■学者の役割と良心
安部首相が、戦後70年の節目に発表予定している「70年談話」に関して、国際政治学者ら74人が「日本が過ちを犯したことは潔く認めるべきだ」とする共同声明を出しました。
またひとつ、学者たちが動き出したことをとてもうれしく感じます。
それらは、いずれも「良心」に従った行動でしょうから。
先の憲法学者の動きもそうですが、そうした動きをマスコミが大きく取り上げるようになったことも、大きな変化のように感じます。
学者の社会的役割は、極めて大きなものがあります。
権力に寄生すれば、権力に大きな力を与えられます。
そして、個人的にも、大きな経済的財と社会的地位を得ることができるでしょう。
しかし、知を活かすことで、権力の方向を正したり、権力の暴走を抑えることもできます。
大きな経済的財は得られないかもしれませんが、社会をより善いものにできるでしょう。
いずれにしろ、学者の役割は大きい。
いつの時代も、知こそ力であり、だからこそ学者の存在があるのです。
問題は、その「知」の活かし方です。
昨今の学者たちの社会的呼びかけには、大きな敬意を感じます。
私が、学者に大きな信頼を寄せたきっかけは、ラッセル=アインシュタイン宣言です。
1955年7月、バートランド・ラッセルとアインシュタインの呼びかけで、11人の科学者がロンドンに集まり、連名で、核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えました。
これが有名なラッセル=アインシュタイン宣言ですが、私が感心したのは、そこからパグウォッシュ会議が生まれ、いまもなお続いていることです。
パグウォッシュ会議は、すべての核兵器およびすべての戦争の廃絶を訴える科学者による国際会議で、毎年、世界各地を回って開催されています。
残念なことに、原子力に関わっている、かなり社会的な視野を持ったエンジニアの方でも、最近はパグウォッシュ会議を知らないことです。
それは、この種の会議が開催されているにもかかわらず、あまり報道されないのと、そこから社会に向けての効果的な情報発信がないからです。
1970年代から80年代にかけては、日本でもかなり報道され話題になっていたような気がします。
まあ、その後、日本は方向を転じて、経済一辺倒に向かうわけですが。
学者も、経済一辺倒に急速に変質した気がします。
福島原発事故を起こした日本で、なぜラッセル=アインシュタイン宣言のような宣言が出されなかったのか。
原発に関わった科学者や技術者は、なぜパグウォッシュ会議ならぬ、フクシマ会議をはじめなかったのか。
いまからでも遅くはありません。
日本の科学技術者はフクシマの現実を踏まえて、新しい宣言をだし、歴史の流れを変える責務があるのではないか。
ちょっと存在感を薄くしているパグウォッシュ会議を刷新できるチャンスにもなるでしょう。
原発再稼働が目前に迫っているのに、科学技術者たちが、だれも共同声明を出そうとしないのが不思議でなりません。
憲法学者や政治学者の良心に基づく行動に、何も感じないのでしょうか。
学者の役割の大きな時代になっていることを、強く認識してほしいです。
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