■節子への挽歌2841:昨夜は不快な夜でした
節子
さわやかな朝です。
節子がいなくなってから、私の生活リズムが変わってしまったことがあります。
夜中にどうしても目が覚めてしまうようになったことです。
時に、そこからいろんなことを考え出してしまいます。
そうすると眠れなくなってしまうこともあります。
いつも、朝の寝起きがよくないのです。
節子がいなくなってから、娘たちから変わったと言われることがあります。
物事の判断ミスが多くなったというのです。
たしかにそうです。
その結果、節子が知ったら怒るかもしれないダメッジを受けてしまいました。
それも複数の人からです。
夜中に目が覚めると、どうしてもそのことを思い出してしまう。
節子や家族がよく知っているように、私は、裏切るよりも裏切られるほうがいいという価値観を持っています。
昨日、時評編に来たコメントにも書いたのですが、殺すよりも殺される方がいいという価値観にもつながります。
しかし、自分でも嫌なのですが、最近、裏切られることの悔しさを感ずるようになってしまいました。
あまりにダメッジが大きかったからかもしれませんが、その程度のダメッジは、これまでも無縁だったわけではありません。
なぜ最近、騙されたことにつぶされそうになっているのか。
それは、真夜中に、眠れずに、思考をめぐらしてしまうからです。
夜中に暗闇でひとり思考をめぐらすと、あまりいい方向には向かいません。
節子が隣にいたら、その思考の進行を止めてくれるのでしょうが、誰も止めないとどんどん膨れ上がっていく。
そんなわけで、昨夜はあまり良い夜ではなく、今朝早く起きてしまったのです。
さわやかな朝なのに、気分はあまりさわやかならず、胃がおかしいです。
人の行為は、常に多義的です。
見方によっていかようにも受け取れるものです。
私の「善意の発言」は、しばしば相手を傷つける「悪意の発言」と受け取られます。
一昨日も、その体験をしました。
昨夜、ある人との関係を「騙された」という視点から思い出してみました。
すると、その人の言動は、これまでとは全く逆の意味を持ち出します。
まあ、昨夜はそんなことで、未練がましく、不快な夜を過ごしてしまったのです。
人を100%信頼できることは幸せなことです。
全ての人を100%信頼する生き方は、幸せに通ずるはずです。
しかし、このところ、どうもそうはならないのです。
何が変わったのか。節子がいなくなったからでしょうか。
さて、今日は湯島で2つの集まりがあります。
たぶん30人以上の人が集まるでしょう。
気分を変えて。さわやかさを取り戻さなければいけません。
祖とは台風一過の強い風が吹いています。
しばらく外の風に当たってこようと思います。
今ごろになって眠くなってきましたので。
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