■節子への挽歌2831:また風景が変わりました
節子
下の家が壊されだしました。
数年前に一人でお住まいだったTさんが亡くなり、空き家になっていました。
節子はTさんと、ささやかなお付き合いがありました。
お手伝いの方とは、節子は仲良しになりました。
私はTさんとはお話したことはありませんが、お手伝いさんとは、節子がいなくなってからもお付き合いがありました。
時ど、私のところにもそうだんにきてくれていましたから。
その方も、故郷の仙台に戻ってしまい、この2年ほどは空き家でした。
庭がとても大きく、わが家はその恩恵を受けていました。
わが家は少し高台なので、その家の緑を楽しめていたのです。
家主がいなくなってから、庭は大きく荒れてしまい、庭の樹木も枯れだしました。
わが家からはその様子がよく見えました。
家主の家族が転居する噂もありましたが、結局、売却され、分割されて戸建ての住宅が何軒か建つのでしょう。
庭の樹木が伐採され、ガスの配管工事が始まりました。
立派だった庭木は、造作もなく伐採されました。
大きな樹木がなくなると、なにやら庭がとても貧相に見えてしまいます。
写真を撮っておけばよかったと思いましたが、手遅れでした。
あの樹木が、あそこまで大きく育つには何年もかかったことでしょう。
しかし、1時間もせずに樹木は切り倒される。
何やら悲しい気がしてなりません。
節子が闘病時代に治療のためにもらっていた枇杷の樹もすべてなくなりました。
お手伝いさんの方と一緒に、枇杷の葉を集めたことが思い出されます。
酸っぱくて食べられずにジャムにしていた夏ミカンの樹も、もうありません。
まもなくここに数軒の家が建つのでしょう。
私がいま野菜を植えている家庭農園は、この庭と隣り合わせています。
これまで、何回か、その庭と畑を行き来する大きな蛇を見たことがあります。
たぶんその大きなお屋敷に住んでいたはずです。
あの蛇もまた居場所を追われて、今度は私のやっている畑に住処を構えるかもしれません。
私自身は、蛇年生まれですが、蛇との相性はよくありません。
さてどうしたものか。
まあそんなことはいいとして、わが家の周囲の景観も少しずつ変わっています。
それは仕方がないことですが、その変化を節子と語り合えないのがさびしいです。
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