« ■節子への挽歌2854:最後の仕事 | トップページ | ■節子への挽歌2855:生きる意欲を失ったところから生きる力が湧いてくる »

2015/07/26

■ちょっとハードなカフェサロンの報告

昨日のちょっとハードなカフェサロンは、うだるような暑さの中を、7人が集まりました。
テーマは、「法と倫理の両面からの「コミュニティ」の団体組織論的な解明」です。
話は、上場企業の財務報告の信頼性と原子力などの安全確保という、2つの身近な話題に関する問題提起から始まりました。
そして、日本のパートナーシップ(組合)法、パートナーシップと団体、コミュニティ、コミュニケーションなどについて、杉本さんは、独自の図解によって、わかりやすく説明してくれました。
杉本さんは、技術者、企業経営者というお立場を経て、50代半ばで会社を譲って法学を学びだし、その後、それらを統合した新しい視点でたくさんの著作を出され、大学でも講義されたり、技術倫理の問題に実践的に取り組んだりしてきています。
今回の発表は、そうした取り組みの結果、行き着いたところですので、そこにこめられた杉本さんの思いは2時間ほどのサロンでは消化しようもありません。
しかし、幸いに、多彩なメンバーが集まったので、その入り口は少しほどけたような気がします。
いつものことながら、話し合いのプロセスに意味がありますので、まとめようもありませんが、杉本さんのメッセージを私なりにまとめると、次の3点になります。
日本における団体組織の研究は、団体中心の論理に偏っていて、個人への視点が希薄だったこと、団体には「所有組織」と「業務執行組織」の2面があるのに、後者への視野がなかったこと、経済学・社会学などのコミュニケーション・ネットワーク論の発展に比べて、法学における取り組みは遅れていること。
そして、それを踏まえて、杉本さんは、冒頭に提出した2つの話題に関して、その意味とこれからの取り組みの方向性を示唆し、大切なのは個人を基点とした業務執行組織をどう設計し管理していくかではないかと締めくくりました。

私にとっての気づきはたくさんありましたが、所有組織に焦点を当てた法学的な議論と業務執行組織に焦点を当てた実際的な議論が、日本においてはいまもってあいまいなままになっていることを、きちんと問い直すことが大切だと強く思いました。
所有組織と執行組織を重ねていく動きは、たとえば、協同労働(ワーカーズコレクティブやソーシャルファーム)という形で、日本でも広がっていますし、アメリカではオープンブックマネジメントのように、実態的にそれらを重ねていこうという試みもあります。
しかし、時代の大きな流れは、むしろ、組織を資本の道具にすること、そして同時にそこに属する人間さえをも、その道具にするという方向に動いてきているように思います。
人を道具や手段としてはいけないというカントの命題は、もはや忘れられようとしています。
その流れに抗うために、組織(アソシエーション)とは何なのか、コミュニティとはなんなのか、を私たちは、改めて議論しなければいけないのではないかと思いました。

ちなみに、話し合いでの話題はいつものように広がり、なぜ福島原発事故が起きたのかとか、倫理とは何か、などといった話にも飛びそうになったりして、議論はなかなか終わらずに、今回も途中で終わった感があります。
しかし、私にはとても刺激的な3時間でした。
そしてまたいくつかの宿題をもらってしまったような気がします。

この続編をぜひまたやりたいと思いますが、どなたか問題提起者になってくれませんか。

20150725_2


|

« ■節子への挽歌2854:最後の仕事 | トップページ | ■節子への挽歌2855:生きる意欲を失ったところから生きる力が湧いてくる »

お誘い」カテゴリの記事

社会時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/61958767

この記事へのトラックバック一覧です: ■ちょっとハードなカフェサロンの報告:

« ■節子への挽歌2854:最後の仕事 | トップページ | ■節子への挽歌2855:生きる意欲を失ったところから生きる力が湧いてくる »