■節子への挽歌2847:「墓参り」ではなく「お見舞い」
節子
今日はどうもこれまでで一番暑い日になりそうで、我孫子も猛暑日が予想されていました。
朝、畑に行ってきましたが、陽射しが強くて、早々に戻ってきました。
畑で倒れてしまっては、みんなに迷惑をかけてしまいます。
うっかり供花用の百日草を持ってくるのを忘れてしまいました。
夕方もう一度行きましょう。
お墓参りに行こうかとも思いましたが、これもまた暑さで危険です。
と書いてきて、墓参りと見舞いの話を思い出しました。
内村鑑三は、「墓参り」とは言わずに「お見舞い」と言っていたそうです。
そしてお墓に行くのは、亡き妻と話をするためだったそうです。
病院にお見舞いに行ったら、その相手に話しかけ、話しかけられますが、そんな感じだったのでしょう。
そういえば、私もお墓に行ったら、節子のみならず、両親にも声を出して話しかけます。
あんまり、というよりも、節子や両親から話しかけられたことは記憶にはありません。
しかし内村鑑三は、亡妻や若くして亡くなった娘からしっかりと言葉も聴いていたようです。
それが、内村鑑三の生きる力にもなっていたのでしょう。
「お墓参り」よりお墓に「お見舞い」に行くという方が、私の実感にも合っています。
お墓に行けばよくわかりますが、そこで出会うのは、お墓ではなく、霊魂です。
意識とは無関係に、何かを感ずるのです。
まったく知らない人のお墓であっても、単なる石の造作物とだけ感ずる人は少ないでしょう。
普通の感覚であれば、お墓は粗末には扱えません。
それは、そこに何か目に見えないものを感ずるからでしょう。
そこにはまちがいなく弔われている人たちがいるのです。
お見舞いという言葉が、適切だろうと思います。
誰かが見舞いに行かないとさびしがるでしょう。
そういえば、最近、お墓に行っていません。
困ったものです。
涼しくなったら、やはりお墓にも行こうと思います。
でも今日はますます暑くなりそうです。
節子も両親も、この暑さに負けて、眠り込んでいるということにして、お墓へのお見舞いは、またの日にしましょう。
さてお昼寝の時間です。
今日はともかく休養日なのです。
昨日も、でしたが。
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