■節子への挽歌2868:樹木葬
節子
湯河原の幕山公園には、死後を意識して自分たちの桜を植える公園があります。
幕山公園は、時々、節子と一緒に行っていました。
私たちの好きな場所で、いろんな思い出があります。
幕山公園に行く途中の家の庭が気にいった節子が、止めるのもきかずに入り込んで、手入れをしていた家人と話し込んでしまったという記憶もあれば、鈴木さんというおじいさんと講演で話したこともあります。
庭に入り込んだ時には、植木までもらってしまい、その花木はいまもわが家に咲いています。
ただし、その桜を植える公園には、ふたりとも関心を持ちませんでした。
前の記事に書いた「永遠葬」の本には、一条さんが実際に取り組んでいる4つのスタイルの永遠葬が紹介されています。
樹木葬、海洋葬、月面葬、天空葬です。
これに関しても、いろいろと思うことはありますが、私が一条さんと知り合ったのは、たぶん「樹木葬」が縁なのです。
最初の縁は、一条さんのお父上の佐久間進さんでした。
いまから30年近く前ですが、ある人が、樹木葬を日本で広げたいと言っていました。
だれも耳を傾けてくれないと嘆いて、私のところにやってきました。
それとはまったく別件で知り合った、佐久間進さんに、その話をしに行ったのが、私がサンレー(現在は一条さんが社長です)を訪問した最初でした。
樹木葬の話はさせてもらいましたが、当時はまだあまり興味を持ってもらえませんでした。
私も自分のプロジェクトではないので、その話はそれで終わったのですが、なぜかその後、息子さんである一条真也<佐久間庸和)さんとのお付き合いが深まりました。
そのあたりの経緯は、いまは全く思い出せないのですが。
私が最初に一条さんの才気に魅了されたのは、対談集「魂をデザインする」でした。
一条さんが送ってきてくれたのだと思います。
以来、新しい本を書くと、一条さんはいつも送ってきてくれます。
節子が亡くなった直後は、私には読めない本もありました。
いまはもう大丈夫ですが、一時は私自身が極度に心が痛んでいたのです。
ところで樹木葬ですが、それを主張していた友人は、数年前に亡くなりました。
私より一回りも年上で、私よりも数回りもロマンチストの夢追い人でした。
夢を追いすぎて、離婚し、最後は館山に転居し、孤独死でした。
その人は節子のファンでした。
節子とその人は、どちらが先に逝ったのでしょうか。
どうもそういう記憶が、私にはとても苦手なのです。
樹木葬か海洋葬が、節子が亡くなる前の私たちの選択肢でした。
しかし、節子は最後になって、通常の葬儀を希望しました。
私も、それに付き合うことになりました。
いまから考えると、よかったと思います。
私たちが考える樹木葬や海洋散骨は、たぶん現在行われている者とは違うような気がするからです。
どこが違うのか、あまり明確には話せませんが、そんな気がします。
一条さんのもう1冊の新著、「唯葬論」を読んだら、整理できるかもしれません。
樹木葬という言葉で、幕山公園を思い出したので、もうひとつ書いてしまいました。
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