■節子への挽歌2855:生きる意欲を失ったところから生きる力が湧いてくる
節子
今日もうだるような暑さでした。
Kさんから、いつもになく明るい声の電話がありました。
奥さんの退院が決まったそうです。
よかったです。
奥さんが入院中に、Kさんはいろんな体験をされたようです。
ご自身も、一時期、生きる意欲を失いかけていたほどでした。
そして、病院でいろんな人に出会ったようです。
心が弱っていることもあって、いろんなことが心身に響いてきたようです。
それが逆にKさんに「生きる力」を与えたのかもしれません。
いろんな人の生きる苦労がよくわかった、
これから取り組むことが見えてきた、と話してくれました。
頭でわかったことと心身でわかったことは、まるで違います。
頭と心身は、必ずしも同じではないのです。
もしかしたら、別人格かもしれないほどです。
でも、幸いなことに、頭は心身に比較的従順です。
心身でわかったことは、頭もわかってくれるのです。
おそらくKさんのこれからの生き方は、変わっていくでしょう。
私もそうでした。
他者の抱えている問題は、わかりようがありません。
しかし、一度、頭と心身の違いを体験すれば、わからないままにも、他者の置かれている状況への想像力は生まれます。
だから、見守ることはできるようになる。
それが大切なことなのです。
そして、人はみんな、それぞれに問題を抱えているものです。
それへの想像力があれば、他者を無視することはできなくなる。
時には、心が通じ合えることさえ、可能になる。
生きる意欲を失いかけるほどの問題を背負ったことのある人は、そうした想像力を持っています。
だから、他者にも自分にも優しくなれるのです。
メイヤロフが言っていた「ケア」とは、たぶんそういうことなのでしょう。
暑い1日でしたが、ちょっと良い1日でもありました。
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