■ふるさと納税制度はどう考えてもおかしいでしょう
今朝のテレビで、「ふるさと納税」について、コストパフォーマンス(つまり納税額に対する金銭換算返却率)のランキングが発表されていました。
一番大きなところでは、納税額の60%以上相当の価格の商品がもらえるのだそうです。
しかも、本人の税金そのものの負担は変わりませんので、実際の個人負担額は2000円なのだそうです。
こんなことが許されていいのでしょうか。
税金までもが「市場化」されてしまいました。
しかも低所得で、納税額の少ない人は、この制度は利用できませんから、これは明らかに「金持ち優遇制度」です。
もともと日本人の税金感は、お上に徴収されるというイメージが強いですが、そうしたイメージをますます強めることになりかねません。
いずれにしろ限られたパイの取り合いで、税金そのものの実質的な歳入額は減少しますし、それに伴う行政事務と経費は間違いなく増えています。
損をしているのは国民であり、得をしているのはふるさと納税制度のおかげで利益を上げている一部企業と高所得者です。
本末転倒の、ひどい制度がこれほどまでに広がっている社会には、嫌悪感を禁じ得ません。
みんな「金の亡者」になったのかと思えるほどです。
ある自治体の税務担当部長は、ふるさと納税制度の過熱ぶりには危機感をお持ちでしたが、全国的な「競争状況」のなかで、流れには抗いがたいと嘆いていました。
良識が通ずる社会ではなくなってきたのです。
プレミアム商品券というのもあります。
これはまだ少し許せるかもしれませんが、しかし、その発想も、どこか間違っているような気がします。
一見、住民は得をしたように感ずるかもしれませんが、そのプレミアム相当分は、だれが負担しているのでしょうか。
いうまでもなく、商品券を使いたくても購入できない低所得者が、薄く広く負担しています。
まさに「逆トリックルダウン」機能が働いているのです。
ピクティを持ち出すまでもなく、経済の格差拡大効果は、ますます巧みに制度化されてきています。
ともかく「金銭」をつかって、人を誘導する仕組みが多すぎます。
餌につられて動く家畜のような人間があまりにも多くなったためでしょうか。
私は家畜にはなりたくありませんが、家畜の群れから抜け出すことは至難のことです。
ふるさと納税の最初の趣旨である、故郷のために納税額の一部を回すというのは、私には異論はあります(故郷に貢献したいのであれば、税金とは別に寄付すればいいことですし、そもそも自らが住んでいる地域のためにこそ税金はあるはずです)が、まあ理解はできます。
しかし、ここまで加熱化したふるさと納税制度は、本末転倒もいいところです。
しかし正面から批判する人はいません。
まずは「ふるさと納税」を拒否したいところですが、私は低所得者なので、そもそも利用さえできません。
ですから声を上げるしかありません。
こうしたおかしな制度がどんどん増えているような気がします。
私自身は、カードのポイント制度もまったく理解できません。
騙されているような気がしてなりませんが、これは残念ながらカードを利用するようになってしまっているので、恩恵というか犠牲というかわかりませんが、そこから抜けられずにいます。
昨今の経済は、どう考えても、「経世済民」とは程遠いものになっているように思えてなりません。
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