶりに柳宗悦の本を少し読み直してみました。
ザハ案は「ゴミ」だと言い切ってくれるのではないかという期待がありますが、それは私のあまりに大きな希望的観測でしょうね。
ちなみに、私は、ザハ案を見た時には、あまりの醜悪さと暴力性に唖然としました。
あんなものが、美しいと言われる時代がおぞましいです。
まあ、オリンピックそのものが、今や醜悪の極みになってきていますが。

もっとも、私は、最近の東京の風景がどんどん醜悪になってきていると思っていますので、時代の美意識にはついていけていない存在なのです。
だから、柳宗悦を思い出したのですが。

柳宗悦は、宗教と美の「統一理論」に挑戦したと言われますが、すべての人には「美仏性」があると主張しています。
つまり、すべての人たちは美しいものを受け取る力をもっており、世のあらゆるところに美しいものが現れる契機が汎在している、というのです。
にもかかわらず、なぜ世界にはこれほど「醜悪なもの」が存在するのか。
それは、人のもつ小賢しい分別だと柳は言います。
「美仏性は自在心であるから(中略)、それが分別に邪魔され、拘束されて不自由に陥ったり、自己にこだわって、その奴隷となったりする時、仏性を傷つけられてしまう」のです。
分別や我執にこだわらない自在心さえあるならば、人は本来内に備わっている美仏性を生きることができるというのです。
あのザハ案は、私には、新国立競技場に関わる人たちの我執の塊に見えましたが、案の定、その後の経緯を見ていると、そこに群がった人たちの我欲と我執が見えてきました。
そこに群がった人たちの醜悪さが、あのデザインに象徴されてしまったのでしょうか。
安藤忠雄さんの記者会見も、それはそれはひどいものでした。
そこには、美の感性は皆無でした。

柳宗悦は「美の法門」でこう書いています。

「この世には段々醜悪なもの俗悪なものが殖える一方で、美の王国の建設どころか、醜の王国さえ、現れかねない始末で、進んでは醜をさえ喝采する人たちも殖えてゆく現状であります。」

時代の流れには抗えないとしても、せめて自分だけは、醜に喝采する人にはなるまいと思っています。

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■節子への挽歌2857:久しぶりのさわやかな目覚め

節子
久しぶりにさわやかな目覚めを体験しました。
5時から動き出していますが、まだ外はあまり人の気配がしません。
昨日の我孫子は猛暑日でしたが、かなりの時間を外で過ごしました。
暑い時には外で過ごすのがいいというのは、最近の常識に反するようですが、注意しなければいけないとしても、暑さからは逃げずに向かうのがいいというのが昨日の体験です。
正午過ぎには庭(日陰)の温度は37℃を超えましたが、内水や風のおかげで、むしろ快適でした。
夕方には畑にも行って、ひと仕事してきました。
新たにネギを植え、最近また少し押され気味になっていた野草との戦いを始めました。
梅雨明けのおかげで、また茄子ときゅうりが復活しました。
道路沿いの斜面には花も植えてきました。
まだ「花壇」とは言いにくいですが、百日草も元気です。

そんなわけで、昨日はかなりの時間を外で過ごしたのですが、おかげで夜は熟睡できました。
暑さも少しやわらいだおかげもありますが、久しぶりに6時間近く眠れました。

今朝も畑に行きました。
昨日、刈っておいた草をゴミに出さなければいけません。
大きな袋を持ち帰りました。
いい運動です。

今年は自宅近くではまだセミがあまり鳴きませんが、遠くで鳴いています。
鳥は朝からにぎやかです。
でもまだ人気(ひとけ)はあまりありません。
いつもならもう気配がたくさんあるのですが、今日はみんな寝坊のようです。
昨夜は涼しかったからでしょうか。

少しずつですが、生活が整いだしています。
節子の闘病時代、こうした静かな明け方に、よく手賀沼公園まで2人で散歩をしました。
節子がいなくなってからは、もう散歩はしません。
しかし、今朝は、あの頃のような朝です。
手賀沼公園に行ったら、節子に会えるかもしれないと思えるほどです。
でも、行くのはやめましょう。

少しずつ人の気配が出てきました。
さて部屋に行って、今日の挽歌を書きましょう。
今日はいい1日になりそうです。

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2015/07/27

■節子への挽歌2856:屋外での居眠り

今日も暑いです。
朝早く起きて、一応のことはすませましたが、畑に行くにはすでにもう暑すぎました。
今日は午後から自宅でちょっと用事があるので、在宅ですが、この暑さではどうしようもありません。

暑い時には暑い中で過ごすのがいいかもしれません。
庭のテーブルにパラソルを立てて、直接の陽射しは避けて。そこで読書をすることにしました。
家の中の陰湿な暑さよりも、外での単純な暑さの方が、過ごしやすいのではないか。
まあそう簡単に考えたわけです。
もっとも我が家の庭でテーブルが置けるような場所は、樹木の影になるような冷涼な場所ではなく、しかもコンクリート張りなのです。
いささか無謀かもしれませんが、思い立ったらやるのが私の性格です。
節子がいたら止めたでしょうが。

読む本も大事です。
ちょうど読みかけの「民藝の擁護」という、松井健さんの本がなんとなく似合っている気がしました。
暑いので、飲み物もと思いましたが、雰囲気に合わせて、かき氷にしようと思いました。
かき氷器で手づくりしました。
そして、テーブルの下にはふんだんに水をまきました。
さて後は読書です。

最初はとても快適でした。
暑いのですが、気持ち良い暑さです。
室内では33度以下だった温度計はすぐに35度を超えました。
もちろんパラソルの下の日陰のところです。
水を撒いたのに、湿度は室内よりも下がりだしました。
そして不思議なことに汗をかかないのです。
昔、海水浴場で感じたあの感覚です。

かき氷はシロップのせいか、あんまりおいしくなかったです。
しかし、室内では読む気にならなかった本も読めました。
そのうちに、アゲハ蝶が寄ってきました。
そして目の前の花の蜜を吸いだしました。
こんな近くで見るのは初めてです。
実に巧みです。
それを契機に、本はやめて、のんびりすることにしました。
で、気がついたら眠っていました。
頭がちょっとくらくらします。
このままだと熱中症になりかねません。
温度計は37度を超えていました。

慌てて室内に戻って、水分補給をしたら、どっと汗が出てきました。
それもとても不快な汗です。
さて、午後はどうしましょうか。
室内で昼寝をするか、また屋外での居眠りにするか。

いやいずれもダメですね。
来客があるのを忘れていました。

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2015/07/26

■節子への挽歌2855:生きる意欲を失ったところから生きる力が湧いてくる

節子
今日もうだるような暑さでした。

Kさんから、いつもになく明るい声の電話がありました。
奥さんの退院が決まったそうです。
よかったです。

奥さんが入院中に、Kさんはいろんな体験をされたようです。
ご自身も、一時期、生きる意欲を失いかけていたほどでした。
そして、病院でいろんな人に出会ったようです。
心が弱っていることもあって、いろんなことが心身に響いてきたようです。
それが逆にKさんに「生きる力」を与えたのかもしれません。
いろんな人の生きる苦労がよくわかった、
これから取り組むことが見えてきた、と話してくれました。

頭でわかったことと心身でわかったことは、まるで違います。
頭と心身は、必ずしも同じではないのです。
もしかしたら、別人格かもしれないほどです。
でも、幸いなことに、頭は心身に比較的従順です。
心身でわかったことは、頭もわかってくれるのです。
おそらくKさんのこれからの生き方は、変わっていくでしょう。
私もそうでした。

他者の抱えている問題は、わかりようがありません。
しかし、一度、頭と心身の違いを体験すれば、わからないままにも、他者の置かれている状況への想像力は生まれます。
だから、見守ることはできるようになる。
それが大切なことなのです。
そして、人はみんな、それぞれに問題を抱えているものです。
それへの想像力があれば、他者を無視することはできなくなる。
時には、心が通じ合えることさえ、可能になる。

生きる意欲を失いかけるほどの問題を背負ったことのある人は、そうした想像力を持っています。
だから、他者にも自分にも優しくなれるのです。
メイヤロフが言っていた「ケア」とは、たぶんそういうことなのでしょう。

暑い1日でしたが、ちょっと良い1日でもありました。

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■ちょっとハードなカフェサロンの報告

昨日のちょっとハードなカフェサロンは、うだるような暑さの中を、7人が集まりました。
テーマは、「法と倫理の両面からの「コミュニティ」の団体組織論的な解明」です。
話は、上場企業の財務報告の信頼性と原子力などの安全確保という、2つの身近な話題に関する問題提起から始まりました。
そして、日本のパートナーシップ(組合)法、パートナーシップと団体、コミュニティ、コミュニケーションなどについて、杉本さんは、独自の図解によって、わかりやすく説明してくれました。
杉本さんは、技術者、企業経営者というお立場を経て、50代半ばで会社を譲って法学を学びだし、その後、それらを統合した新しい視点でたくさんの著作を出され、大学でも講義されたり、技術倫理の問題に実践的に取り組んだりしてきています。
今回の発表は、そうした取り組みの結果、行き着いたところですので、そこにこめられた杉本さんの思いは2時間ほどのサロンでは消化しようもありません。
しかし、幸いに、多彩なメンバーが集まったので、その入り口は少しほどけたような気がします。
いつものことながら、話し合いのプロセスに意味がありますので、まとめようもありませんが、杉本さんのメッセージを私なりにまとめると、次の3点になります。
日本における団体組織の研究は、団体中心の論理に偏っていて、個人への視点が希薄だったこと、団体には「所有組織」と「業務執行組織」の2面があるのに、後者への視野がなかったこと、経済学・社会学などのコミュニケーション・ネットワーク論の発展に比べて、法学における取り組みは遅れていること。
そして、それを踏まえて、杉本さんは、冒頭に提出した2つの話題に関して、その意味とこれからの取り組みの方向性を示唆し、大切なのは個人を基点とした業務執行組織をどう設計し管理していくかではないかと締めくくりました。

私にとっての気づきはたくさんありましたが、所有組織に焦点を当てた法学的な議論と業務執行組織に焦点を当てた実際的な議論が、日本においてはいまもってあいまいなままになっていることを、きちんと問い直すことが大切だと強く思いました。
所有組織と執行組織を重ねていく動きは、たとえば、協同労働(ワーカーズコレクティブやソーシャルファーム)という形で、日本でも広がっていますし、アメリカではオープンブックマネジメントのように、実態的にそれらを重ねていこうという試みもあります。
しかし、時代の大きな流れは、むしろ、組織を資本の道具にすること、そして同時にそこに属する人間さえをも、その道具にするという方向に動いてきているように思います。
人を道具や手段としてはいけないというカントの命題は、もはや忘れられようとしています。
その流れに抗うために、組織(アソシエーション)とは何なのか、コミュニティとはなんなのか、を私たちは、改めて議論しなければいけないのではないかと思いました。

ちなみに、話し合いでの話題はいつものように広がり、なぜ福島原発事故が起きたのかとか、倫理とは何か、などといった話にも飛びそうになったりして、議論はなかなか終わらずに、今回も途中で終わった感があります。
しかし、私にはとても刺激的な3時間でした。
そしてまたいくつかの宿題をもらってしまったような気がします。

この続編をぜひまたやりたいと思いますが、どなたか問題提起者になってくれませんか。

20150725_2


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2015/07/25

■節子への挽歌2854:最後の仕事

節子
今日は午後から湯島に行く予定です。
ちょっとハードなカフェサロンというのがありますが、節子もよく知っている杉本さんがスピーカーです。
ところが、昨日から今朝にかけて、3人の参加予定者から急に参加できなくなったとの連絡がありました。
時々、こういうことがあります。
欠席者が重なるのです。
あわてて、フェイスブックで呼びかけを行いました。
まああまり効果はないでしょうが。

杉本さんとの出会いは節子も一緒でしたから、節子がいれば誘ったところです。
その杉本さんも、最後の仕事に取り組みだしています。
「最後の仕事」が見つかった人は幸せなのかもしれません。
たとえ、その仕事が完遂できなくとも、です。
いやむしろ完遂できないほうが、幸せかもしれません。
最後まで前を向けていられたということですから。
それにまた、来世、生まれてくる目標にもなる。

節子は、最後の仕事は持っていたでしょうか。
私が知る限りありませんでした。
節子にとっての最後の仕事は、たぶん私を見送ることだったと思います。
しかし、立場は逆転してしまった。
以来、私は「最後の仕事」を失ってしまったような気がします。
途切れた人生には、最後の仕事など見つかりようもないのです。

最近の私の生き方は、いかようにも正当化できますが、やはり無節操で仕事になっていないというべきでしょう。
ただただ自分の生きる隙間を埋めたいだけなのではないかと言われても反論はできません。

しかし、やはり「最後の仕事」は決めたほうがいいかもしれません。
いつまでも生きてはいけないのですから。
それに世に生をうけた以上、役割が与えられているのですから。

杉本さんもそうですが、先週、湯島に来てくれた京都の高林さんも「最後の仕事」に取り組んでいます。
その活動ぶりは見事としか言いようがありません。
彼女と会って、もう1年近くなると思いますが、半端ではないのです。
杉本さんもそうなのですが。

「最後の仕事」
さて何を最後の仕事にしましょうか。
この夏の課題にしようと思います。

さて、ちょっと早いですが、そろそろ湯島に出かけましょう。
もし3時半からの集まりに来られる人がいたら、飛び入りでぜひお越しください。
杉本さんの最後の仕事に、少しだけですが、触れられるかもしれません。

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■節子への挽歌2853:フィレンツェ

節子
梅雨も明けて、夏が来ました。
今日も朝からうだるような暑さです。
隣の柏では、恒例の「柏まつり」です。
娘の連れ合いの峰行が、お店を休業して、そこに店を出すことになりました。
6年ぶりだそうです。
普段はお店では出せないようなものを出すのだそうで、その料理はもう前から決まっていたようです。
先ほど、これから材料の買い出しだと言って、わが家にも立ち寄りました。
娘も手伝いに行くそうです。
節子がいたら、絶対に行くでしょう。
節子はこういうのが大好きでしたから。

節子がいなくなってから、私はお祭り自体に行かなくなりました。
ハレの場は、私にはあまり居心地のいいものではなくなったのです。
ちなみに、葬儀もまた、ハレの場です。

しかし、今日は本当に湿度も高くて朝から汗がでます。
わが家はほとんどエアコンを使いません。
今夏もまだ一度もエアコンは使用していませんが(必要な場所に設置されていないからでもありますが)、今日はさすがにかけたくなります。
むしろ熱気にこもった祭に行けば、暑さは吹き飛ぶのかもしれません。
家でうじうじしているから、暑いのかもしれません。
しかし、この暑さの中、畑にも行きたくはありません。

ところで、峰行が柏まつりに出店する料理は、フィレンツェの名物ランプレドットのパニーノだそうです。
私は、名前さえも知りませんでしたが。
フィレンツェは、私が行きたかったにもかかわらず、ついに行けずに終わった都市です。
節子は友人たちと行っていますが、節子が描いたフィレンツェの大聖堂の油絵が以前はわが家の玄関に飾られていました。
そういえば、最近は違う絵になっています。
この記事をアップしたら、絵を掛け替えましょう
フィレンツェもヴェニスも、ついに行けずに終わってしまいました。
フィレンツェとヴェニスの風には触れたかったのですが。

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2015/07/24

■新国立競技場のような些末な問題に騙されたくありません

新国立競技場の話は、知れば知るほど、すごい話です。
設計に数十億円かかるという話もすごいですが、契約価格は数倍になるのもよくある話というのも、すごいです。
関係者が、信じがたいほどに無責任というか、責任逃ればかりしているのも、すごいです。
安藤忠雄さんにはもう全くあきれました。
安藤さんに限らず、テレビに出てくる人たちが、みんな他人ごとに語っているのがすごいです。
財政がどんどん膨張していくのは当たり前ですね。
アスリートたちの発言も、私には非常に白々しく感じます。
お金にどっぷりつかった世界にいるとみんなおかしくなるのでしょうか。

まあたかだか2500億円ほどの話なので、私にはどうでもいい話ですが、こうした「瑣末な話題」のおかげで、原発とかTPPとか再軍備とか、憲法無視とかいう大事な話が、軽く扱われてしまうのが、恐ろしいです。
アスリートたちも、そうした大きな謀略に利用されているのか、荷担しているのか、わかりませんが、いい加減にしてほしいと思います。

そもそも私はオリンピックには大反対です。
あれはもう完全に商業化していますから、ローマ時代のサーカスでしかありません。
私にはアスリートへの敬意は全くありません。
ローマ時代の剣闘士ほどにも、私には評価できません。
非難されそうですが、そもそも彼らのスポーツ観と私のそれとはまったく違います。
お金まみれの世界から、なんで抜け出ないのか、私には不思議です。

問題を取り違いたくはないものです。
新国立競技場の問題など、どうでもいい話です。
だから安倍首相は、白紙に戻し、国民の声に耳を傾けているのです。
耳を傾けるべきは、そんな些末な問題に関してではないでしょう。
勘違いしてはいけません。
新国立競技場の問題が、連日テレビで報道されていますが、そうした陰で、大きなものが動いているのが恐ろしいです。
問題の質の違いを、私たちはしっかりと認識すべきではないかと思います。

やはり私たちが一番考えなければいけないのは、原発のもんだだろうと思います。
原発は、軍隊よりも巨大な暴力です。

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■節子への挽歌2852:「出会い」は気づきのためにある

節子
人は、人との出会いで、人生を変えていきます。
どういう人に出会うかで、人生は大きく変わります。
しかし、どんな人に出会うかは、かなり自分で決められます。
通り過ぎずに、出会いを活かせるかどうかは、自分の問題だからです。
人との出会いを一過性のものにするのも、自らの人生につなげていくのも、それは自分の問題です。

出会いの最たるものは、やはり結婚でしょう。
お互いに、相手の人生に全面的にコミットすることですから、論理的に考えたら、とても恐ろしいことでしょう。
非常に特殊な関係であり、むしろ人類の歴史の中では「特殊な関係」というべきかもしれません。
私が生きてきた昭和の時代は、その結婚制度がある意味で理念的に存在できた稀有な時代だったのかもしれません。
私たちが、まさにその時代に生まれたのも、意味があることだったのでしょう。
伴侶の人生に全面的にコミットするのは、やはり主体的な生き方とは矛盾します。
にもかかわらず、私の中ではあまり矛盾を感じていないのはなぜでしょうか。

私はこれまでたくさんの人に会ってきました。
会社時代もそうでしたが、会社を辞めてからは、ある意味では人と会うのが仕事でした。
最初の頃は毎年1000人くらいの人に出会っていたような気がします。
毎月、100枚単位で名刺がなくなっていましたから。
しかし、いまも付き合いがある人は、ほんのその一部です。
しかし、不思議と記憶に残っている人はいるものです。
その人たちは、たぶん私の生き方に影響を与えているのでしょう。
もしかしたら、私と出会ったことで、少し生き方を変えた人もいるかもしれません。

節子と出会わなかったら、私の生き方はどうなっていたでしょうか。
たぶん「失速」していたはずです。
そうならなかったのは、節子が「愚妻」だったからです。
節子は、私に何も期待せず、そのままの私を受容していました。
私が、わがままに自分を生きてこられたのは、節子のそういう姿勢でした。
だから節子がいなくなってから、失速してしまったのは、当然のことなのです。

転勤した若い友人から手紙をもらいました。
「佐藤さんとでの出会いでいろいろな“気づき”を得ました。」
その一言がうれしくて、こんなことを書いてしまいました。

「出会い」は気づきのためにこそあるのです。
そして「別れ」もまた、気づきをたくさん与えてくれます。
「出会い」も「別れ」も、大事にしない最近の風潮がさびしいです。

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2015/07/23

■節子への挽歌2851:湯島の掃除

節子
暑い中を湯島に出てきました。
来客が来る前に、少し早めに来て、部屋の掃除をしました。
考えてみると、この部屋は節子がいなくなってから、あんまり掃除らしい掃除をしてません。
さぞかし汚れていることでしょう。
今日はファブリーズを持参して、まき散らしました。
掃除機が壊れていたので、スティックタイプのものを持ってきましたが、これもまたあまり使い勝手がよくありません。
そもそも私は、掃除が苦手なのです。
困ったものです。

ところで部屋のテーブルとイスは、このオフィスを開いて以来のものです。
なかなか気にいるのがなかったのですが、たしか朝日工業という会社のテーブルとイスが気に入りました。
古くなったので数年前に買い替える予定でしたが、節子の病気で延期になり、そのまま今に至っています。
一脚は壊れ、一脚はカバーに穴があいてしまいました。
さすがに買い替えたいのですが、ネットで調べても同じ商品は出てきません。
新しいものを探せばいいのですが、いまのものを廃棄するのも忍び難いものがあります。
これでも十分大丈夫だよと言われると、ついついその気になってしまいます。
しかし、やはりオフィスはもう少しきれいにしたくなってきました。
少し気分が前向きになってきたのでしょうか。

このオフィスは、いつかみんながシェアするコモンズ空間にしたかったのですが、なかなかそれが実現できません。
集まりの会費で、せめて管理費や光熱費をカバーできればいいのですが、それも難しいのです。
自発的に資金を振り込んでくれる友人が2人いますので、それで回っているのですが、そういう善意にばかりに依存しているわけにもいきません。
みんなでシェアする仕組みも、以前、本郷で試みましたが、見事に挫折したことがあります。
シェアするには、よほどの信頼関係や一体感がなければいけません。
なにしろ金銭が絡むといいことはないのです。

なにか良い知恵はないでしょうか。
そろそろ来客が来そうです。
さて今日はどんな話に出会えるのでしょうか。

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2015/07/22

■節子への挽歌2850:ちょっと早目の土用の丑の鰻

節子
久しぶりに娘たちと鰻を食べました。
娘の誕生日が口実でしたが、みんな体調を崩しているので体力をつける意味もありました。
近くに「西周」という鰻屋さんがあるのですが、そこから出前を頼みました。
最近は昔ほどおいしくありません。
と言っても、わが家には鰻はいささか高価すぎて、そうそう食べられるわけでもありません。
最近は鰻も高くなってしまいました。

鰻はやはり成田の川豊さんがおいしいですが、成田にも最近は行けません。
我孫子にも、小暮屋さんというおいしい鰻屋さんもありますが、ここも最近は行けていません。
なにしろ、できるだけお金を使わないようにしているからです。
先月は小学校時代の友人たちと久しぶりにおいしい鰻屋さんに行きましたが、一人当たり1万円でした。
やはりおいしい鰻は、そのくらいかかることを知りました。
もはや私にはちょっと手が出ない高級料理です。

もっとも、鰻を食べなくなったのは、お金の問題だけではありません。
鰻がだんだん少なくなってきたということでもありません。
先日、知人においしい和食をご馳走になりましたが、その時は、たぶん一人1万円をかなり上回ったと思います。
私自身はお金を出さなかったのですが、それでも、そういう高価なものを食べると、最近は心が痛むのです。
こんな贅沢をしていいのかという罪の意識に襲われるのです。
ですから、鰻を食べるのも、いささか贅沢意識が働き、気が引けるのです。
私が高価な食事をしようがしまいが、誰にも関係ないと思うのですが、何か気が引けるのです。
こういう意識が強くなってきたのは、いつのころからでしょうか。
たぶん会社を辞めて、違う世界が見えてきてからでしょう。
会社時代は、いまから思えば、バブルでした。

最近は、ともかく金銭を使わないようにしています。
まあ収入があまりないのに加えて、節子が残してくれていた貯金を私がちょっと失ってしまったからです。
でもそれは決して不幸なことではありません。
おかげで、お金を使わない生活がやりやすくなったからです。

そんな状況のなかでの鰻だったので、頑張ったものの松竹梅の竹でした。
2500円でしたが、いま一つでした。
先日の1万円の鰻とはだいぶ違いました。
しかし、そう思うこと自体、どこかに矛盾があります。
私はまだバブルの延長で生きているのかもしれません。
鰻を食べられたことに、まず感謝すべきなのでしょう。
もうしばらくは鰻は欲しがらないようにしましょう。
一切れ250円の塩サケにしましょう。
やはり、それが私には向いています。

ちょっと早目の土用の丑の鰻でした。
これでもう夏バテは起こらないでしょう。

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■節子への挽歌2849:引きこもり生活の効用

節子さわやかな朝です。
しかし、今日も暑くなるようです。

最近いささか「引きこもり」がちになっていますが、引きこもっていると、いろんなことに気づかされます。
動きの渦中にいると気づかないことや考えもしなかったことも見えてきます。
もちろん、生きるということの意味も、違う見え方がします。
生きるのに忙しいと、生きることの意味など問うこともないでしょう。
いわば「感性」が磨かれていく。
引きこもりに陥ってしまう若者たちは、たぶん、それによってますます社会への距離感を持ってしまうのかもしれません。

さらに、止まっていると周りで動いている人たちよりも、もしかしたら止まっている自分の方が生き生きしているのではないかという気にさえなります。
動いているけれど、どうも考えていない存在。
つまりロボットに見えてきてしまう。
まあ、これはいささか「言い過ぎ」ですが。

その一方で、生きることの大変さにも気づきます。
みんな周りのことを気にする余裕がないのです。
そもそも、人は国家単位や世界単位で生きているわけではありません。
小さな人間的なつきあいのコミュニティの中で生きている。
しかし、どうやら最近の「コミュニティ」は、生きていくためには広がりすぎている。
付き合う人も増えてきてしまった。
だからきっと周りを気づかう余裕がないのです。
たぶん「生きづらい時代」になっているのでしょう。
自分で「生きづらく」しているのかもしれませんが。

私はフェイスブックをやっていますが、フェイスブックからは世相が見えてきます。
みんな、それぞれに平和なのです。
もちろん、深刻な問題や現状のままでいいのかという呼びかけもある。
しかし、概して平和でのどかな記事が多い。
どうでもいいような記事が多い。
私も、時々、そんなのどかな記事を書き込みます。
人々の暮らしというもののほとんどは、そんな世界でしょう。
そういうことが流され続けている社会は平和に違いない。

でも、と、引きこもっていると感ずるのです。
「小さなコミュニティ」の生活に埋没していていいのだろうか、と。
むしろ、引きこもっているのは、動いている人たちではないのか、と。
引きこもり生活にも、効用はあるのです。

この先は時評編の世界です。

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2015/07/21

■節子への挽歌2848:生とは、多くの死の上に成り立っている

節子
この挽歌の番号は、本来は、節子の命日からの日数になっていなければいけないのですが、2か月ほど、なかなか挽歌を書けない時期があり、大きく食い違ってしまっています。
最近、毎日、複数の挽歌を書いているのは、次の節子の命日までに、番号を一致させたいと思っているからです。
いま1か月分くらい、つまり30以上、番号がずれているのです。
そんなわけで、今日はもうひとつ書くことにしました。

夕方、広島のOさんから電話がありました。
Oさんは、この挽歌を読んでいるので、私の状況は、もしかしたら私よりもわかっているかもしれません。
実は書いている当人が意外と気づいていない行間の真実はたぶん読者には伝わるでしょう。
伝わるというよりも、私自身の混乱に陥っている様や、伝えたいのにはっきりは言えない未練がましさなども、なんとなく伝わるものでしょう。
先日会った人からは、最近なにかよくわからないことを書いていますね、と言われましたが、もしかしたら読者には、その言外のことも伝わっているのかもしれません。
人は、決して嘘はつけないのです。

Oさんからの電話はちょうど畑にまた出かけようと思っていた矢先でした。
どうもOさんにはお見通しのようです。
無理をしないようにと、いろいろとアドバイスを受けました。
夕方の6時を回っていましたが、1時間ほど草刈りなどをしてきました。
Oさんから電話があったせいか大いにはかどりました。

昨日は蟻や蜂に迷惑をかけましたが、今日は少し良いことをしました。
アブラゼミが野草に絡まれて動けなくなっていました。
もしかしたら、時間を間違えて孵化してきたのでしょうか、羽根が少しおかしくうまく飛べないようでした。
このままだと明らかに蟻の餌食になります。
さてどうしたものか。
蟻の巣のないところにある、樹の茂みに移動させて、しがみつかせました。
大丈夫とは保証できませんが、すぐに蟻の餌食になることはないでしょう。
しかし、考えてみると、これは蟻にとっては迷惑以外のなにものでもないでしょう。
やはり畑作業はさまざまな生命に直結しており、多様な考えに気づかせてくれます。
だから元気が出るのかもしれません。
今日はたくさんのバッタの子どもたちにも出会えました。

ところで、昨日、蜂に刺されたところですか、痛みはもうありませんが、今日になって、その周辺がかゆくて仕方がありません。
まあそのくらいの罰は受けなければいけませんが、痛みも辛いですが、かゆみはどうしようもありません。
夜になって、ますますかゆくなってきました。
その上、熱まで持ってきています。
今夜は眠れるでしょうか。
実は今朝、畑に行った時に、蜂の巣を樹から切り落としてきたのです。
その呪いが、いまごろになって効いてきたのかもしれません。

畑作業は、まさに殺生行なのです。
生とは、多くの死の上に成り立っていることがよくわかります。
個体の生死など、瑣末の話なのかもしれません。

挽歌らしからぬ記事になってしまいました。
忘れていた百日草は持ち帰り、節子に供えました。

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■節子への挽歌2847:「墓参り」ではなく「お見舞い」

節子
今日はどうもこれまでで一番暑い日になりそうで、我孫子も猛暑日が予想されていました。
朝、畑に行ってきましたが、陽射しが強くて、早々に戻ってきました。
畑で倒れてしまっては、みんなに迷惑をかけてしまいます。
うっかり供花用の百日草を持ってくるのを忘れてしまいました。
夕方もう一度行きましょう。

お墓参りに行こうかとも思いましたが、これもまた暑さで危険です。
と書いてきて、墓参りと見舞いの話を思い出しました。

内村鑑三は、「墓参り」とは言わずに「お見舞い」と言っていたそうです。
そしてお墓に行くのは、亡き妻と話をするためだったそうです。
病院にお見舞いに行ったら、その相手に話しかけ、話しかけられますが、そんな感じだったのでしょう。
そういえば、私もお墓に行ったら、節子のみならず、両親にも声を出して話しかけます。
あんまり、というよりも、節子や両親から話しかけられたことは記憶にはありません。
しかし内村鑑三は、亡妻や若くして亡くなった娘からしっかりと言葉も聴いていたようです。
それが、内村鑑三の生きる力にもなっていたのでしょう。

「お墓参り」よりお墓に「お見舞い」に行くという方が、私の実感にも合っています。
お墓に行けばよくわかりますが、そこで出会うのは、お墓ではなく、霊魂です。
意識とは無関係に、何かを感ずるのです。
まったく知らない人のお墓であっても、単なる石の造作物とだけ感ずる人は少ないでしょう。
普通の感覚であれば、お墓は粗末には扱えません。
それは、そこに何か目に見えないものを感ずるからでしょう。
そこにはまちがいなく弔われている人たちがいるのです。
お見舞いという言葉が、適切だろうと思います。

誰かが見舞いに行かないとさびしがるでしょう。
そういえば、最近、お墓に行っていません。
困ったものです。
涼しくなったら、やはりお墓にも行こうと思います。
でも今日はますます暑くなりそうです。
節子も両親も、この暑さに負けて、眠り込んでいるということにして、お墓へのお見舞いは、またの日にしましょう。

さてお昼寝の時間です。
今日はともかく休養日なのです。
昨日も、でしたが。

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■節子への挽歌2846:蜂からも蟻からも嫌われてしまいました

節子
昨日は夕方、畑に行きました。
熱中症にならないように、久しぶりに草刈りをしようと思ったのです。
梅雨のため。しばらく草刈りはやめていましたが、この1週間で見事に野草は生い茂るほどになっていました。
野菜の成長の数倍の速さです。

鳥が運んできたタネから育った木が数本あるのですが、その周辺も草が覆い茂っていました。
それでともかく刈り込もうとかまを入れていたのですが、突然、手首が一面にチクチクと痛みに襲われました。
数匹の蜂に刺されたのです。
よく見ると、草を刈っていたところに、あしなが蜂の巣があったのです。
彼らにとっては、突然の乱入者だったわけで、刺されるのは当然の報いです。
幸いにまだ小さな巣で、蜂の数も少なく、巣から離れたら追ってはきませんでしたが、数か所刺されてしまいました。

実はその前には、蟻にも襲われています。
斜面の花壇の野草を取り除いた後に、蟻の巣がたくさんできていたので、ムッとして土を掘り返したら、蟻が手首に群がってきたのです。
蟻にかまれるのも、結構痛いのです。

蟻ならまだよいとして、蜂は少し心配だったので、草刈りを放棄してすぐに帰宅しました。
幸いに大事にはならず、おさまりました。

自然は、共生共存でなければいけません。
しかし、それは現実には難しいものです。
さて、翻って私たちは共生共存していたか。
私のわがままが勝っていたかもしれません。
人はなかなか自らの勝手さに気づかないものです。

今日もまた暑くなりそうです。
暑くなる前に、畑に行って、斜面に花を植えてこようと思います。
ついでに、節子のために百日草の花をもらってきましょう。
百日草はわが家ではあまり人気はなかった気がしますが、暑い時の供花には向いているようです。
それに百日草は、私にはもちろんですが、節子にもきっと懐かしい花でしょう。
私たちが子供の頃は、庭の花の定番の一つでしたから。

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2015/07/20

■ちょっとハードなカフェサロン「団体組織の仕組みの解明」のお誘い

7月のちょっとハードなカフェサロンは、「日本における団体組織の仕組みの解明」というテーマで、杉本泰治さんの問題提起をもとに話し合いをしたいと思います。
杉本さんは、技術者であると同時に、法律にも造詣が深く、またNPO法人科学技術倫理フォーラムを立ち上げて、日本に「科学技術者の倫理」の問題を考える道筋をつけられた方でもあります。

杉本さんのテーマに関する思いを下記します。

●団体組織の仕組みの解明
──「坂の上の雲」を見て日本法は何をしてきたか

司馬遼太郎描く『坂の上の雲』の時代、軍事を担った秋山好古・真之兄弟と同じ世代の人たちが、列強との不平等条約の改正を目標に、西洋法の原理による法制の創設に取り組んだ。民法では、論点の一つに「パートナーシップ」があった。そこを原点として、団体組織の法の基礎理論が育ち、諸分野の団体組織研究を先導するはずのところ、それから百年、そうならなかった。「団体」の概念があいまいなまま、「団体」中心に考え、「個人」の行動に目を向けなかったことが、妨げとなった可能性がある。
人が集合するプロセスのモデル図によって集合の法則性を示し、団体の実体というのは、個人の集合からなるコミュニティにあたること、従来の論議には、団体の業務執行組織の欠落があることなど、団体組織の基本的な仕組みを明らかにする。

このカフェサロンは、「人間を起点とする社会」を話し合おうという視点で始まったものです。
「ちょっとハードな」とあるので、敷居が高く感ずる方もいるかもしれませんが、誰でも歓迎の気楽なサロンです。
コーヒーを飲みに来るくらいの気持ちで、遊びに来てください。
これまで来たことのない人も、もちろん大歓迎です。
みなさんの参加をお待ちします。

○日時:2015年7月25日(土曜日)午後3時半~5時半
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○テーマ:「団体組織の仕組みの解明」
○問題提起者:杉本泰治さん
○スタイル:30~40分ほどの問題提起の話の後、みんなで話し合う。
○会費:500円
○申込・問合せ先:qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌2845:観音の里の高月メロン

節子
滋賀の節子の生家から高月メロンが届きました。
毎年、恒例の高月メロンです。
高月は節子の生家のあるところですが、観音の里と言われているところです。

福井の小浜から奈良の東大寺を結ぶ道は、「観音のみち」と言われます。
琵琶湖の東岸側にはたくさんの観音が祀られています。
それも大きなお寺というよりも、集落単位で住民たちが守っているのです。
井上靖が感動したという、有名な渡岸寺の十一面観音も、私が最初に節子に連れて行ってもらったころは、集落(その集落が渡岸寺という名で、お寺の名前は向源寺です)の住民たちがみんなでお守りしていました。
ですから私が行った時にも、近くの当番の方の家に行って、お堂の扉を開けてもらったような気がします。
観音像もすぐ近くで拝観できました。
その後、何回か場所が変わって、いまは防災完備の部屋に展示、いや、安置されています。
そうなってから、私はもう拝観に行く気が起きず、最近はお会いしていません。

渡岸寺だけではなく、高月の周辺にはたくさんの観音堂があり、さまざまな観音様がいます。
節子と一緒に、そのいくつかを拝観させてもらいましたが、その住まわれ方が私はとても気にいっていました。
しかし、暮らしの中の観音様から拝観される観音様へと、次第に変わっているのでしょう。

話がメロンから観音様に変わってしまいましたが、節子の母方の実家が、高月の唐川というところで、そこにも観音様がいます。
赤後寺と言って、この挽歌でも何回か書きましたが、これも有名な観音様です。
私が最初に対面させてもらったのは、節子の叔父に当たる人がお守りをしている時でした。じっくり対面させてもらいましたが、拝観料はしっかりと納めさせてもらいました。
そのやりとりの中でも、住民のみなさんの思いが伝わってきました。
実に実直で、働き者の叔父でしたが、その人が以前、メロンをつくっていました。
私たちが最初に食べた高月メロンは、その叔父がつくったものでした。

こう書いてしまうと、まあ何でもない話ですが、私たちにはいろんな思い出が山のように込められているのです。
特に節子はそうでしょう。
なにしろ私たちは、それぞれの親の反対を押し切って、同棲し、結婚してしまったのですから。
メロンづくりの叔父は、本家の責任者として、かなり強く反対したはずです。
しかし、メロンをつくりだした頃には、私たちも親戚から認められて、とても親切にしてもらいました。
美味しいメロンもいただきました。
その叔父も、もうだいぶ前に鬼籍に入りました。
しかし、いまも毎年、高月メロンは届くのです。

メロンを節子に供えさせてもらいました。

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■節子への挽歌2844:今日は瞑想日

節子
最近、いささか心身ともに疲労気味でした。
昨日は気の向くままに、ゆったりしていました。
地元の八坂神社の夏祭りでしたが、どこにも行かずに、1日、家で無為に過ごしました。
何しろ暑い日でしたので、熱中症になったら大変ですので。

最近、観られなかった「イタリアの小さな村の物語」も2回分をまとめて観ました。
この番組は、生きることの素晴らしさを教えてくれる、心やすまる番組です。
ついでに、心やすまらないサスペンス映画も観てしまいました。
「消されたヘッドライン」ですが、どうもすっきりしない結末で、心はやすまりません。
毎週やっているホームページの更新を忘れていて、夜になって思い出しました。
あわてて最低限の更新だけを行いました。
久しぶりに夜中までパソコンをやっていました。

今朝は比較的快適に目が覚めました。
疲れはそれなりに残っていますが、だいぶよくなりました。
それでも今週は極力、在宅で休むことにしました。
本も読めそうな気分です。
来週は国会デモにも行けるようになるかもしれません。
その前に病院に行ったほうがいいかもしれません。

人生はいろいろとあります。
私が直面している困難などは、まあ小さなことなのでしょう。
それがさも大きなことに感じられるのは、自分の視野の狭さでしかありません。
今日も1日、瞑想日にしましょう。
自分の問題に内向しそうな視線を、外に向けなければいけません。

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■憲法を守れるのは国民の不断の努力だけ

今日は1冊の本の紹介です。
つい最近出版された「裁判に尊厳を懸ける」(大川真郎著 日本評論社)です。

高校時代だと思いますが、「真昼の暗黒」という映画を観ました。
原作は、正木ひろしの『裁判‐人の命は権力で奪えるものか』で、冤罪事件と騒がれた八海事件を題材にしたものです。
冤罪事件の恐ろしさがリアルに描かれるとともに、ずさんな警察の捜査を告発した内容で、社会派映画の代表的傑作と評判になった映画です。
映画を観た帰り道、ずっと強い怒りから解放されませんでした。
それが、私が「検事」(弁護士ではありません)になろうと思った最初のきっかけでした。
そして、法学部に入学しましたが、いろいろとあって、法曹界への道はやめました。

大学時代の同級生の一人が、この本の著者の大川さんです。
大学を卒業後、久しぶりに会った時には、彼は日本弁護士連合会の事務総長でした。
そして、日本の司法改革に取り組んでいました。
彼に会った直後、大川さんは自分が関わった事件を本にした「豊島産業廃棄物不法投棄事件」を送ってきてくれました。
私の中で、弁護士という仕事の捉え方が少し変わりました。

本書は、その大川さんがこれまで関わった7つの裁判についてまとめた4冊目の著書です。
はしがきで、大川さんはこう書いています。

 長い弁護士生活のなかで、裁判を通して、数々のすぐれて魅力的な人々に出会った。
 虚飾のないたたかいの場で、数々の試練を乗り越えた当事者らのつよい信念、勇気、忍耐、決断、そしてなにより人間性に心を打たれた。

最初に取り上げられている事件は、無実の2青年が権力犯罪と闘った事件です。
読んでいて、まさにあの「真昼の暗黒」を思い出しました。
久しぶりにまた若いころの怒りが全身にこみあがってくるのを感じました。
高校生の頃の思いはどこに置いてきてしまったのかと、いささか自責の念が浮かびました。

つづいて、警察の暴力に職責を守り抜いた弁護士、集団暴力に屈せず職責を貫いた地方議員、大気汚染に立ち上がった市民たち、企業の不利益扱いを許さなかった女性労働者たち、虚偽の医療過誤告発を跳ね返した心臓外科教授、大量に不法投棄された産業廃棄物の撤去を求め続けた島民たち、といった6つの事件記録が続きます。
いずれも「たたかい」を余儀なくされた当事者たちの記録です。
大川さんは、その当事者たちに寄り添いながらも、理性的に事件の顚末とその意味、そして当事者たちの生き方を語っています。

7つの事件に共通しているのは「人間の尊厳」の回復ですが、それだけではありません。
裁判の結果、新たな立法の契機になるなど、「社会の尊厳」もまた守られたのです。
大川さんはこう書いています。

もし、当事者らが裁判に立ち上がらず、人権侵害に屈していたならば、自らが著しい不利益を受けたまま終わっただけでなく、法によって保障された人権そのものが実質的に失われることになったかもしれない。

そして、19世紀のドイツの法律家イェーリングの名著「権利のための闘争」(実に懐かしいです)に言及した後、こう書いています。

わが国の憲法も「この憲法が国民に保障する基本的人権は国民の不断の努力によって保持しなければならない」としている。
人権は常に侵害の危険にさらされている。
人権侵害の不法に対しては、勇敢なたたかいが求められ、そのたたかいが多くの人の棒利を守るだけでなく、権利をさらによりよい方向に生成・発展させることにもなる。

いま、その憲法そのものが危機に瀕している事態が発生していますが、イェーリングが言うように、憲法を守れるのは国民の不断の努力だけなのです。
そして、本書の7つの物語は、その勇気を思い出させてくれるでしょう。
ぜひ多くのみなさんに読んでいただきたいと思います。

http://astore.amazon.co.jp/cwsshop00-22/detail/4535521212

蛇足を付け加えれば、司法界のみなさんにもぜひ読んでほしいものです。
大川さんは、最後にこう書いています。

21世紀において、司法は他の政治権力から独立し、国民の権利、自由、民主主義の担い手として、より信頼され、頼りがいのある存在にならねばならないと思う。

私もそう願いますが、残念ながら現在の司法界は、自らの尊厳を失ってきているように思います。
大川さんは、先の「司法改革」においても大きな役割を果たし、その経緯も詳しく本にまとめられています。
残念ながら、私はその司法改革はあまり共感できませんが(理念を感じられないからです)、法曹界の人たちには、改めて「司法とは何か」をしっかりと考えてほしいと思います。
すみません。まさに蛇足ですね。


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2015/07/19

■節子への挽歌2843:心の拠りどころ

節子
節子もよく知っている、新潟のKさんから電話がありました。
私と同じように、いろんな禍が一挙に襲いかかってきて、精神的にかなりダウンしているようです。
私の声を聞くと、少しは元気が出るようで、電話をかけてきたのです。

Kさんは、いま、かなり八方ふさがりです。
ご自身の体調もそれほどよくないでしょう。
時々、弱気になるようです。
そして、こういう状況になって、いろんなことが分かってきたが、まさか自分がこうなるとは思ってもいなかったと言います。
まさに私と同じです。
時に、もういいかと人生を投げ出したくなるのです。

今日は、宗教について話しました。
Kさんは、これまでどちらかというと、宗教が好きではなかったようですが、もう亡くなられた母上が、信仰していたある宗教の教本を今読みだしたそうです。
Kさんは、私に、新興宗教をどう思うかと訊きました。
私は、新興宗教も含めて、宗教的なものへの帰依や進行は大切なことだと考えています。
人にとって、何が大切かと問われれば、私は経済ではなく、宗教と政治を挙げます。
人の生き方を支えるのが宗教であり、社会の秩序を支えるのが政治だと考えているからです。
もっとも昨今の日本の宗教や政治は、そうはなっていないかもしれませんが、それでもその2つは大切なことだと思っています。

そんな話をしていたら、Kさんも、やはり「心の拠りどころ」を求めているというのです。
その教団の教本は難解ですぐにはわからないが、読んでいると安堵できるというのです。
それこそが、信仰の意味なのでしょう。

Kさんの伴侶はいま、入院されています。
それがいまのKさんにとって最大の問題なのですが、伴侶が入院してしまって身近かにいなくなると、心の拠りどころが見えなくなってしまうのです。
そこで、何か、見えるものとしての心の拠りどころを探し出します。
Kさんは、いまそれに出会いつつある。
その成果、前回よりも状況はたぶん厳しくなっているはずなのに、Kさんの声には力を感じました。
もしかしたら、私の声の方が澱んでいたかもしれません。

心の拠りどころ。
残念ながら、いまの私はまだ出会えていません。


私も宗教の書籍は何冊か読んではいるのですが。

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■節子への挽歌2842:国に身を奉げる

節子
昨日、「女性が中心になって平和を語り合うサロン」を開催しました。
その呼びかけに最初に応じてくれたのが、京都に住む80代半ばの高林さんです。
節子は会ったことはありませんが、それはそれは元気な方です。
彼女が長年取り組んでいる認知症予防ゲームを東日本で広げたいという彼女の熱意に共感して、この数年、ささやかに協力してきました。
何とか彼女との約束は果たせました。

今回は、平和のテーマでの話し合いの集まりでした。
そこで高林さんは、衝撃的な激白しました。
自分は、国家のために身をささげると決意した、見事なまでの「軍国少女」だった、と。
しかも、戦後もその呪縛から抜けることなく、いまなお「個人で戦う戦争」を続けているというのです。
たしかに、そう言われて、これまでの高林さんの活動を考えると、孤軍奮闘の戦いが見えてきます。
そして、それに見事に勝ち抜いてきたのです。
高林さんは、フェイスブックで、「戦争はこんなイビツ人間を作るという、この世への遺言のつもりでした」と書いてきてくれましたが、その深い意味をきちんと受け取れなかったことを反省しています。
ちなみに、高林さんは、イビツどころか、極めてバランス感覚のある誠実な人です。
まあ、かなり頑固ではありますが。
認知症は予防できないと厚生省の役人に呼び出されて怒られても、自らのNPOの名前は「認知症予防ネット」としたのも、そうした反骨精神からです。
高林さんが断言されたように、今や、「認知症予防」が社会的に認められたばかりではなく、「認知症予防ブーム」の観さえあります。

国に身をささげ、結婚もせずに国(社会)のために活動する。
ここで、高林さんが言う「国」とは、社会の理念のようなものだろうと思います。
戦後、食糧難の時にも、子供だったにもかかわらず、親が闇市から手に入れてきたものは食べないと拒否したそうです。
社会のルールに反するのは、当時の高林さんには正義に反することだったのです。
結局、最後は空腹には勝てずに食べてしまい、そのおかげで、生き残れたと本人は言いますが、さぞかし扱いにくい子供だったことでしょう。
どこか、ヒトラーユーゲンを思わせるところがある。
正義や信念は、たしかに人をイビツにしてしまう力を持っているのです。
高林さんは、それを跳ね返しましたが、戦いからは抜け出られなかったのかもしれません。

国に身を奉げる人生を、理念に身を奉げる人生と読み替えれば、イビツどころか、実に豊かな人生に見えてきます。
人の生き方は実に様々です。
しかし、人生を奉げる何かがあるということは、少なくとも幸せなことかもしれない。
これまでの私の考えからは、思いもしない考えですが、そんなことを今回、深く考えさせられました。

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■「みんなの認知症予防ゲーム」ってご存知ですか?

NPO法人認知症予防ネット理事長の高林さんが湯島のサロンに来てくださったので、それに便乗して、夕方、高林さんが広げてきた認知症予防ゲームの実践者を中心にした集まりを持ちました。
メーリングリストで声をかけたら、すぐ15人の定員に達してしまいましたが、結局、18人の過密サロンになってしまいました。
実は、高林さんたちは、これまで「スリーA方式」というタイトルでゲームを広げてきましたが、いろいろと事情があって、今年からは「みんなの認知症予防ゲーム」というタイトルで活動することになりました。
ですから、「みんなの認知症予防ゲーム」と言っても、まだ知らない人がほとんどでしょう。
しかし、数年後には、きっと知っている人も多くなっていることと思います。
なにしろ「みんなの」ものですから。

名前は体を表すというように、ここにはいろんな意味が込められています。
しかし、残念ながら、そこに込められた思いや意味は、なかなか伝わりません。
高林さんの認知症予防ゲームを東日本に広げる役割を引き受けてきた私としても、その趣旨をきちんと実践者に伝えたいと思っていました。
本当は5月末に、こういう場を持ちたかったのですが、いろいろあって、いささか私自身が腰が引け、途中で止めてしまっていたのです。
しかし、今回、これまでゲーム展開に取り組んでいた方々が、みんな集まってくださったので、やっと肩の荷が下りました。

ゆるやかな組織や制度がそろそろ必要な段階になってきていますが、「ゆるやかな仕組み」をつくることほど大変なことはありません。
もう10歳、私が若ければイニシアティブがとれるのですが、いまはその元気がありません。
しかし、きっと今回、集まった中から、誰かが動き出してくれるでしょう。
そうしたら、私にできることも見つかるかもしれません。

ちなみに私の「認知症」の捉え方は、極めてポジティブなのです。
なにしろ私の発想は、世間の常識には大体において反対なものですから。
もちろん「認知症」の方の周辺の人がどんなに大変かはわかってはいますが、まずはポジティブに捉えることを起点にしています。
多くの人が体験するのであれば、死と同じく、ポジティブに捉えなければ、解決策は見えてこないと思っているのです。

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■「女性が中心になって平和を語り合うサロン」の断片的な報告

7月18日午後1時から、安保法案の強行採決への抗議デモが各地で展開されました。
国会前にも6000人(主催者発表)の人が集まったようです。
その同じ時間、湯島で「女性が中心になって平和を語り合うサロン」を開催しました。
なかなか参加者が増えず、タイミングが悪かったなと思っていましたが、
結局、女性7人、男性7人の14人の集まりになりました。
最初に手を挙げてくれたのは80代の女性ですが、このサロンのためにわざわざ京都から参加してくれました。

いつもより長い2時間半を予定していましたが、終わる気配もなく、3時間半を過ぎたところで、打ち切らざるを得ませんでした。
にもかかわらず、議論は拡散し、参加されたみなさんはまだまだ話したりなかったと思います。
この種のテーマは、話し合うことが実に難しいです。
しかし、話し合うことの大切さは、改めてみなさんも感じたと思います。

今日の集まりを直前に知って、わざわざ予定を変えて参加してくださった76歳の女性がいます。
広島近くので体験と戦後、台湾で7年間暮らした時の体験を話してくれました。
京都から来てくれた80代の女性は、自らが「軍国少女」になっていたこと、その生き方の呪縛の中に、いまも生きていることを話してくれました。
その人にとっては、昭和20年8月15日から「本当の戦い」が始まったのです。
そしていまもなお、社会の不条理に対して、個人で戦う戦争を続ける生き方から抜けられずにいると言います。
戦争は人の生き方を決めてしまう「恐ろしさ」があります。
あまりに強烈だったので、その時はうまく消化できずに、話を深めることができずに、後で後悔しました。

もう一人、やはり話したいことがあると言ってこられた女性の方は、戦後の大変さを話してくれました。
そして、戦後、大きく変わったと言われるが、学校教育の基本は何も変わっておらず、戦前とつながっているという指摘をしてくれました。
つまり、相変わらず「自分をしっかりと主張する人」が育っていないということかもしれません。

もっと、人が生きるという視点からの平和が語られると思っていたのですが、そして後から考えると、語られてもいたのですが、進行役の私自身がそれを上手く消化できずに、話が広がってしまいました。
やはりこの問題は、時間をかけて解きほぐしていかないといけないと思いました。
少し若い世代の女性たちは、違った視点で話をしてくれました。
概念的な話ではなく、いまの平和をどう守っていくか、広げていくかです。

男性たちも話し合いに入ったあとは、やはり概念論になりがちでしたが、実践的な学びの場(その方は「ラボ」という表現を使いました)が大切だというところで、生活レベルの平和と政治レベルの平和がつながったようにも感じました。
つまり、平和にとっては「学びの場」が大切だということです。

他にもいろいろと議論はありましたが、遅れてやってきた太田さんが、いつものように爆弾発言をしました。
同じことも視点が違えば、逆に見える。
それを知るだけでも人は変わるはずだと、実際に身体を使って、参加者に体験させてくれました。
太田さんの発言は、たとえば国家の自衛権への疑問(私はあるはずがないと思っていますし、国家の自衛権は人々の生活には無縁なことです)などを含めて、かなり刺激的なものでしたが、時間切れで女性のみなさんのお考えを聴き損ねました。

最後に、では私たちにできることは何かないかという話になりました。
この種の話題を話すことはあまりなかったが、やはりこうしたことをまわりの友人たちと話し合うようにしたいと40代の女性が言ってくれました。
70代の男性は、サロン終了後にですが、考えや立場の違う人と、話し合うことを増やしたいと言ってくれました。
他にもいろんな話はありましたが、それぞれできることをやっていこうという思いは強まったと思います。

デモには参加しませんでした、こういう地味な活動も、たぶんいろんなところで広がっているのでしょう。
次回の戦争反対サロンは学生を主役にしたいと思っていますが、若者たちは、デモの方が好きそうですので、なかなかメンバー集めが難しそうです。


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2015/07/18

■学者の役割と良心

安部首相が、戦後70年の節目に発表予定している「70年談話」に関して、国際政治学者ら74人が「日本が過ちを犯したことは潔く認めるべきだ」とする共同声明を出しました。
またひとつ、学者たちが動き出したことをとてもうれしく感じます。
それらは、いずれも「良心」に従った行動でしょうから。
先の憲法学者の動きもそうですが、そうした動きをマスコミが大きく取り上げるようになったことも、大きな変化のように感じます。

学者の社会的役割は、極めて大きなものがあります。
権力に寄生すれば、権力に大きな力を与えられます。
そして、個人的にも、大きな経済的財と社会的地位を得ることができるでしょう。
しかし、知を活かすことで、権力の方向を正したり、権力の暴走を抑えることもできます。
大きな経済的財は得られないかもしれませんが、社会をより善いものにできるでしょう。
いずれにしろ、学者の役割は大きい。
いつの時代も、知こそ力であり、だからこそ学者の存在があるのです。

問題は、その「知」の活かし方です。
昨今の学者たちの社会的呼びかけには、大きな敬意を感じます。

私が、学者に大きな信頼を寄せたきっかけは、ラッセル=アインシュタイン宣言です。
1955年7月、バートランド・ラッセルとアインシュタインの呼びかけで、11人の科学者がロンドンに集まり、連名で、核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えました。
これが有名なラッセル=アインシュタイン宣言ですが、私が感心したのは、そこからパグウォッシュ会議が生まれ、いまもなお続いていることです。
パグウォッシュ会議は、すべての核兵器およびすべての戦争の廃絶を訴える科学者による国際会議で、毎年、世界各地を回って開催されています。
残念なことに、原子力に関わっている、かなり社会的な視野を持ったエンジニアの方でも、最近はパグウォッシュ会議を知らないことです。
それは、この種の会議が開催されているにもかかわらず、あまり報道されないのと、そこから社会に向けての効果的な情報発信がないからです。
1970年代から80年代にかけては、日本でもかなり報道され話題になっていたような気がします。
まあ、その後、日本は方向を転じて、経済一辺倒に向かうわけですが。
学者も、経済一辺倒に急速に変質した気がします。

福島原発事故を起こした日本で、なぜラッセル=アインシュタイン宣言のような宣言が出されなかったのか。
原発に関わった科学者や技術者は、なぜパグウォッシュ会議ならぬ、フクシマ会議をはじめなかったのか。
いまからでも遅くはありません。
日本の科学技術者はフクシマの現実を踏まえて、新しい宣言をだし、歴史の流れを変える責務があるのではないか。
ちょっと存在感を薄くしているパグウォッシュ会議を刷新できるチャンスにもなるでしょう。

原発再稼働が目前に迫っているのに、科学技術者たちが、だれも共同声明を出そうとしないのが不思議でなりません。
憲法学者や政治学者の良心に基づく行動に、何も感じないのでしょうか。

学者の役割の大きな時代になっていることを、強く認識してほしいです。

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■節子への挽歌2841:昨夜は不快な夜でした

節子
さわやかな朝です。

節子がいなくなってから、私の生活リズムが変わってしまったことがあります。
夜中にどうしても目が覚めてしまうようになったことです。
時に、そこからいろんなことを考え出してしまいます。
そうすると眠れなくなってしまうこともあります。
いつも、朝の寝起きがよくないのです。

節子がいなくなってから、娘たちから変わったと言われることがあります。
物事の判断ミスが多くなったというのです。
たしかにそうです。
その結果、節子が知ったら怒るかもしれないダメッジを受けてしまいました。
それも複数の人からです。
夜中に目が覚めると、どうしてもそのことを思い出してしまう。

節子や家族がよく知っているように、私は、裏切るよりも裏切られるほうがいいという価値観を持っています。
昨日、時評編に来たコメントにも書いたのですが、殺すよりも殺される方がいいという価値観にもつながります。
しかし、自分でも嫌なのですが、最近、裏切られることの悔しさを感ずるようになってしまいました。
あまりにダメッジが大きかったからかもしれませんが、その程度のダメッジは、これまでも無縁だったわけではありません。
なぜ最近、騙されたことにつぶされそうになっているのか。
それは、真夜中に、眠れずに、思考をめぐらしてしまうからです。
夜中に暗闇でひとり思考をめぐらすと、あまりいい方向には向かいません。
節子が隣にいたら、その思考の進行を止めてくれるのでしょうが、誰も止めないとどんどん膨れ上がっていく。

そんなわけで、昨夜はあまり良い夜ではなく、今朝早く起きてしまったのです。
さわやかな朝なのに、気分はあまりさわやかならず、胃がおかしいです。

人の行為は、常に多義的です。
見方によっていかようにも受け取れるものです。
私の「善意の発言」は、しばしば相手を傷つける「悪意の発言」と受け取られます。
一昨日も、その体験をしました。
昨夜、ある人との関係を「騙された」という視点から思い出してみました。
すると、その人の言動は、これまでとは全く逆の意味を持ち出します。
まあ、昨夜はそんなことで、未練がましく、不快な夜を過ごしてしまったのです。


人を100%信頼できることは幸せなことです。
全ての人を100%信頼する生き方は、幸せに通ずるはずです。
しかし、このところ、どうもそうはならないのです。
何が変わったのか。節子がいなくなったからでしょうか。

さて、今日は湯島で2つの集まりがあります。
たぶん30人以上の人が集まるでしょう。
気分を変えて。さわやかさを取り戻さなければいけません。

祖とは台風一過の強い風が吹いています。
しばらく外の風に当たってこようと思います。
今ごろになって眠くなってきましたので。

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2015/07/17

■節子への挽歌2840:伴侶なき人生は巡礼のようなもの

節子
節子も知っているSさんが、会社を辞めて、またサンチャゴ巡礼に出かけます。
Sさんは以前にも歩いていますので、2回目になります。
今回は3か月かけて歩くそうです。

サンチャゴ巡礼に関しては、湯島で一度、サロンを開いたことがあります。
サンチャゴ巡礼の映画を制作したいと考えていた女流俳人の黛まどかさんが、ある人の紹介で湯島にやってきたので、その話を広げるためにサロンをやりました。
節子も、Sさんも、参加しました。
私たちも、いつかサンチャゴ・デ・コンポステーラを夫婦で歩きたいねと話していました。
私が忙しくてゆっくりと時間がとらなかったため、私たちは、四国巡礼さえもできていなかったのです。

そんなこともあって、1年間の休業を考え、毎月恒例のオープンサロンを休むことからはじめて。休業に取り組みだしました。
ところが、その直後の節子の胃がんの発見で、休業は廃業になり、人生の計画は白紙になってしまいました。
結局、四国巡礼も、熊野巡礼も、サンチャゴ巡礼も、実現しませんでした。
もっとも、その後の私は、ある意味ではずっと巡礼路を歩いている気分なのですが。

Sさんは、これまでの巡礼体験から「1グラムでも荷物は軽く、余計なものは紙1枚持たない」という教訓を得ているそうです。
Sさんは、数日おきにハガキをくれるのですが、今日のハガキに、「あるお遍路本の著者は、必要なものを見極めて選別するところから遍路は始まっていると述べていました」と書いてありました。
その意味では、Sさんのサンチャゴ巡礼はもう始まっているのでしょう。

そのハガキを読みながら気づきました。
最近私がリズムを壊したり不調になったり、不幸に襲われたりしているのは、余計な荷物を背負い込んでの巡礼だからなのかもしれません。
「1グラムでも荷物は軽く、余計なものは紙1枚持たない」
サンチャゴに旅立つ前に、Sさんと会っておかねばいけません。

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■節子への挽歌2839:瀬田の夜空を見たことを突然思い出しました

節子
先日、録画していたキトラ古墳の天井に描かれている星座の謎を解く番組を見ました。
それは紀元前に中国で作成された星図がもとになっているようです。
中国ではすでに紀元前200年ごろには、天体図がきっちりと描かれていたようです。
そこには、北斗七星もオリオン座もカノープスも描かれていました。
そして、それがキトラ古墳の天井に正確に描かれていたのです。

星座には、なぜ夢を感ずるのでしょうか。
私たち人類の故郷が、そこにあるからでしょうか。
たぶんそうに違いありません。
番組を見ながら、いろんなことを思いめぐらしました。

そんなことを考えていると、逆に、現世での生は、ほんの一瞬の夢のように感じます。
その「一瞬」にもかかわらず、そこにすべてが凝縮されている。
まさに「インドラの網」ですが、そこに人間の主体性などあるのだろうかという気にもなります。
すべては宇宙が生まれた時に、決まっていたと考えてもおかしくはありません。
節子と一緒に暮らし始めた、滋賀の瀬田の唐橋の近くで、そんな会話をしたような気がします。
あそこからは、星がとてもよく見えました。

そういえば、星空を見なくなってから、もう長いこと経ちます。
星空を見るために、わが家には小さな屋上をつくりましたが、節子とゆっくりと夜空を楽しむことはできませんでした。
節子がいなくなった今は、もちろん、夜空を見に屋上に行くことはありません。
昼間の青い空はいまもなお見るのが好きですが、夜空はあまり見る気にもなりません。
なぜなのでしょうか。
きっとそれには意味があるのでしょう。

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■国民の声、国民の理解

コミュニケーションとは自らが変わることである。
自らが変わることによって、相手との関係を変え、相手を変え、状況を変えていくことである。

これは、私の「コミュニケーション」のとらえ方です。
http://homepage2.nifty.com/CWS/communication1.htm#cc

安保法案が国民に理解されていない、と政府はよく言います。
本当でしょうか。
細かなところは理解されてはいないでしょう。
しかし、その趣旨や狙いはどうでしょうか。
理解されていないのに、賛成や反対の割合は変化するでしょうか。
理解されていればこそ、ここまで反対行動が高まっていると考えることはできないのでしょうか。

政府のいう「国民の理解」は「賛成」を意味しますが、皮肉なことに野党の言う「理解」も、同じ枠組みの中に捉えられがちです。
野党は、まだ説明不足や議論不足などといわずに、「理解が進んだからこその反対の増加」という捉え方で議論すべきだと思いますが、野党もまた与党と同じく、国民を蔑視しているような気がします。
そうでなければ、野党は国会対策よりも、国民との連携に力を注ぐことになるはずです。
自民党と民主党は、基本的には同質だと思わざるを得ません。

説明責任という言葉も、一時はやりました。
説明責任を果たせばいいということではないはずですが、いつの間にか、肝心の問題の是非よりも、説明責任が目的化してしまった感もありました。
本末転倒も甚だしい気がしましたが、どこかで問題の核心が外されることには注意しなければいけません。
「説明」「理解」
そこには、一緒に考えるという姿勢はありません。

新国立競技場の「騒動」に関して、阿部首相は盛んに「国民の声を聴いて」と言い出しました。
原発や安保法案に関してと新国立競技場に関してとは、国民の声の聴き方が違うのでしょうか。
わかりやすい話に、話題の重点が移らなければいいのですが。
今ごろ新国立競技場が話題になること自体に、私はある作為を感じますが。

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■「安保関連法案 まだまだ阻止できる」

安保法案が衆議院を通過しました。
これにどう反応するか。
今朝の朝日新聞の天声人語を読んで反省しました。

「明日の自由を守る若手弁護士の会」の共同代表を務める黒澤いつきさんはフェイスブックに「安保関連法案 まだまだ阻止できます☆」というタイトルの記事を書いたそうです。
まだ参院での審議がある、諦めなくてもいい、というか諦めてはいけない、と
黒澤さんは、採決強行への抗議声明の形にはせずに、「人々が行動を起こすパワーになることを書こうと思った」そうです。
1日で30万を超えるアクセスがあったそうです。

意に反することが起こった時に、3つの対応姿勢が考えられます。
攻撃。諦め。そして希望の確認。
私のこの時評は、最近、前の2つが多いようです。
今回の安保法制強行採決に対してもそうでした。
しかし、そこからは何も生まれない。
天声人語で黒澤さんのことを知って、反省しました。
攻撃的な批判は自己満足でしかなく、諦めは逃避でしかない。
どんなに意に反しようと、やはり前に向けての希望を見つけ維持しなければいけません。
自らの意識を流れに合わせてしまったら、流れに荷担することになる。

たとえば、今朝のNHKのニュースで、安保法案は今国会で成立する公算が強くなったと繰り返し発信していました。
その言葉に嘘はありませんが、何回も聞かされていると、いつの間にか成立することを規定の事実だと受け入れてしまう。
こうやって私たちは、未来までをも決めてしまっているのかもしれません。
暗示にかかってはいけません。
黒澤さんが言うように、「まだ阻止できる」と言うところから、出発することで、力が生まれてくる。
お恥ずかしいことに、それをいつの間にか忘れていたことに気がつきました。
いささか生きることにつかれてしまっていたのかもしれません。

生きるということは、希望を持ち続けて、前に進むことです。
それが難しくなってきているような気がしていましたが、その思い込みをまずは捨てようと思います。
自分が変わらなければ、流れは変わらないでしょうから。
また国会にも出かけようと思い直しました。

安倍政権は倒さなければいけません。
その知恵が生まれてくるかもしれません。

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2015/07/16

■戦争に向かわないように、いま私たちができることを話し合いに来ませんか

今度の土曜日(7月18日)に湯島で「平和を考える女性主役のカフェサロン」を開催します。

今回の安保法案の強行採決には怒りを超えて、悲しさを感じます。
なんでこんな社会になってしまったのでしょうか。
私たち国民は、あまりにバカにされています。
国民はまだ理解していないなどと言われていますが、その言葉にも怒りを感じます。
理解しているからこそ、これほど反対しているのではないのか。

しかし、多くの人が無関心だったことは否めません。
だから今年に入って、毎月、戦争反対カフェサロンをやっています。
ところが女性がやってこない。
それで今回は女性主役にしました。
もとりん男性も参加歓迎ですが、今度はなぜか男性が参加しないのです。
一体どうなっているのでしょうか。
毎回参加していた男性たちがだれ一人手を挙げてくれません。
それでまだ定員に達していません。
湯島にこれまで来たこともない方も大歓迎です。
急ではありますが、よかったら参加されませんか。
もちろん男性でも女性でも、それ以外でも歓迎です。
参加される方は、ご連絡いただければ嬉しいです。

以下、案内文です。

昨今の日本の状況は、じわじわと「戦争」に向かっているような気配があります。
しかし、私たちは「不戦の70年」を過ごしてきたためか、「戦争」を遠いところにおいて考えているような気がします。
思い出すのは、ナチス時代を生きたドイツの牧師、マルティン・ニーメラーの言葉です。
「ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったから何も行動に出なかった。それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをどんどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった。」
私たちは、まだ間に合うでしょうか。
そんな意識のもとに、戦争反対カフェを開催していますが、女性の参加者が少ないのが残念です。
そこでメーリングリストで、女性たちを中心にした平和を考えるカフェサロンを呼びかけたら、4人の方が一緒にやろうと言いだしてくれました。
日程がなかなか合わなかったため、開催が遅れていましたが、ようやく開催できそうです。
思いは、それぞれ違っていますが、ともかく開催したいと思います。
できれば一過性のものではなく、次に続けていければと思っています。
当日は、こんな感じで話し合いができればと思います。
・参加者の女性からのメッセージ(各3~5分ずつの思いの披瀝)
・参加者の男性からの感想(各2~3分)
・話し合い
  今の状況をどう考えるか
  何が問題なのか
  その状況を変えるために何ができるか
  
なお、どうしても後世に伝えておきたい体験談があるという参加者がいるようですので、その方たちの話を聞く時間を加えて、いつものサロンより30分長くしています。
できれば、この話し合いの中から、具体的なアクションプランが生まれてくればと期待しています。
ご参加をお待ちします。
○日時:2015年7月18日(土曜日)午後1~3時半(予定)
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○対象:女性主役としていますが、男性の参加も歓迎です。
ただし発言は女性優先の差別条件ですが。
○テーマ:戦争に向かわないように、いま私たちができること
○会費:500円

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■節子への挽歌2838:こんな時代を見なくてすんだ節子がうらやましい

節子
気が滅入っている中、またTさんから長電話をもらいました。
テーマは、いまの違憲と言われている安保法案についてです。
この種のてーまは、時に1時間を超すので、切り上げたいと思いながらも、ついつい挑発に乗って、長くなってしまいます。
困ったものです。

長電話している余裕がないのだけれど、と嫌みを言うと、Tさんはすかさず、気分転換になるだろうと思っての電話だというのです。
いやはやありがたいことです。
有難迷惑だと言いたいところですが、半分はTさんが言う通りなのです。
たしかにいろんな意味で気分転換になる。

Tさんは、私の友人の中では節子が一番よく知っている一人でしょう。
私以上に不躾なところがあって、ずかずかと人の心に入ってくるですが、嘘をつくことがないので、私も節子も、気が許せるタイプなのです。
お互い不躾なので、時々、絶縁状態になるのですが、まあ1年もすれば、以前と同じになります。
まあお互い、もう先はそう長くないので、まあこれからは絶縁状態にはならないでしょう。
問題は、どちらが先かですが、彼には先に逝ってもらいたくはありません。
私は彼の葬儀にはいかないつもりです。
というか、もうこれ以上、他者の葬儀には行きたくないのです。
だからみなさん、私よりは先に逝かないようにしてください。

私は、誤解されかねませんが、昔から結婚式は嫌いでしたが、葬式は好きでした。
そこに真実があるからです。
葬儀の場に流れている時間が、とても好きだったのです。
その時間は、彼岸ともつながっている。
もちろん過去とも未来ともつながっている。
そんな時間だったからです。

しかし、節子の葬儀のあと、葬式も心やすまる場ではなくなりました。
具体的には説明できないのですが、なんとなく居心地がよくない。
何人かの葬儀に行きましたが、居場所が見つからないのです。
そのため、最近はできるだけ葬儀には行きたくないのです。

安保法制の長電話から葬儀の話になってしまいました。
しかし、テレビを見ていると、日本の平和で豊かな社会も、どうも終わってしまったようです。
こんな時代を見なくてすんだ節子がうらやましいです。
来世は日本には生まれたくありません。
彼岸に行ったら、節子と相談しなければいけません。
たぶん意見は合わないでしょう。

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■節子への挽歌2837:夫婦は元気の泉

節子
国会が荒れています。
安保法案を与党が強行採決したのです。
抗議のために国会周辺には多くの人が集まり、夜になってもどんどん人が集まり、主催者によれば5万人を超えたそうです。
私の知人も何人か参加しているはずです。

今回、私は、一度もデモには参加していません。
いささか罪の意識はあるのですが、どうしても行く気になれません。
特に明白な理由があるわけではありませんが、行く気が出ないのです。
この3年ほどで、私もまた何かが変わってしまった気がします。

節子と一緒に国会デモに参加したのは、イラク派兵に関する時だったような気がします。
節子にとっては初めてのデモでした。
議員会館あたりで、もみくちゃになり、くたくたになって帰ってきました。
次に参加したのは、ピースウォークでしたが、こちらは節子も楽しんでいたようです。
いまから思えば、あの頃はまだ社会もまだまともだったような気がします。
しかし、ニーメラーではありませんが、状況はあっという間に変わってしまった。
「閾値」はもう超えてしまった気がします。
私たち世代は、たぶん「生き方」において失敗したのです。
せめてその認識だけは忘れないようにしようと思います。

それでも、もし節子がいたら、国会に出かけたでしょう。
いまほど、引きこもってはいないでしょう。
伴侶は、お互いに元気を与え合っているのではなく、その関係のなかから、元気が生まれてくるように思います。
夫婦は、まさに元気の泉なのです。
伴侶を喪うと、どうも元気が出てこないのです。
ガンジーが、「どんなに無意味だとわかっていてもやらなければいけないことがある」というような言葉を残していますが、人は一人の世界に入り込んでしまうと、そういう気さえ、起きてこないのです。
伴侶さえいれば、「無意味さ」にも「意味」を感じられるのです。
人は、まさに「関係」の中で、生きていることが、伴侶を喪ってよくわかります。
伴侶以外との関係をもっと構築しておく生き方をしておけば、こうはならなかったかもしれませんが、いまさらどうにもできません。
困ったものです。

どこにでも一緒に出掛ける仲良し夫婦がいますが、きっとあの夫婦も国会に行ったに違いありません。
雨がひどくならなければいいのですが。

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2015/07/15

■すべては決められた通りに

今日は単なる愚痴です。

衆院特別委は、野党側が委員長に詰め寄って抗議している中、まさに怒号の中で安保法案を可決しました。
あまりにもあっけない決まり方でした。
テレビで見ていましたが、閣僚の席に座っている閣僚たちは、あの様子を見ていて何も感じないのかと不思議に思いました。
ある人が、その映像W見ながら、「学級崩壊のようだ」とつぶやいていましたが、まさにそんな感じです。
問題はもはや「安保法案の是非」ではなく、立法のあり方の問題に変わってしまいました。
いや、閣僚の良識の有無といったほうがいいかもしれません。
恥ずかしいと思う閣僚や与党議員はいなかったのでしょうか。

怒号の中で、あんな採決をしてしまう政府に、集団的自衛権の運営を任すことの恐ろしさを感じます。
この採決のスタイルにこそ、これからの紛争解決の進め方が象徴されているようにも思えます。
平和とか話し合いによる解決とか、信頼関係とか、そんなこととは全く無縁の世界の人たちです。
政治に良識が必要だった時代は、もう終わったのかもしれません。

策のない野党側にも、いささか失望します。
乱戦状況の国会の外では、多くの国民がデモをしていました。
野党議員は国会で自民党に話しかけるのではなく、国会を出て、集まった国民にこそ話しかけるべきではないかといつも思います。
問題はもはや「国会議員の仲間内の問題」ではなくなってきています。
国民の熱い思いを糾合すれば、大きな力になるでしょう。
野党はなぜそうしたことを考えないのでしょうか。
いつもそれが不思議です。
野党議員が話しかける相手は国民でなければいけません。
山本太郎さんに期待したい気分にもなりますが、山本さんの姿は最近見えません。

暑いので、国会にも行かずに、自宅でテレビを見ていた私にも嫌悪感を持ちます。
国会に行っても、結局はもう決まっているのだからと、どこかで思っている自分が、最近はどんどん大きくなっています。
そして、その分、こうやって、愚痴をぼやき他者を非難しているわけです。
一番どうしようもない存在かもしれません。

原発も動き出し、TPPで日本文化はさらに壊され、格差拡大のための成長戦略は加速され、無駄な公共投資は一段と増加し、…。
国民主権国家と言われる、この国の方向を決めているのは、一体誰なのでしょうか。

肩身の狭い社会になってきてしまいました。

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■節子への挽歌2836:縁とは不思議なものです

節子
佐々木さん夫妻が訪ねてきてくれました。
韓国で活動されていた奥さんも、この秋にいよいよ帰国されることになりました。

佐々木夫妻とは、不思議なご縁で、夫婦それぞれとお付き合いがあります。
人の縁は、本当に不思議なもので、佐々木憲文さんとは私の友人がやっていたプロジェクトでお会いしたのですが、私たちをつないでくれた友人とは今はもう付き合いがなくなりましたが、憲文さんとはなぜかその後、縁が深まっています。
おふたりと話していて、憲文さんが生活面で私とかなり似ているところがあることがわかりました。
私がいま抱えている問題の原因にもつながる話なのですが、憲文さんも少し似たようなことを体験しているようです。
それは私たちがいずれもいささか「わがまま」な生き方をしていることにつながるのですが。
佐々木さんもそうだったのかと、変な話ですが、少し安堵しました。
それで、何か私たちはつながりを感じてきたのかもしれません。
実のところ、私と憲文さんには、付き合いが深まるはずもない相違点があるのです。
それは、憲文さんは大のお酒好きですが、私は反対の下戸なのです。
酒を楽しまない憲文さんの友は、私だけかもしれません。

佐々木典子さんは、私が応援していた認知症予防ゲームを韓国でいち早く取り上げ、広げてきました。
それを知ったのは、かなりたってからのことですが、その関係で、私は憲文さんとはまったく別ルートで縁ができたのです。
そういうこともあるのです。

佐々木ご夫妻は、東京に一緒に来ることがあると、いつも訪ねてきてくれます。
うれしいことです。
佐々木ご夫妻は節子の見舞いにも来てくれましたし、その後の私のことをとても心配してくれて、いろいろと元気づけをしてくれています。
数年前には韓国にまで招待してくれました。
節子に先立たれて、死んだような生き方をしていた私に元気を出させようとしたのだと思いますが、その恩にあまり報えられずに、韓国滞在中は、たぶん死んだようだったでしょう。
申し訳ないことをしてしまいました。
いまもって、生き生きと生きられずにいますが、佐々木さんたちが韓国まで引っ張り出してくれたおかげで、まあ死んだような状況からは抜け出られました。

佐々木さんたちに限りませんが、そうした人たちに支えられて、もうじき節子の9回目の命日を迎えられそうです。
今年の夏も、あの年のように、暑くなりそうです。


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■節子への挽歌2835:ダックスとの無言の再会

任侠の世界でドラマティックな人生を送っていたダックスが余命宣告を受けて、その通りになりました。
彼のことなので、逆境を跳ね返すかと思っていましたが、どうも無理に無理を重ねていたようです。
福井に帰ると電話してきたのが最後でした。

そしてそろそろ福井に見舞いに行こうかと思いだしたころ、訃報が来ました。
差出人のHさんは私の知らない人でしたが、その文面を見て、すぐに誰かはわかりました。
ダックスが、結婚しようと思うと言っていた人でした。

そのHさんが、ダックスの位牌を持って、訪ねてきました。
福井からやってきたのです。
Hさんから、最後のダックスの様子を聴きました。
最後までダックスらしく生きたようです。
2人の息子さんにも会えたようで、少し安堵しました。
最後のお世話からダックスの見送りまで、Hさんは中心になって頑張ったようです。
さぞかし大変だったことでしょう。
ダックスにはいろんな顔がありましたから。
東京と違って、福井では、彼はそれなりの「顔」でしたから、逆にだれもあまり手を貸してくれなかったのかもしれません。
でもダックスは、福井に帰ったのです。
そして、Hさんのおかげで、ダックスは、少なくとも最後は良い人生だったと思います。
東尋坊近くの日本海に、ダックスはいまは戻ったようです。

ダックスとの付き合いは6~7年でしたが、いろいろなことを気づかせてもらいました。
彼は、生きるためにはさまざまなことをしてきましたが、おそらくすべて後悔はしていないでしょう。
無邪気さと賢さを兼ね備えた人でした。
根が単純なので、嘘も含めてすべてお見通しでしたが、いつも男前を目指していました。
最後の約束は果たしてもらえませんでしたが、それもまあ仕方がありません。
なにしろ急でしたから。

Hさんは、端から見れば、実に献身的です。
位牌を前に、涙が止まらない感じでした。
これだけ悲しんでいる人がいるということだけでも、ダックスは良い人生だったのです。

ダックスの冥福を祈ります。

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2015/07/14

■節子への挽歌2834:2人でいるときの方が「自由」

節子
2つ前の挽歌を読んでくださったpattiさんから、こんなコメントをもらいました。

2人でいるときの方が「自由」でした。 豊かであり、可能性も広がりも無限大のようにさえも思えました。 現実には様々な制約があるにもかかわらず。 心はとても自由だったのです。

私も、そうだったなと思いました。
いまとは比べようもないほど、自由だった。
現実には様々な制約があったのは、私の場合も同じですが、にもかかわらず、なぜか自由だった。
pattiさんが書いているように、まさに「無限大のような自由」だったのです。
いまは、まったく自由ではない。
論理的ではないのですが、それは間違いないことです。
たぶん、世界が違っていたのでしょう。

pattiさんは、時間的自由と書いていますが、私の場合、時間的にも自由は失われて気がしてなりません。
時間の意味が変わってしまった。
時間が未来に向けて広がらないのです。
節子がいた時と今とでは、時間の意味さえ変わってしまったのです。
時間に拘束されて生きる「自分」が消えてしまったのかもしれません。

共に生きることで窮屈になることもある。
しかし、共に生きることで、無限大の自由を得ることもある。
自由とは、実に不思議な概念です。
しかし、2人でいるときの方が「自由」というのは、実に納得できることです。
最近の私の生が、生き生きとしていない理由はそこにあるのかもしれません。
私にはもう「自由」はもどってこないのかもしれません。
いささかさびしい気がします。

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■節子への挽歌2833:人がだんだん信頼できなくなってきています

節子
最近また、私のまわりの時間の速度が早まったようです。
私の体験では、生活内容が希薄になると時間密度が薄くなって速度が速まりますが、逆に生活内容が過密になるとこれまた時間が凝縮されすぎて速度が速まります。
いまの状況は、たぶん前者でしょう。
なにしろこれほど意味のない生活を過ごしていることは、私にはほとんど記憶がありません。
誤解されないように補足すれば、意識が内向しているという意味です。
私の考えでは、「自分一人の完結した世界で生きていること」は存在しないのと同じです。
人は他者と関わることにおいてのみ、生きている、と私は考えています。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、この数週間、かなり自閉化して生きています。
だから時間が早く進み、気づいたら翌日になっている。
それで挽歌もまた書き損ねているわけです。
朝に書こうと決めたものの、朝になるとすぐにいろいろなことが始まり、へこんで気を抜いているとすぐ明日になってしまうのです。
一度、生活のリズムを失ってしまうと、なかなか回復できないものです。

昨日は在宅でしたが、突然に知人が訪ねてきました。
市会議員をやっている人ですが、いつもポストに機関紙を投函してくれている一人です。
彼女も、数年前に伴侶を亡くしましたが、その後も、議員活動を熱心にやっています。
以前一度、我孫子市で若者たちを主役にしたグループを立ち上げようと彼女もいっしょに取り組んだこともありますが、想定していた若者が2人も仕事の関係で転出してしまい、頓挫しました。
先日、街中でお会いして立ち話をしたこともあってか、今回は機関紙投函のついでにチャイムを鳴らしたのでしょう。
昨日はちょっと人に会う気になれずに、引きこもっていたのですが、それもあって、いささか機嫌が悪いまま、いろいろと話しました。
不思議なもので、話すとどうも社会とのつながりでの活動をしたくなってしまう。
そうならないように、人に会うのを抑えているのですが、うまくいきません。

しかし、本気で何かをやろうと思っている人は、ほとんどいません。
かく言う私も、たぶんよそから見たらそう思えるでしょう。
ということは、他者もまた、本当は本気でやろうとしているのかもしれません。
しかし、どうも言葉だけで動きのない人が多すぎます。
裏切られるという意味が、最近少しだけ理解できるようになってきました。
こんな生き方を続けていたら、ますます性格が悪くなりそうです。

完全に信頼できる人が、やはりほしいです。

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2015/07/11

■節子への挽歌2832:2人で一人前

節子
かなり疲労がたまってきています。
昨夜は帰路の電車の中で、一瞬、視界がおかしくなりました。
幸いに座席が空いて座れることが出来、少し休んだら回復しました。
実は、時々ある現象なのです。
ひどい時は1時間ほど続きますが、もう慣れました。
しかし、やはりきちんと降圧剤は飲まなければいけません。

昨日はサロンをやっていましたが、13人の参加者がありました。
今回のサロンは「ちょっと不思議なカフェサロン」です。
発表者は宇賀夫妻。
会社を経営していますが、どこに行くのも2人一緒だそうです。
たしかに湯島に来る時も必ず一緒です。
私たちは2人で一人前ですから、とあっけらかんと話します。

先日の学生からのインタビューで彼らから教えてもらった本を読みだしました、
「現代日本人の生のゆくえ」です。
そこにこんな文章が出てきます。

個々人が自律的に生き、行動していこうとするとき、孤立していては弱い。 「つながり」があってこそ自律が可能になり、意義あるものになるのではないか。 自己喪失や孤独や集団への逃避に陥らないために、人は「つながり」を必要とし、そのことを意識している。 自律的であろうとすればするほど、それを支える「つながり」のあり方をも強く意識するだろう。

とても共感できます。
私が自律的に生きていられたのは、まちがいなく節子のおかげです。
夫婦とは、もしかしたら、自律して生きるための知恵だったのではないかと思うほどです。
そして、節子がいなくなったいま、私の自律性は失われたように思います。

と言っても、そもそも「自律性」とは何なのか。
最近はそれもよくわからなくなってきました。
節子がいたころは、私たちの世界がありました。
だからそこで「自律的に生きている」という感覚があった。
しかし、いまは「私の世界」はあっても「私たちの世界」はない。
私の世界では、「自律」という感覚は得られません。
律する必要もなく、律せられることもないからです。

2人で一人前。
良い言葉です。
実にうらやましい。

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■ちょっと不思議なカフェサロンの報告

昨夜の「ちょっと不思議なカフェサロン」は13人の大人数になりました。
最初に宇賀さんが、農業の意味をわかりやすく話してくれました。
そして、「現代の農地は人にたとえると暴飲暴肉食の人のお腹と一緒だ」と話されました。
農地がそんな状況では農業の先行きには、不安がぬぐえません。
それを解決する一つが、宇賀さんたちが取り組んでいる「ステビア農法」です。
そして、それを広げていく過程で、農業と福祉はつながっていることに気付いたのです。
そしていまは、障害を持つ人も含めて、だれでもが働く場、安心して生きていける場のあるコミュニティづくりに、仲間たちと一緒に取り組んでいます。
ともかく発想も違えば、話題も多岐にわたるので、時間不足でなかなか話を深められなかったのが残念でしたが、それぞれにさまざまな「気づき」があったと思います。

去年の夏、マハラバ村の話をしてくださった増田レアさんも、ちょうど東京に来ていたため、参加してくれました。
http://homepage2.nifty.com/CWS/action14.htm#0809
マハラバ村は私が大学生の頃に出現した、脳性麻痺の人たちの自活コロニーです。
そこから、日本の障害者人権運動が始まったと言ってもいいでしょう。
レアさんは、その創始者の大仏空さんの娘さんです。
いまは山梨で、自然とともにある生活をされています。

農業に関心を持つ人や若者支援や高齢者支援に関わる人など、多彩な人が参加し、宇賀さんたちの構想を広げていくアドバイスもしてくれました。
宇賀さんたちの仲間も2人、飛び入り参加でした。

このテーマは、合宿スタイルで、時間をかけて話し合うのがいいかもしれません。
今度は、宇賀さんたちの農カフェ「OMOしろい」で、自然の中でのサロンを考えたいと思います。
「OMOしろい」の前にはとても自然な谷津田があるのです。
お近くの方はぜひ一度、「OMOしろい」をお訪ねください。
http://noucafeomoshiroi.favy.jp/

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2015/07/10

■節子への挽歌2831:また風景が変わりました

節子
下の家が壊されだしました。
数年前に一人でお住まいだったTさんが亡くなり、空き家になっていました。
節子はTさんと、ささやかなお付き合いがありました。
お手伝いの方とは、節子は仲良しになりました。
私はTさんとはお話したことはありませんが、お手伝いさんとは、節子がいなくなってからもお付き合いがありました。
時ど、私のところにもそうだんにきてくれていましたから。
その方も、故郷の仙台に戻ってしまい、この2年ほどは空き家でした。

庭がとても大きく、わが家はその恩恵を受けていました。
わが家は少し高台なので、その家の緑を楽しめていたのです。
家主がいなくなってから、庭は大きく荒れてしまい、庭の樹木も枯れだしました。
わが家からはその様子がよく見えました。
家主の家族が転居する噂もありましたが、結局、売却され、分割されて戸建ての住宅が何軒か建つのでしょう。
庭の樹木が伐採され、ガスの配管工事が始まりました。

立派だった庭木は、造作もなく伐採されました。
大きな樹木がなくなると、なにやら庭がとても貧相に見えてしまいます。
写真を撮っておけばよかったと思いましたが、手遅れでした。
あの樹木が、あそこまで大きく育つには何年もかかったことでしょう。
しかし、1時間もせずに樹木は切り倒される。
何やら悲しい気がしてなりません。

節子が闘病時代に治療のためにもらっていた枇杷の樹もすべてなくなりました。
お手伝いさんの方と一緒に、枇杷の葉を集めたことが思い出されます。
酸っぱくて食べられずにジャムにしていた夏ミカンの樹も、もうありません。
まもなくここに数軒の家が建つのでしょう。

私がいま野菜を植えている家庭農園は、この庭と隣り合わせています。
これまで、何回か、その庭と畑を行き来する大きな蛇を見たことがあります。
たぶんその大きなお屋敷に住んでいたはずです。
あの蛇もまた居場所を追われて、今度は私のやっている畑に住処を構えるかもしれません。
私自身は、蛇年生まれですが、蛇との相性はよくありません。
さてどうしたものか。

まあそんなことはいいとして、わが家の周囲の景観も少しずつ変わっています。
それは仕方がないことですが、その変化を節子と語り合えないのがさびしいです。

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2015/07/09

■節子への挽歌2830:声をかけること

今日も雨です。
いままさに梅雨の真っただ中。

この週末、湯島でサロンを開きますが、そこで話題提供してくれる宇賀さんからメールが届きました。
そこにこんな文章がありました。

篤農家さんと言われる方々は野菜たちにいつも声かけをすると言います。
「何をしてほしいんだろう。何ができるの?」

宇賀さんは、私のブログを読んでいないと思いますが、まさに昨日、私が書いたことにつながっています。
声をかけることは、認め合うことの出発点です。
そして、宇賀さんもメールで書いていましたが、これは別に野菜に限ったことではなく、人に対しても同様です。

私の1日は、仏壇に向かって節子に声をかけることから始まります。
最近は、ぼやくことも多いのですが、基本は感謝のことばです。
いまある私は、節子のおかげだからです。

前にも書いたことがありますが、仏壇は大きな意味を持っています。
彼岸や亡くなった人を可視化し、実体化してくれるのです。
仏壇に向かって話しかけても、誰も不思議には思わないでしょう。
それに話す立場からも、虚空に向かって話をするよりも、とても話しやすいのです。
そして、声をかけることによって、関係を実感することもできます。

そういえば、最近、「声かけ」をしていない人が増えています。
気になりながら声をかけるのがどうも億劫になってきたり、声をかけても反応が弱いので臆病になったりしているのです。
私自身がもう少し落ち着いたら、また声かけを始めようと思います。
私にも、何かできることがあるかもしれませんし。

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2015/07/08

■節子への挽歌2829:畑で少し元気をもらってきました


節子
しばらく畑に行けなかったのですが、久しぶりに行ったら、キュウリもナスも巨大になっていました。
雨のため、畑作業はできませんでしたが、道沿いの斜面に種を蒔いていた百日草も咲きだしていました。
節子の姉から百日草は強いので、野草に負けないと言われて蒔いたのです。
しかし、あまりに密集させたため、百日草には悪いことをしました。

畑の方は、ジャガイモがもう収穫時です。
我孫子の土壌はメイクインがいいという人のお薦めでそうしたのですが、手入れなど全くしなかったのですが、元気です。
雨が上がったら収穫しようと思います。
節子がいたら、近所の子どもたちを集めて芋掘り大会をやったかもしれません。
そういえば、ここに転居してくる前の家で、隣の空き地にやはりジャガイモを植えて、子どもたちを集めて芋を掘った後、カレーライスをつくってみんなで食べたこともありました。

世間では嫌なことも多いですが、自然は嘘もつきませんし、誠実に応えてくれます。
ただ私と違って、生命力が強すぎます。
ちょっとサボると、野草が土を覆ってしまうのです。
自然には、もう少し思いやりを持ってほしいものです。
年寄りにはかなり酷な作業なのです。

野草を刈るのも結構難しく、ただすべてを一括して刈り取るわけではありません。
差別して申し訳ないのですが、たとえばセイダカワダチ草は容赦なく排除しますし、ワイヤープランツや篠笹は徹底的に根っこから排除します。
名前はわかりませんが、つる草類も排除です。
しかし、今年からハーブ類は残すことにしました。
全ての野草を敵に回すと、勝ち目がないからです。
それで選別しながら刈り取るわけですが、これがまた面倒です。
しかし、野草たちにも敵味方が認識できるように、残すべき種類には、声をかけるようにしています。
草木も人の声を聞き分けることを知っているからです。
これは実際に植物と付き合っていると感じます。
私が残したいと思っている野草は、たぶん頑張ってくれるでしょう。

グラジオラスも咲いていますが、斜面のためかいつも風に倒されています。
それで花のところだけ切り取って、節子に供えることにしています。
最近は見事なグラジオラスを節子も楽しんでいることでしょう。

とまあ、こういうことをしている時は、少し元気になりますが、だからと言って、私の最近の悩ましい問題が解決されるわけではありません。
机に向かって、パソコンを開いても、どうも新しいことに取り組む気が起きてきません。
来週、開催を検討していた集まりも、最終的に止めることにしました。
いつ何が起こるかわからないので、最近はできるだけ自分の時間はフリーにしておこうとしています。
他者の影響を受ける生き方の大変さがよくわかります。

しかし、どんな問題も、つまるところ、その問題の捉え方です。
それが整理できれば、いまの状況から抜け出せるでしょう。
もう少し時間がかかるかもしれませんが、生活のリズムも少しずつ戻りだしてきているような気がします。

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■節子への挽歌2828:「不安のメカニズム」

節子
よくないことが重なる時にはどんどん重なりますが、それも私の身辺だけではなく、周りにまで広がっている気がします。
高校時代の同級生の訃報が届きました。
高校時代は全く交流がなかった人ですが、ある時、私のホームページを読んで湯島にやってきました。
彼女はサイコセラピーの仕事をしていて、その活動を広げたいという相談でした。
時々、交流があり、東日本大震災の後には、現地での活動支援に関する相談にも来ました。
その後、しばらく連絡がなかったのですが、先日、突然の訃報が高校時代のメーリングリストで流れてきました。
最後に会った時も元気そうだったのですが。

他にも2つの訃報が届きました。
私が薄情なのか、感覚を失っているのかわかりませんが、なぜか悲しさは感じません。
良い人生だったのだろうかという、むしろ奇妙に冷めた感覚が浮かんできます。
私自身が、もうある境界を越えてしまったからかもしれません。
人の死を、素直に受け入れられるようになってきている気がします。
この歳になると、訃報に接することは日常的にさえなっていますので、そのせいかもしれません。

いまも死に直面している友人知人もいます。
その一人が、逆に最近の私を心配して昨日電話をくれました。
最近連絡がないが大丈夫かという電話です。
連絡がないと言っても、以前からさほど連絡をしていたことはないはずですが、それがむしろ気になりました。
彼は、数年前に心臓障害で、死を宣告されたそうです。
不安で不安でたまらない。
その時に、一冊の本を読んで、生死へのこだわりから離脱できたそうです。
本を読んだ翌日、医師から全く別人になったようだと言われたそうです。
彼はそこから抜け出て、いまも元気ですが、別の病気でいまも死とは無縁ではありません。
1時間を超える電話をしましたが、どちらがどちらを心配しているのかわからない関係で、しかもいつものように議論になってしまいました。
議論の内容は、現在の政治状況に関して、です。
私たちの世代の男性は、自分のことよりも社会のことが気になりがちなのです。

彼が読んだ本は40年以上前に出版された「不安のメカニズ」(講談社ブルーバックス)でした。
そういえば、その人から節子が借りて読んでいたのを思い出しました。
私も読んでみようと思い、ネット検索したら、絶版で、いまは中古でも12000円以上です。
ちょっと手が出ないので、図書館で探すことにしました。
この種の本がとても人気なのがよくわかりますが、それもまた社会がおかしくなっているからでしょう。

節子はよく知っていますが、私たちは楽観主義者で、あまり「不安」には縁がありません。
特に節子と一緒に暮らしていたころは、不安とは無縁でした。
力を合わせればどんな苦境も楽しくなるくらいの感覚が、私たちにはありました。
節子がいなくなってから、私は「不安」の感覚を知りました。
言葉で知っていた「不安」を、いま実感として受け止められるようになったのです。
そして、もしかしたら「私の不安」はすべて、節子や家族が引き受けてくれていたのかもしれないという気がしてきました。
気づくのが遅すぎたかもしれません。
困ったものですが、気づかないよりはいいだろうと娘から言われています。

まだ不安に満ちた状況から抜けられずにいますが、少しずつ不安との付き合い方はわかってきました。
このところ、胃腸の調子がずっとよくありません。

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■ふるさと納税制度はどう考えてもおかしいでしょう

今朝のテレビで、「ふるさと納税」について、コストパフォーマンス(つまり納税額に対する金銭換算返却率)のランキングが発表されていました。
一番大きなところでは、納税額の60%以上相当の価格の商品がもらえるのだそうです。
しかも、本人の税金そのものの負担は変わりませんので、実際の個人負担額は2000円なのだそうです。
こんなことが許されていいのでしょうか。
税金までもが「市場化」されてしまいました。
しかも低所得で、納税額の少ない人は、この制度は利用できませんから、これは明らかに「金持ち優遇制度」です。
もともと日本人の税金感は、お上に徴収されるというイメージが強いですが、そうしたイメージをますます強めることになりかねません。
いずれにしろ限られたパイの取り合いで、税金そのものの実質的な歳入額は減少しますし、それに伴う行政事務と経費は間違いなく増えています。
損をしているのは国民であり、得をしているのはふるさと納税制度のおかげで利益を上げている一部企業と高所得者です。
本末転倒の、ひどい制度がこれほどまでに広がっている社会には、嫌悪感を禁じ得ません。
みんな「金の亡者」になったのかと思えるほどです。

ある自治体の税務担当部長は、ふるさと納税制度の過熱ぶりには危機感をお持ちでしたが、全国的な「競争状況」のなかで、流れには抗いがたいと嘆いていました。
良識が通ずる社会ではなくなってきたのです。

プレミアム商品券というのもあります。
これはまだ少し許せるかもしれませんが、しかし、その発想も、どこか間違っているような気がします。
一見、住民は得をしたように感ずるかもしれませんが、そのプレミアム相当分は、だれが負担しているのでしょうか。
いうまでもなく、商品券を使いたくても購入できない低所得者が、薄く広く負担しています。
まさに「逆トリックルダウン」機能が働いているのです。
ピクティを持ち出すまでもなく、経済の格差拡大効果は、ますます巧みに制度化されてきています。
ともかく「金銭」をつかって、人を誘導する仕組みが多すぎます。
餌につられて動く家畜のような人間があまりにも多くなったためでしょうか。
私は家畜にはなりたくありませんが、家畜の群れから抜け出すことは至難のことです。

ふるさと納税の最初の趣旨である、故郷のために納税額の一部を回すというのは、私には異論はあります(故郷に貢献したいのであれば、税金とは別に寄付すればいいことですし、そもそも自らが住んでいる地域のためにこそ税金はあるはずです)が、まあ理解はできます。
しかし、ここまで加熱化したふるさと納税制度は、本末転倒もいいところです。
しかし正面から批判する人はいません。
まずは「ふるさと納税」を拒否したいところですが、私は低所得者なので、そもそも利用さえできません。
ですから声を上げるしかありません。

こうしたおかしな制度がどんどん増えているような気がします。
私自身は、カードのポイント制度もまったく理解できません。
騙されているような気がしてなりませんが、これは残念ながらカードを利用するようになってしまっているので、恩恵というか犠牲というかわかりませんが、そこから抜けられずにいます。

昨今の経済は、どう考えても、「経世済民」とは程遠いものになっているように思えてなりません。

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2015/07/07

■節子への挽歌2827:最後まで責任を持つ生き方

節子
節子もよく知っている杉本さんが、ご自分が立ち上げたNPOの最後の総会を湯島で開いてくれました。
NPO法人科学技術倫理フォーラムの「最後の総会」です。
科学技術倫理フォーラムは、杉本さんが立ち上げたNPOで、私も技術者でもないのに理事にさせてもらっています。
杉本さんもご高齢になったので、このNPOを再来年、解散することになり、その「最後の総会」だったのです。
総会は、いつも学士会館で行っていますが、今回は「最後」だというので、杉本さんが湯島で開催することを決めてくださったのです。
とてもうれしい心遣いです。
科学技術倫理の分野で、草分け的な活動をしてきた、志ある技術者のみなさんが集まりました。
とても刺激的な話し合いができました。

しかし、なぜNPOを解散することにしたのか。
ほとんどの人がかなりご高齢になったので、杉本さんは自分が責任を持てるうちに、NPOを解散し、最後の処理までご自分でやろうと決めたのです。
自分で生んだものは自分で責任を持って整理していくというのは、まさに杉本さんらしいやり方です。
後継者の組織を任せることも一時期考えられていましたが、杉本さんのおめがねにかなう技術者は残念ながら見つからなかったのです。
それに、杉本さんが立ち上げたNPOを引き継ぐほどの人は、そうはいないはずです。
最初解散の話を聞いた時、私は少し驚きましたが、すぐに納得できました。

杉本さんには教えられることが少なくありません。
今回も一つ教えられました。
人生の終わり方です。
というと、何か大袈裟ですが、人生の終わりに向けて、身辺整理することの大切さです。
私がほとんど持ち合わせていないものです。
私は、どちらかと言えば、明朝に野山で朽ち果てようと、それで良しとする生き方にあこがれがちなのです。
節子がいない今は、なおのことです。
娘たちにはさぞ迷惑なことでしょうが。

杉本さんは、NPOを完結させるだけではありません。
これまでの活動の総仕上げとして、ある論考を、500頁の大作にまとめる仕事に取り組むそうです。
私は少しだけその構想を聴かせてもらっています。
杉本さん独自に発見をまとめた論考です。
500頁は読むのが大変なのでもう少し短くしてほしいと軽口をたたいても、杉本さんは相手にしてくれません。
なにしろ杉本さんの人生の集大成ですから、杉本さんが500頁は必要だというのであれば500頁が必要なのです。
杉本さんは、そういう人なのです。
私の場合は一言で総括できそうですが。

私よりも一回り年上の杉本さんのエネルギーには驚嘆します。
節子が亡くなった時、どこで聞き及んだのか、すぐにわが家まで来てくださり、「奥さまも同士だから」と言ってくださったことを今も覚えています。
節子は、それを聞いて喜んだはずです。
私たちが杉本さんに出会ったのは、ハワイのキラウエア火山のツアーでした。
あの頃に戻れるものなら戻りたいです。
一緒に行った人たちはかなり鬼籍に入りました。
現役で活躍しているのは、茂木健一郎さんだけです。
当時、茂木さんはまだ高校生でした。
彼がこんなに大活躍するとは、誰もきっと思ってはいませんでした。

未来はだれにもわからないものです。
しかし、杉本さんには、どうも見えているようです。

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■節子への挽歌2826:「佐藤さんの大切にしていることはなんですか?」

節子
相変わらず苦境から抜けられずにいます。
苦境の内容が書けないのもまた辛いところです。
私だけの問題ではないからなのですが。

昨日、東大の大学生たちが3人、湯島にやってきました。
最近交流がある大学院生が、いま、いろんな人の生き方をインタビューしている社会調査の一環で、仲間と一緒に来たのです。
2時間以上にわたって、「佐藤さんの目指す良い社会ってなんですか?」とか「佐藤さんの大切にしていることはなんですか?」などと、いろんなことを質問されました。
メインのインタビュアは、中国から留学している女性でした。
彼女の関心事は「家族」なのだそうです。
それも、人生を共にしあう、ゆるやかなセイフティネットのイメージの家族でした。
血縁にはこだわっていないようです。

佐藤さんにとって奥さんはどういう存在でしたか、とも訊かれました。
久しぶりに、「妻は私の生きる意味でした」と答えました。
答えてからふと思いました。
「生きる意味」がいなくなったのに、なぜ今もなお、生きているのか。
すぐにその答えも頭に浮かんできました。
それは、いまもなお、節子は私の中では存在しているからです。

私のこれまでの人生も話しました。
節子との出会いは詳しくは話しませんでしたが、6畳一間から始まった「神田川」生活やそれぞれ両親に反対されて結婚式も挙げなかったことも話しました。
しかし、節子との別れに関しては、話せませんでした。
話せば今でも涙が出ますので。

彼らからは質問されませんでしたが、彼らが帰った後、私の人生は良い人生なのだろうかと思いました。
少し前であれば、誰にも恥じることのない良い人生だと答えられました。
多くの人に支えられて生きているいまの私の人生は、「良く生きてきた証」だと思いたいのですが、最近はその思いが揺らいでいます。
もしかしたら「生き間違えたのではないか」と言う思いがどこかにあるのです。

しかし、仮にもし「生き間違えた」としても、良い人生だったのでしょう。
自分の人生をしっかりと生きてきたのですから。

大学院生たちからの「佐藤さんの大切にしていることはなんですか?」の問いには、「自分の人生をしっかりと生きること」と答えました。
自分の人生なのですから、良いに決まっているはずです。
生き間違えることもまた、自分の「良い人生」なのです。
この苦境に付き合うことこそが、私の人生なのです。
そう思うと、少し覚悟ができます。

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2015/07/05

■体験したものの責任

なかなか時評も書けなくなっていますが、先日、予告した「体験したものの責任」を書いておこうと思います。

福島の被曝状況をテーマにした先日のサロンの報告で、原発事故被害やそれへの対処法に関してはさまざまな捉え方と選択肢があること、報道やデータもまたさまざまであること、原発そのものに関しても賛否いろいろであることなどを踏まえて、大切なことは各人が自分の問題として主体的に判断し行動することだというところに落ちついたと書きました。
それには私も異論はありません。
しかし、それだけでいいのかというと、やはり違うような気がして、サロンでもその意見を話させてもらいました。
それが、「体験したものの責任」です。

自分の問題として考えた時、原発は禁止すべきだという人とリスクはあるもののやはり原発に依存していきたいという人とに分かれるでしょう。
それに関しては、誰も他者を強制できないかもしれません。
しかし、原発事故を「体験した者」としては、その事故の意味をきちんと他者に伝えていく責任はあると思います。
というのは、原発事故は時間的にも空間的にも、その被害を限定することが出来ないからです。
チェルノブイリ事故からはもう40年近く経過しますが、未だに廃炉は実現できず、消滅した町は決して少なくありません。
原発事故は、決して「個人の問題」ではないのです。
その認識を持たねばいけません。
自らの雇用がなくなるとか、経済的なダメッジを受けるとか、利便性が損なわれるとか、そんなことは「瑣末なこと」です。
そういう発想で、原発を考えるような「利己的な姿勢」は、私には理解しがたいことです。

実際に原発事故の被害を直接体験していない人も多いでしょう。
しかし、福島の実状はかなり報道されています。
その気になれば、その惨状を知ることはできるでしょう。
たとえば、昨日、再放送されていた「廃炉への道」というNHKのドキュメント番組を見た人なら、その事故の意味がわかるはずです。

原発事故を起こしたのは、日本に住む(原発の恩恵を享受してきた)私たちです。
そして、その事故の結果を、さまざまな面で体験しているのも、私たちです。
実際に被爆しなかったとしても、被災して、故郷を失ったり人生を大きく変えたりしてしまった人たちをたくさん知っているはずです。
テレビでは、それでも「元気に頑張っている人たち」が話題になりますが、その陰でどれだけの人が人生を壊され、生命を失っていったことでしょう。
報道されない人たちへの想像力を高めなければいけません。
もし、自分が、そうした立場に置かれたら、どうでしょうか。
低線量被曝を繰り返し、故郷を失い、家族ばらばらになって、仮設住宅暮らしを続けることを想像してみなければいけません。
そういう人の身になっても、やはり原発を続けたいと思うでしょうか。
原発を続けるということは、いつかまたそういう人を生み出すということです。
いつものことながら、また「オメラス」の話を思い出します。
http://homepage2.nifty.com/CWS/heilsham.htm

「体験したものの責任」があるとして、どうやってその責任を果たせるでしょうか。
残念ながら、いまの私にはまだその答えが見つかりません。
いまできるのは、そこから逃げないということだけです。
原発事故は、原発を選択した時にもう決まっていたことなのですから。
結果は従容として受けとめなければいけません。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2011/04/post-6569.html
原発立地地域の住民は、被害者意識だけではなく、加害者意識も持って、「体験したものの責任」も果たさなければいけません。
ちなみに、「原発立地地域の住民」には私も広い意味で含まれることは言うまでもありません。
日本人はすべて含まれなければいけません。
第二次世界大戦と同じく、私たちは被害者ではなく、その前にまず加害者なのです。
それを忘れてはいけません。

ですから私は、福島に限って言えば、気楽に復興支援などという気にはなれません。
私が切望するのは、そうした境遇に陥る人を、これからは出したくないという思いです。
復興よりも、それこそが大切だと思います。
それは被災地の復興ではありません。
原発のない世界に向けての社会の復興です。

アメリカン・ネイティブの社会には「7代先の掟」があるそうです。
http://homepage2.nifty.com/CWS/blog6.htm#7dai
私たちの日本にもあったはずの文化です。
それがなぜなくなってしまったのか。
とても悲しく、実にさびしいです。

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■7月10日の「ちょっと不思議なカフェサロン」に参加しませんか?

先日、ご案内した「ちょっと不思議なカフェサロン」ですが、テーマがいささか大きすぎたせいか、参加者がなかなか集まりません。
それでもう一度、ご案内させてもらいます。

千葉の白井市で、農カフェ「OMOしろい」をやっている宇賀さんご夫妻は、「ステビア農法」(これも魅力的な不思議な農法です)を基本に置いた、安全でおいしい、元気な野菜を全国に広げたいという活動に取り組んでいます。
しかも、そうした取り組みを、障がいを持つ人たちと一緒にやっていこうと考えています。
働き方に関しても新しい挑戦を続け、みんなで新しい企業を楽しく実現していこうとしています。

今回の集まりは、そうした活動に取り組む宇賀さんたちから、「農業と福祉の世界に大きな風を起こそうという構想」を話してもらい、みんなでいろいろと話し合おうという企画です。
テーマはいろいろあります。
「家族」「働き方」「障がい者自立支援」「農業」「食の安全」、そして「コミュニティ」。
どこに重点が行くかは、参加者の関心次第です。
だから「ちょっと不思議」なサロンなのです。

いささか生きにくくなっている現代社会を、少しでも暮らしやすく楽しい社会に変えていきたい。
そのために、誰もが、楽しく、支え合いながら、働き、生きていける「大きな家族」コミュニティを、みんなで一緒につくりたい、というのが宇賀さんたちの願いです。
いまはまだ、その基盤づくりの段階ですが、その構想をみなさんにお話しして、アドバイスをもらったり、一緒に活動に取り組む仲間を広げたり、あるいはさらに構想を広げたりしたいと、宇賀さんご夫妻は考えています。

そんなわけで、ぜひ多くの人に参加していただきたいと思っています。
これまで湯島のサロンに参加したことのない人も大歓迎です。

○日時:2015年7月10日(金曜日)午後6時半~9時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○テーマ:「農業と福祉の世界に大きな風を起こそう」
○問題提起者:宇賀夫妻(「農カフェ「OMOしろい」主宰」
○スタイル:30分ほど宇賀さんたちの構想をお話してもらい、あとはみんなでわいわいがやがや話し合いたいと思います。
○会費:500円

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■節子への挽歌 2825:生きるための「労働」への無関心への反省

節子
昨日も書けませんでした。
何が起こるかわからないので、これからは朝に書こうと思います。
私は基本的に朝型ですが、最近は慢性寝不足で、朝もあまりすっきりしないのですが。

今朝も雨です。畑に行けそうもありません。
今や野草の世界に変わってしまっていそうですが、仕方がありません。
しかし、今年は比較的きちんと手入れをしたので、きゅうりと茄子はたくさんできました。
ミニトマトも、とても甘くておいしいです。
一昨日、敦賀の義姉からも野菜がどっさり届きました。

最近、少しずつですが、私も料理を始めました。
そうやって始めてみると、家事というルーチンワークを毎日きちんとやることの大変さを実感します。
私はずっとこういう支えを妻や娘たちから受けていたのだと感謝の念が強く出てきます。
やはりまだまだ私には気づかないことが山のようにあるのでしょう。

アーレントは、「仕事」や「活動」を、「労働」と分けました。
「労働」とは、人間としての生存に伴う自然的な必要を満たすための者と考えたのです。
どうも私は、アーレントの言う意味での「労働」を節子にまかせっきりにして、自分では誠実に対応してこなかったようです。
それは、私が頭で考えていることと真逆な生き方なのです。
それにさえ、これまで気づかなかったのです。
なにかこれまでの生き方を根底から揺さぶられているような気がします。

今日は、幸いに1日中、在宅です。
心やすらげる1日になることを祈ります。

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2015/07/03

■節子への挽歌2824:なかなかリズムが戻りません

Sさんから、挽歌再開良かったです、というメールまでもらったにもかかわらず、昨日もまた書けませんでした。
何しろたまりにたまっている課題を一つずつこなしているのですが、どうも集中できません。
それに寝不足が続いていて、思考力がありません。
不思議なもので、10分もあればできることも、気分が乗らないとできないものです。
決して時間がないわけでもありません。
体調が悪いわけでもありません。
ただただ、やる気が出てこない。

やる気が出てこないのは、理由があるからです。
山のように大きな心配事があるのです。
日本が戦争に向かって進んでいくのではないか、というような、心配事ではありません。
自分が深刻な病気ではないだろうか、いうような心配事でもありません。
しかし、ともかく、山のように大きな心配事があるのです。

考えてみると、こういうことは以前も全くなかったわけではありません。
しかし、そういう時には、その心配事をシェアしてくれる節子がいました。
だからどんなに大きい心配事も、何とかなったのです。
心配事を一人で背負い込むことの大変さを痛感しています。
いま少しずつシェアしてもらうようにしていますが、これまであまりに節子にシェアしてもらった生き方をしていたためか、それがうまくいきません。

そんなことも含めて、今、これまでの私自身の生き方を問い質しているのです。
山を越えたと思うと、また谷間がやってきます。
人生の試練は、いつになっても終わることはありません。
でも、それが人生なのでしょう。

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■成員に居場所を用意してくれない社会

新幹線車内での焼身自殺事件は衝撃的でした。
また「新しい事件の方法」を解き放ったということに大きな脅威を感じます。
こうやって、人間は新しい「方策」を「やってもいいのだ」と「解禁」してきました。
新しい形の犯罪が行われ、それが世間の目にさらされると、必ず「模倣犯」が生まれます。
というよりも、「そんなことをやってもいいのだ」という「気づき」が生まれるのです。
そうして人類の歴史は、次々と新しい犯罪や事件を生み出してきました。
ですから、私は、新しい犯罪や事件は、あまり報道の対象にしてはいけないと思っています。
いま話題になっている、少年Aの「絶歌」は、出版すべきでもマスコミが取り上げるべきでもないと私は考えています。
林崎さんは、そうした「禁断の扉」をまた一つ開けてしまった気がします。

この事件で、もう一つ思い出したことがあります。
つい最近、友人に勧められて読んだピエール・ブルドューの「資本主義のハビトゥス」です。
この本は、フランスの社会学者ブルドューが、アルジェリアの農村社会が、フランスによる植民地化によって資本主義経済へと移行する過程での農民たちの暮らしの変化を社会調査した結果を踏まえて書かれたものです。
40年近く前の書籍ですが、人々の孤立化が問題になっている、現在の日本の社会を考える上でも、多くの示唆を含んでいます。

そこに次のような記述があります。

農民社会のように、その成員に労働を与える義務をそなえた社会、そして、生産的ないしは営利的な労働を知らず、同時に、労働の希少性も知らず、失業の意識もない社会、そういった社会では、なにかしたいと思う者には、つねにすべきことがあると考えられていて、また、労働は社会的義務とみなされ、怠惰は道徳的過失とみなされているのである。

私の印象に残っていたのは、「成員に労働を与える義務をそなえた社会」という言葉です。
今回事件を起こした林崎さんは、たぶん、いまの社会に「活動の場」、つまり「生きる場」が見つからなかったのでしょう。
彼は決して、「怠惰」ではなかったのではないかと思います。
ただただ「場所」がなかった。
成員に場所を用意してくれない社会。
日本はそんな社会になってしまったのだと、林崎さんはメッセージしてくれているような気がしてなりません。

この「事件」は、日本の社会の現在と未来を、鋭く象徴しているように思えてなりません。

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2015/07/02

■「70年の不戦」その10:私にとっての「平和活動」

不戦サロンの報告をするつもりで、このシリーズを書き出したのですが、途中いろいろあって、最初の思いとかなり違ったものになってしまいました。
サロンでは、他にも「平和活動におけるエンターテイメント要素の大切さ」「男性と女性の考え方や行動の違い」「戦争の原因はすべて経済問題ではないか」「教育の恐ろしさ」「子育てと母親の役割」など、さまざまな論点が出たのですが、時間が経ったため、書こうというモチベーションが出てきません。
それで最後に、「私にとっての「平和活動」」について、書こうと思います。
サロンに参加した女性参加者の宇賀さんは「私にとっての平和活動は、農業であり福祉に取り組むこと」と話されました。
ここに、女性と男性の「戦争や平和」に対するとらえ方の違いが象徴されています。

もう10年ほど昔になりますが、さまざまな市民活動を対象に「平和への結集」を実現する会の準備会が開催されました。
呼びかけ人のお一人は小林正弥さん(政治学者)で、小林さんの人柄と考えに共感して参加させてもらいました。
その時の自己紹介で、私もまた、私の平和活動は「大きな福祉を目指す活動」と話させてもらいました。
その会は、その後、さまざまな活動を展開していますが、私はあまり参加できていません。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2006/01/post_9e20.html

その会の呼びかけで、ピースウォークにも参加しました。
一緒に歩いた小林さん(たまたまその時は最初の参加者は私たち2人だけでした)と、これまでのようなスタイルのデモではなく、楽しいデモにしたいですね、などと話したのを覚えています。
小林さんは、「楽しい平和活動」を提唱していました。
http://homepage2.nifty.com/CWS/katudoubannku2.htm#1223
ピースウォークも次第に音楽やストリートパフォーマンスなどともつながっていきました。

私にとっての平和活動はもう一つあります。
小林さんと知り合ったのは、小林さんたちが出版した『地球的平和の公共哲学』を購読しようという呼びかけを勝手に始めたのが契機になりました。
http://homepage2.nifty.com/CWS/heiwa-net.htm
生活レベルでの平和活動や楽しい平和イベントも、あるいは政治的なデモ活動も大切です。
しかし、それと並行して、事実を解明する専門家の活動を支援していくことも大事です。
専門家の活動の支援とは、その知的成果をきちんと学ぶことです。
事実を知れば、人の言動は変わってきます。
ですから、中途半端にではなく、きちんと学ばねばいけません。

8月に平和学の大御所のヨハン・ガルトゥングが来日するそうです。
http://www.huffingtonpost.jp/kenji-sekine/japan-positive-peace_b_7651094.html
安倍首相の「積極的平和主義」に対して、彼は「私が1958年に考えだした「積極的平和(ポジティブピース)」の盗用で、本来の意味とは真逆だ」と明言しています。
生活における平和活動やデモも大切ですが、人類の蓄積してきた知の世界から学ぶことも大切です。
つまり、私の「もう一つの平和活動」は、できるだけ幅広い読書です。

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2015/07/01

■「70年の不戦」その9:戦争は誰に向けて行われるのか

戦争における「隠された対立構造」は、「支配者と非支配者」です。
決して国家と国家、つまり権力者と権力者の対立が、近代以降の戦争の実体ではありません。
そう考えると、戦争や軍隊や抑止力に関する見え方も違ってくるはずです。

たとえば、軍隊が鎮圧や暴力行使の対象とするのは他国だけではありません。
よく言われるように、戦争ができる軍隊を持つということは、国民を暴力的に支配できるということでもあります。
事実、軍事力は自国の国民に向かって発動されるケースが多いという報告もあります。
しかも、今回の自民党憲法改正案をよく読めば、そういうことが可能になるように書かれています。
戦争は国民を守るためだけではなく、国民を「隷従」させるためにも行われるのです。

前に書いたように、戦争を行うには、戦争に荷担する国民が必要ですが、もし国民が自発的隷従しないようであれば、軍隊がそれを強行できるのです。
このことは、先の戦争における沖縄で起こったことが、実証しています。
集団的自衛権などで使われる「自衛」の概念も、誰が主語なのか、そして「護る」ものはなんなのかをきちんと考えなければいけません。
しかし、いまの時代、それをしっかりと考えている人はいないでしょう。
ほとんどの人は、言葉のマジックにかかってしまい、結局は戦争に向けての動きに荷担してしまいがちです。

戦争とは、所詮はある「対立」をなくしていく方策です。
としたら、戦争につながる「対立構造」を明確にしなければいけません。
そのためには、現在の社会のあり方や経済のあり方を含めて考えなければいけません。

ちなみに、中国が日本に攻めてくるという人がいますが、もし攻めてくるとしたら、それは「中国」ではなくて「中国に住んでいる人」です。
それも「戦争」をしたいと思っている人に操られて、強制された人たちでしょう。
そういう人たちは、「敵」ではなくて「仲間」なのです。
そんなことにさえ気づかないのは、すでに「国家」の隷従者になっている証拠でしょう。
ヘイトスピーチをしている人たちは、まさに「自発的隷従者」として飼いならされた傭兵のように思います。

だんだん言葉が粗雑になってきました。
最近、私自身の心があれているせいなのですが、注意しないといけません。

もう1回だけ書いて、このシリーズは終わりにします。

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■節子への挽歌2823:長いお休みでした

節子
結局、6月の後半は挽歌を書けませんでした。
こんなに長く挽歌を書かなかったのははじめてです。
書けなかった理由は、私に精神的な余裕がなかったからです。
あまりに長く書いていないので、またまた電話までもらってしまいましたが、私自身の体調はそれなりに元気です。

この間、節子を放っておいたわけではありません。
メロンやサクランボや節子の好きなお菓子など、いろんなもので仏壇はにぎわっていましたし、供花もカサブランカや胡蝶蘭などが欠かさずにおかれています。
節子が始めた家庭農園から収穫してきた新鮮な野菜もお供えしていました。
私の般若心経も、簡略版が多かったですが、毎朝、唱えています。
こういう時であればこそ、ゆっくりとお経を唱え、自らと対峙しなければいけないのですが、余裕がなくなるとそれもむずかしくなるものです。

まわりでもいろんなことがありました。
辛い時には、なぜか辛いことが重なり、加えて辛い話が持ち込まれます。
元気であれば、心を込めて聴けるのですが、余裕がないと耳をふさぎたくなることもあります。
他者の嘆きや救いに耳をふさぐことは、もしかしたら自らの嘆きや救いの求めにも耳をふさいでいるのではないかということに気づいたのは、つい最近です。

挽歌は書けませんでしたが、実にいろんなことを考えました。
世界はかなり見えていたつもりでしたが、自分は全く見えていなかったことを思い知らされました。
自らの「愚かさ」はそれなりにわかっていたはずですが、思っていた以上の愚かさでした。
自分も見えない者に、世界が見えるはずはありません。
それで、時評も書けずにいましたが、愚かな者の考えもまた、意味があると思い直して、時評も再開しました。
挽歌もなんとか再開します。

心配してご連絡くださった方々にお詫びします。
節子からの連絡はありませんが。

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