■節子への挽歌2850:ちょっと早目の土用の丑の鰻
節子
久しぶりに娘たちと鰻を食べました。
娘の誕生日が口実でしたが、みんな体調を崩しているので体力をつける意味もありました。
近くに「西周」という鰻屋さんがあるのですが、そこから出前を頼みました。
最近は昔ほどおいしくありません。
と言っても、わが家には鰻はいささか高価すぎて、そうそう食べられるわけでもありません。
最近は鰻も高くなってしまいました。
鰻はやはり成田の川豊さんがおいしいですが、成田にも最近は行けません。
我孫子にも、小暮屋さんというおいしい鰻屋さんもありますが、ここも最近は行けていません。
なにしろ、できるだけお金を使わないようにしているからです。
先月は小学校時代の友人たちと久しぶりにおいしい鰻屋さんに行きましたが、一人当たり1万円でした。
やはりおいしい鰻は、そのくらいかかることを知りました。
もはや私にはちょっと手が出ない高級料理です。
もっとも、鰻を食べなくなったのは、お金の問題だけではありません。
鰻がだんだん少なくなってきたということでもありません。
先日、知人においしい和食をご馳走になりましたが、その時は、たぶん一人1万円をかなり上回ったと思います。
私自身はお金を出さなかったのですが、それでも、そういう高価なものを食べると、最近は心が痛むのです。
こんな贅沢をしていいのかという罪の意識に襲われるのです。
ですから、鰻を食べるのも、いささか贅沢意識が働き、気が引けるのです。
私が高価な食事をしようがしまいが、誰にも関係ないと思うのですが、何か気が引けるのです。
こういう意識が強くなってきたのは、いつのころからでしょうか。
たぶん会社を辞めて、違う世界が見えてきてからでしょう。
会社時代は、いまから思えば、バブルでした。
最近は、ともかく金銭を使わないようにしています。
まあ収入があまりないのに加えて、節子が残してくれていた貯金を私がちょっと失ってしまったからです。
でもそれは決して不幸なことではありません。
おかげで、お金を使わない生活がやりやすくなったからです。
そんな状況のなかでの鰻だったので、頑張ったものの松竹梅の竹でした。
2500円でしたが、いま一つでした。
先日の1万円の鰻とはだいぶ違いました。
しかし、そう思うこと自体、どこかに矛盾があります。
私はまだバブルの延長で生きているのかもしれません。
鰻を食べられたことに、まず感謝すべきなのでしょう。
もうしばらくは鰻は欲しがらないようにしましょう。
一切れ250円の塩サケにしましょう。
やはり、それが私には向いています。
ちょっと早目の土用の丑の鰻でした。
これでもう夏バテは起こらないでしょう。
| 固定リンク
「妻への挽歌15」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌3000:3000日目(2015.11.19)
- ■節子への挽歌2999:「元気そうでよかった」(2015.11.18)
- ■節子への挽歌2998:歩いているとみんな良い人になる(2015.11.17)
- ■節子への挽歌2997:食材の安全性(2015.11.16)
コメント