■節子への挽歌2859:私を受け止めてくれる空気
節子
1日挽歌を3つ書こうと決めましたが、なかなか難しいものです。
しかし、そうしないと次の命日までに追いつかないのです。
日数と表示番号がずれていると、どうも落ち着きません。
数日前にもらったメールのことを書くことにします。
節子にも喜んでもらえるでしょう。
挽歌でも書いたかもしれませんが、以前、突然メールをもらい、返信したら、すぐに湯島に来てくださった方がいます。
遠くに住んでいる方です。
しかし、その時には、ある集まりに参加する形だったので、ゆっくりとお話はできませんでした。
それでも、少しだけお話しました。
その後、連絡がなくなり、私自身もちょっと余裕のない状況になってしまっていました。
その方から、久しぶりにまたメールが届いたのです。
いろいろと大変な状況のようです。
しかし、彼女は、こう書いてきてくれました。
いつか私の話を聞いて頂きたいですし、 それを許して下さりそうな佐藤様の存在を心強く思っております。 湯島のあの場所に行けば、 この私を受け止めて下さる空気が待っている、と勝手に思っております。
節子と一緒に、そういう場所をつくりたかったのです。
しかし、節子がいなくなったために、それは難しいかなと思ってしまっていたのです。
夫婦だと相手は安心するでしょう。
それに私は、人の話を聞くよりも、話をしてしまう傾向があるのです。
しかも、その話し方があまりうまくないのです。
思ったことを、ともかくそのまま話してしまうのです。
節子と2人であれば、お互いに補い合いながら、役割分担できますし、第一、相手との距離感がとりやすいのです。
どちらかというと、私は相手に入り込んでしまいすぎますので、危ないのです。
事実、節子がいなくなってから数回失敗しています。
だから、人に会うのもほどほどにしようかと思い始めていたのです。
しかし、このメールには、「湯島のあの場所に行けば、この私を受け止めて下さる空気が待っている」と書かれています。
これは、私が目指していることなのです。
正しくは、「目指していたこと」です。
あまりに騙されることが多いので、もうやめようかと思いだしていたのです。
でもこう思っていてくれる人がいるのであれば、やめるわけにはいきません。
何とかもう少し湯島は維持しようと思い直しました。
最近は、自分の問題もあって、あまり湯島には出かけていないのですが、8月からはもう少し湯島に行くようにしようと思います。
話をしたい方がいたら、どうぞお越しください。
雑談相手くらいにはなれるでしょう。
それに、実は、湯島のオフィスに行けば、私自身も何か落ち着くのです。
節子がどこかにまだいるのかもしれません。
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